屋敷の主人の自害

 次に意識がハッキリした時には、また別の廊下の床に寝転がっていた。

「ふぅ……」

 体を起こして頭を振るう。

「色々と、起き過ぎだよ。まったく……」

 一瞬の出来事で、まだ頭が上手く働いていない。

 どうやら、メイドに憑依していたことで今回も無傷でいられたらしい。一方、霊体のままで猪の突進を食らった米飯は、右腕を引き千切られていたようであった。

──自業自得だ。メイドたちに酷いことをした報いを受けたのだろう。


 だとすれば、屋敷の中はこれまで通り使用人の体に憑依しながら進むのが賢明のようだ。万一、再び猪と鉢合わせたとしても、霊体のままでいなければ傷を負わないことが分かった。

 恐ろしい米飯の顔が頭を過ぎったが、まさか片腕を失った状態でここまでは追って来ないだろう。


 また飛ばされて、見知らぬ場所に来てしまった。一から、探索をしていかなければならない。

 そうなると敵の数はできれば少ない方が有り難い。

 唯一気掛かりなのが、一度しか姿を現していない狼である。僕の胸に『3』の数字を刻印して以来、その姿を見せていない。

 それに、この刻印にどんな意味があるのか分からないので不気味である。子棋院が刻まれてから時間が経過したが、体に変化はないので時限式に何かが発動するものでもないらしい。


 米飯の騒ぎのせいで、メイドたちは散ってしまったようだ。あんなにも廊下で見掛けたメイドの姿がなくなり、単身霊体のまま屋敷の中を進むことを余儀なくされた。

 壁抜けしながら進んでいると、とある書斎に行き着いた。そこは以前、メイド姿で迷い込んで部屋主の老齢な男性に窘められた部屋である。

 相変わらずそこでは、眼鏡を掛けてガウンを羽織った白髪の男性が、デスクで頭を抱えたままだった。何一つ、体勢を変えていない。

「この人は……」

 ふと、僕はその顔を思い出す。

 新聞記事に載り、世間を賑わせている時の人──この屋敷の主人。ミブタコーポレーションの社長の園田だ。

 園田は机に突っ伏したまま、深く溜め息を吐いていた。

「どうしてこんなことになってしまったんだ……」

 園田が嘆いている理由には察しがつく。

 園田が会社の金を着服したと世間は大騒ぎをしている。この十億円の豪邸だって、元は会社のお金を横領して購入したものなのだろう。

「社会の為に、と。会社一筋、一代でここまで築いてきたというのに……。いったい、誰が私を嵌めたというのだ……」

 弱々しく、園田が呟いた。

 全ての元凶──疫病神はあの老夫婦だ。

 自分たちの幽霊であるという立場を利用し、努力して財を成した園田の全てを、あの二人は奪ったのだ。

「私には……もう、何もない……」

 園田は震える声でそう呟くと、決意したかのように椅子から立ち上がった。デスクの引き出しからロープを取り出したかと思えば、それを梁に結んで天井から吊した。

 園田が何をしようとしているのかは明らかだった。

「この世に未練は何もない。死んでしまおう……」

 ロープで輪を作り園田はそれを自分に嵌めた──。

「待って!」

 僕の叫びは、園田の耳には届かない。

 慌てて園田の体に憑依することで、強制的にその行為を止めさせた。

 園田の体に憑依した僕は首の縄を解き、踏み台にしていたデスクの上から床に下りた。

「気休めにもならないけど……少なくとも、僕が乗り移っている間は、この人も死ぬことは出来ないだろうから」

 僅かながらの延命措置でしかない。

 余計なお世話かもしれないが、目の前で人が死のうとしているのを黙って見過ごすことも僕にはできなかった。

 園田の体に憑依したまま、僕は屋敷の中を歩いた。


 屋敷が広く、まだ米飯の騒ぎを知らないメイドも居たようである。廊下で擦れ違う使用人たちは、僕の姿を見るなり通路の端に避けて頭を下げた。

「すまないが、君」

「はい?」

 僕はメイドの一人に声を掛けた。

 メイドは主人から声を掛けられたので、背筋を伸ばして恐縮している。

「この屋敷の全体を見られるような設備は、どの部屋にあったかな。ちと、広くて忘れてしまってな」

 白々しく惚けてみせたが、メイドは主人の言葉に疑いを抱くことはなかった。

「管理者室のことですかね? それでしたら、廊下を真っ直ぐに進んで頂いて、突き当りを左に曲がった三番目の扉ですわ」

「ああ、そうだった。ありがとう」

 僕は手を挙げてメイドにお礼を言った。

 メイドの方も、それに応えてご丁寧に頭を下げてくれた。

──管理者室。

 それがどんな部屋かは分からなかったが有用な場所であると思えたので、そこに向かうことにする。

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