義史と美紀子

 体から黒色のオーラを発するようになってしまい、僕は愕然としていた。

──五十嵐が『何かに引っ張られる様な感覚がする』と言っていたが、確かにその通りだ。

 それも一箇所や二箇所からではない。色々な方角から、微少に引力を感じる。

「あの……大丈夫ですか?」

 落胆している僕を気遣って美紀子が声を掛けてきた。


「あの人たち、何処に行ったんでしょうね。手分けでもして、捜しましょうか?」

 まだ状況が呑み込めていない義史が、そんなことを口にする。

 死神の能力によって五十嵐と老人は消滅してしまったのだが、二人からすれば不思議な奇術でも見ているような感覚なのだろう。

 自分たちの身に危険が迫っているということすら、義史と美紀子は理解していないようである。

 笑いながら、二人は呑気に会話を始めた。

「……でも、さっきの驚いたわね!」

「ああ! イリュージョンって感じだったな」

「どうやったのかしら。見ていても、種が全然わからなかったわ」

「後で、やり方を聞いてみようよ」


 僕はいい加減呆れてしまった。

「あのねぇ……」

 せめて、五十嵐と老人がこの世から消えたことだけでも、伝えてあげるべきだろうか。

──そう思った時であった。

「ブモォオオオッ!」

 どこかから咆哮が上がり、僕らは一斉にすっ転んでしまう。

「うわぁっ!」

「きゃあっ!」

 義史と美紀子は初体験のようで、受け身も取れずに顔から地面に倒れ込んでしまった。

 顔を上げた義史は、自分の身に起きた不可解な現象に目を丸くしている。

「なんだよ、こりゃあ……」

「どうやら、牛が近くにいるみたいだね。気を付けないと」

「牛? なんですか、それ?」

 美紀子が不思議そうに小首を傾げてきた。

 説明している時間も惜しく思え、代わりに僕は二人に「先を急ごう」と手を振るった。


「あのっ……ちょっと!」

 二人を急かして先を急ごうとする僕を、義史が慌てて呼び止めた。

「美紀子はあんまり、無茶ができないんですよ。こいつ、昔から体が弱くて、この間まで入院していたんですから」

 義史に言われて美紀子を見た。

 確かに、彼女は色白で痩せこけていて見た目にも健康そうとは言い難い。

 更に、義史は言葉を続けた。

「ちょっと前に、退院できたところなんですよ。でも、医者からも運動は控えるようにって言われているんで、あんまり乱暴に扱ってもらっちゃ困りますよ」

「……ああ、そうなんだ。事情を知らなかったから、すまないね」

 僕は一応に平謝りをした。

──幽霊になっているということは、美紀子は無理が祟って亡くなったということだ。

 そのことにまだ気が付いていない義史は、相変わらず生前の記憶で美紀子を大事に扱っているようだ。

 義史は僕の謝罪の言葉に、ニカッと白い歯を見せて笑い、手を振った。

「いえいえ、いいんですよ。こちらこそ、すみません。宜しくお願いしますね」

 義史は美紀子の肩に手を置いた。

「こいつ、ずっと病院暮らしだったんで、外の世界のことを何も知らないんです。だから今、外の素晴らしい景色を見せたりとか楽しいことをさせたりと、色々なことを経験させてやっているところなんです」

「そうなんだ」と、僕は唐突に自分語りを始めた義史に、適当に相槌を打つ。

──それよりも、今はこの場所を離れたかった。

 それでも、尚も義史はお構いなく言葉を続けてきた。

「それで、僕ら色々な場所を渡って此処に来たんですけど、この地域のこととかよく分からなくて……すみません。色々と、教えて貰えるとありがたいです」

 ペコリと、義史が頭を下げる。相当に、義史は美紀子のことを想っているらしい。

 そう呑気にしていられる場合でもないのだが、僕は観念して溜め息を吐いた。

「……ああ。任せてくれよ。困ったことがあったら手伝うから、何でも言ってくれ」

「本当ですか!?」

 今は兎も角、義史の話を聞いて満足させてあげるしかないらしい。

 僕が頷くと、義史は嬉しそうに声を上げた。

 そして、義史は一瞬ちらりと美紀子の顔を見たかと思えば、声を潜めて僕に耳打ちしてきた。

「俺、美紀子にプロポーズをしようと思ってるんです。美紀子は苦労ばっかりですから、側で力になって、幸せにしてやりたいんですよ」

「そうなんだ。頑張って」

 こんな状況下で、なかなかほっこりとした話であろうか。僕は素直に義史のことを応援したくなった。


 コソコソと内緒話をする僕らから仲間外れにされて、当の美紀子は不機嫌そうだ。

「どうしたの? 何の話をしているの?」

「あ、いや! なんでもないよ!」

 義史が慌てて手を振った。

「えー。私も仲間に入れてよ」

「駄目駄目。だめだよー」

「えー。ケチー」

 仲睦まじい二人の姿に、僕と千枝との関係が重なって見えた──。

 この二人を、このままこんな危険な場所に放っておくわけにはいかない。

 僕は、義史に頷いてみせた。

「彼女にいい景色を見せるのを、僕にも協力させてくれ」

「おお! ありがとうございます!」

 僕からの申し出に、義史は心底嬉しそうに笑みを見せた。


 美紀子は、そんな僕と義史との会話の意味が分からず、首を傾げていた。

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