遺体の僕と幽霊の僕
警察署の地下にある霊安室──。
野浦刑事は鍵束を手に持ってジャラジャラと鳴らしながら、プレートに書かれた番号に目を向ける。
事件資料のファイルを脇に挟み、順々にプレートの番号を確認していって、お目当てのものを探した。
「ええっと、二六七は……」
僕はただそんな野浦の後ろをついて行った。
義史と美紀子と別れた後、僕らはその足で警察署に戻ってきていた。
「おおっ、ここだ。あったぞ! 二六七番。これだ」
野浦が鍵穴にキーを刺し込む。
ガチャリと鍵が開く音がして、遺体安置棚の一つの扉が開く。
「うっしょ!」
野浦が取っ手を掴み、担架を引き出した。
中に収納されていた遺体が、僕の前に姿を現す。
遺体は黒色のシャツに、下はデニムのズボンを履いていた。顔には白い布が被せてあって、人相は分からない。
しかし、僕はその衣類に見覚えがあった。
──なんせ、それらは僕自身がお店で試着して購入したものなのだから。あの日はこのファッションで、バスツアーのバスに乗車した。
ゆっくりと遺体の顔に掛けられている白い布を外す。
──蒼白い顔で安らかに眠る、僕の死に顔がそこにはあった。
「確かに君の顔だな……」
野浦は僕と遺体の顔とを見比べて、驚いたように目を丸くしている。
「警察署の仏さんにしちゃあ、随分と綺麗だな。何で死んだんだぁ?」
野浦は興味を持ったらしく、携えてきた事故ファイルのページをパラパラと捲った。
ファイルの背表紙には『山中バス事故報告書』というラベルが貼られていた。あのバス事故は、警察でそう命名されたらしい。
「頭蓋骨骨折による脳の損傷で、死亡が確定したらしいな。救急先の病院で手術を行ったが、結果的にはかえらぬ人になったらしいな……」
「まぁ、帰ってきてますけどね」
僕は皮肉げに言い放ち、苦笑した。
以前、運転手の山田が「救急車で運ばれたのは自分だけ」と証言していたが、どうやらそれは誤情報であったようだ。僕も救急車で運ばれ、そして死んだようだ。
「……でも、本当に大丈夫なのか? 脳が損傷していたんだぞ?」
確かに、致命傷を負っているのに魂を肉体に戻したところで、蘇生などできるのであろうか。
死に匹敵する程の苦痛を味わい、また死ぬだけではないのか。
野浦は再び資料に目を落として唸った。
「まぁ、手術自体は成功しているようだな。肉体的な損傷は治癒させたが、時間的に間に合わなかったのだろう」
「……だったら、奇跡が起こるかもしれませんね」
自分の遺体を目の前にして──ここまで来て、諦める気にもなれない。
野浦は僕の遺体を見ながら、感心したように頷いたものである。
「しかし、まさか、こんな方法で生き返れるとはなぁ。俺も、もっと早く自分が死んだことに気が付いてりゃあ、どうにかできたかもしれなかったのにな」
僕の事故書類を調べていたついでに、野浦の死因も判明した。麻薬組織と拳銃でドンパチした際に、流れ弾を食らって額を撃ち抜かれたらしい。
興奮状態にあって、本人にはそんな自覚はなかったようだ。目が覚めて、そのまま通常業務に戻ったとのことだ。
残念なことに、野浦の遺体は既に火葬されていて、墓地に納骨されていた。
そうなってしまっては、さすがに憑依して復活することなどできやしない。
野浦に残された道としては、霊体としてこの世を彷徨うか──あるいは、成仏する方法を模索するしかない。
「俺のことは気にしなくていいからな」
僕が気遣いしないように、野浦が先手を打って言った。
「もう働かなくていいって分かったら、気も楽になったさ。毎日、課長に扱き使われていて、うんざりしてたからな。……余生はのんびりと過ごさせてもらうとするさ」
「ありがとう御座います」
僕は感謝の意味を込めて深々と頭を下げた。
「い、いや。構わないよ。君の手助けができたんだ。嬉しいのはこっちさ」
野浦が僕の背中を押すように、肩を叩いてきた。
「あんまりゆっくりして、人が来ても面倒だからな。さっさと始めてくれ」
「はい。……それでは、失礼します」
僕は目の前で横たわっている、僕の遺体に手を伸ばした。そっと、その頬に触れる。
──その瞬間、僕の視界は真っ暗になった。
すべてが闇に包まれていく。
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