大豪邸の中で起こったこと

──ブメエェエェエエ!


 廊下に、再び活気付いたひつじ咆哮ほうこうが響き渡る。

 今の内に出来るだけ距離を取っておきたい。

 僕はひかりの体を抱えたまま東館の廊下を夢中で進んだ。

 真っ直ぐに廊下を走り、南館へと移動する。

 廊下の突き当りに、鎖と南京錠で厳重に封鎖された部屋の扉が目に止まる。

 僕はポケットからマスターキーを取り出して、その扉の鍵を開ける。部屋の中へと入った。


 ベッドにひかりを横たわらせたところで、丁度彼女は意識を取り戻したようだ。

「うぅーん」と一つ、うなり声を上げるとひかりは身をくねらせた。

「ひかり!?」

 僕の呼び掛けに応えるかのように、ひかりはっすらと目を開けた。

 そして、目の前にある僕の顔をマジマジと見詰めてきた。

「きゃぁぁああ!」

 ひかりはかなり怯えているようだ。大きく悲鳴を上げ、パニック状態におちいっている。

 耳元で大きな声を出されたので驚いた僕は慌ててひかりの口を手で塞ぐ。

「しぃっ、静かにしてよ!」

「誰よ。あなた!?」

 そう言われて、ようやく僕は自分が園田の体に憑依ひょういしていることを思い出した。

 普段のひかりであれば察しが付きそうなものだけれど、意識を取り戻したばかりでまだ頭が上手く働いていないのだろう。

 しきりにまばたきをして、怯えた表情になっている。

「ごめん。僕だよ」

 僕は憑依状態を解いて、改めてひかりの前に立った。園田はそのまま意識を失い、ひかりの横に倒れ込んで寝息を立て始めた。

「あ、なんだ……」

 ひかりは僕の姿を見て、安堵したようだ。

 次に、ムッとした表情で僕を責め立ててきた。

「いきなり知らないおじさんが目の前に居たからビックリしちゃったじゃない!」

「そりゃあそうだね……。ごめん」

 僕はタジタジになりながら、指を突きつけてくるひかりに平謝りをする。

 そんな不毛なやり取りをしつつ、僕は彼女の無事を確認できてホッとした。

「怪我とかはないようだね。無事で良かったよ」

 僕が息をつくと、ひかりは自身の手首をさすった。

「ええ。縄がきつく縛られていたみたいであとが痛むけれど、それ以外に怪我はないわね」

 確かに、ひかりの手首足首に縄目状のあざができていて痛々しい。


「正門で別れた後、おばあちゃんに書斎に案内されたの……」

 落ち着いたところで、ひかりは僕と別れた後の経緯いきさつを話してくれた。

「貴方と合流するまで、お茶でも飲んでゆっくりしていましょうって……出されたお茶に口をつけたら、眠気に襲われて意識を失ってしまったの」

 どうやら、そのお茶とやらに睡眠薬でも盛られていたのだろう。ひかりと連絡が取れなくなってしまったのは、そのせいのようだ。

「……それで、そっちはどうなっているの?」

 長らく意識を失っていたひかりには、理解できていないことも多いだろう。

 僕も自分自身の情報の整理も兼ねて、ひかりにこれまでの顛末てんまつを説明することにした。


──妖刀でメイドたちを切り捨てた米飯。

──体当たりをかますいのししの死神。

──番号を振るおおかみと凶悪な羊の死神。

──自殺を試みた園田。


 短い間に、実に様々なことがこの屋敷の中で起こったものである。

「……なるほどね」

 ひかりは僕の説明を、頷きながら聞いていた。

「……でも、よく分からないことが一つあるわ」

 そう言いながら、ひかりが僕の体を指差す。

「その番号っていうのはどこにあるのかしら? 服の中にでも、刻まれているの?」

「いや、そんなことないよ。それなら……」

 ひかりに尋ねられて、改めて自身の体に目を向けたところで目を丸くしてしまう。

 それまで胸部に刻まれていたはずの刻印が、跡形もなく消え去っていた。

「……あれっ?」

 体をあちこち見回すが、別にどこかに移動したという訳でもないようだ。胸部を擦ってみたが、何の名残りもない。

「何か、解除条件でもクリアしたんじゃない?」

「……特に思い当たることはないけれどね」

 ひかりに言われて思い返してみるが、それらしいことは何もしていない。変わったことといえば、単に梅宮の代わりに羊の口の中に飛び込んだことくらいしか思い付かない。

──でも、その直前には確かに刻印の数字が『3』から『2』に変わっていることを確認している。

 いったい、どうして消えてしまったのだろう──。


 まぁ、いくら考えたところで結論は導き出せそうにないので、このことは一旦置いておくことにする。


「色々あったみたいだけど、私が側に居れば力を貸せたのに、ごめんなさいね」

 心底申し訳なさそうなひかりに、僕は左右に首を振るってみせた。

「いや、僕の方こそ、君があんな目に合わされていたなんて思いもしなかったよ。もっと早く気付いていれば、あんな目には合わなかっただろうし、こちらこそ申し訳ない」

 僕が頭を下げると、ひかりはポンと優しく僕の肩を叩いてきた。顔を上げると、ひかりはニンマリと微笑んでくれた。

「もう大丈夫だから。……それなら、お互い様ということにしておきましょうよ」

「そうだね。おあいことしよう」

 ひかりの笑顔に、僕も笑みを返した。

「責任のなすりつけ合いをしていても仕方がないもの。それよりも、この先のことを考えないとね」

 まだ死神の脅威は去ったわけではないのだ。ひかりも、そのことを言っているのだろう。

 すっかり話し込んでしまったが、こうしている間にも羊が迫ってきているのだと考えると、段々と不安に駆られてしまう。

 そんな僕を元気付けるかのように、ひかりが窓の外を見ながら口を開いた。

「……まぁ、死神たちの方は大丈夫でしょうね」

 月も中程にまでおりてきている。なんだかんだ、かなりの時間を死神たちと追いかけっこをしていたようだ。

「もうじき日の出も近いから、そこまで心配することはないと思うわ。彼らは夜の間しか行動することができないもの」

 ひかりに言われて僕も窓の外を見た。まだ外は暗いが、日の出の時刻が近いと分かると何だか気持ちも楽になった。

「問題は、この園田さんとおばあちゃんをどうするか、ってことかしら」

「その二人をどうするかって?」

「私が思うに、園田さんが横領をしていないと世間の誤解を解くには、真犯人に直接説明してもらうのが手っ取り早いでしょうね。その為には、無事でいてもらわないと困るわ」

 思ってもみないひかりの言葉であった。園田のアフターケアのことなど、すっかり頭から抜けてしまっていた。

「真犯人に説明してもらう、か……」

 僕は頭の中で想像してみた。報道陣のカメラを前に涙ながらに事件の真相を語る梅宮──。

 果たして、そんなことが可能なのだろうか。

「幽霊に憑依されて罪を犯しただなんて、いったい誰が信じるのさ。園田さんに対する批判が、それで止むとも思えないけど」

「うん、まぁそうかもしれないけれど……。でも、あのおばあちゃんが重要人物であることは変わりないわ。こんなところでむざむざ取り逃がして死神の餌なんかにされてみなさいよ。それこそ、園田さんの誤解を解くすべがなくなると思うわよ」

「それはまぁ、そうかもしれなけど……」

 幽霊に憑依されて会社のお金を着服しました——などという馬鹿げた話を、誰が信用するというのか。確かに本人の口から語らせるよりかは、実際にそれを行った幽霊に説明して貰う方が心証は変わるかもしれない。

 実際に上手くいくかどうかは分からないが──。

 まぁ、他に出来ることがあったとしても、今のところは思い付かない。

 僕は、ひかりの意見に同調することにする。

「あのおばあさんを死神から守らないと行けないって、ことだね。……まだ、無事でいればの話だけれどね」

 ひかりが囚われていた書斎で別れてから、梅宮の行方は知れない。あの後、狼や羊が梅宮を追って行ったとも考えられるので安否は分からない。


「園田さんはどうする?」

 次いで、僕はひかりに考えを求めるかのようにベッドの上で安らかな寝息を立てる園田に視線を向けた。自暴自棄に陥った彼が目を覚ませば、再び自ら命を断とうと躍起になるかもしれない。

「眠りが深そうだから、このまま置いていっても大丈夫だと思うわ」

 こんなに近くで会話をしているのに、園田が目を覚ます気配はない。確かに、もう直の日の出くらいまでなら眠っていそうだ。

 しかし、途中で目を覚した時に変な気を起こさないとも限らない。

「……ああ、そうだ」

 僕はふとアイディアを思い立って、手を叩く。

 首を傾げているひかりを横目に、僕は再び園田の体へと憑依した。

「何をする気なの?」

「まぁ、見ててくれよ」

 僕はベッドから起き上がると、園田の体のまま廊下へと出た。

 しばらく待っていると廊下を歩いてくるメイドの姿が見えたので、僕は声を掛けた。

「あぁ、君。君」

「はい、何でございましょう?」

 僕は元を知らないが精一杯に園田を演じて、偉ぶりながらメイドに言い付けた。

「私はこの部屋で休むから、用心の為に見張りを立ててくれ。寝込みを襲われないように、部屋の中にも一人配備して欲しいのだがね」

「はい。畏まりました。すぐに手配致しますね」

 メイドは主人からの命令に、素直に頭を下げた。

 前掛けのポケットから無線機を取り出すと、誰かと連絡を取り始めた。

「うん。じゃあ、私は部屋で休んでいるから、頼むよ」

 僕はこの件はメイドに任せることにして、部屋の中に戻った。

 そして、ベッドに横たわると、園田の体から憑依を解いた。

「これで大丈夫」

 僕は得意気にひかりに言った。

「うん。それなら、下手なことをしようとすると使用人に止められるでしょうから、万が一、目を覚しても大丈夫ね」

 ひかりも僕の作戦に感心して頷いてくれた。

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