妖刀に魅入られた老人の惨劇

 鼻歌交じりに何気ない顔をしながら、僕は廊下を歩いていた。

 ドタドタと慌ただしい足音が、次第にこちらへ向かって近付いてくる。

 刀を握った米飯が、メイド姿の僕の横を通り過ぎて行った。

 流石に、僕が異性のメイドに憑依しているだなんて思いもしないようである。胸部に刻まれた『3』の数字も手を当てて隠していたので、米飯からは見えなかったようだ。

 安堵していると、不意に米飯が足を止めて踵を返して来た。

 驚きの声を上げる暇もなかった。米飯は唐突に、メイド姿の僕に切りかかってきたのだ。

「うわぁぁああ!」

 袈裟斬りにされ、傷口から血が噴き出す。

「どうして分かった!?」

 仰け反りながら僕が叫ぶと、米飯は目を丸くする。

「ああん? なんだい、あんちゃんかい。こりゃあ、ツイてるねぇ……」

 米飯も僕がメイドに憑依していることには気が付かなかったようである。

──それならば、何故に切りかかってきたのか。

「いやねぇ……。憑依されたら厄介だと思って、依代になるものを排除しようとしたら、運良く当たりを引いちまったみたいだね」

「たまたまってことか!」

 僕は米飯が、更に憎らしく思えた。

 メイドに罪はないのに、ただ都合が悪いからという理由で切りかかったのだ。米飯の行為は、とても許されるものではない。

 傷は深かったが、まだ息絶えた訳ではない。

「誰か助けてくれ! 急がないと死んでしまう!」

 僕は助けを求めて叫んだ。

 この屋敷の中にはメイドがウロウロしている。大声を上げれば、誰かしらの耳には届くはずである。

 夥しい量の血が流れていた。

 このまま憑依を解けば、無関係のメイドが激痛に悶えることになる。

 僕は申し訳無さから憑依を解けず、メイドの肉体に留まりながら苦痛に堪えた。


 騒ぎに気が付いてメイドが駆け付けてくれた。応援が呼ばれ、屋敷の使用人たちが集まってくる。

「良かった。助かる……」

 これでこのメイドも助かるだろうし、事件を起こした米飯も退散せざる負えないだろう。

──だが、米飯はこの増援に対して僕とは異なる勘定を抱いていたようだ。

「感謝するよ、あんちゃん。これで一々、屋敷の人間を探し回らなくても済む……。纏めて処理できるようになったからね」

「えっ? 何を言って……」

 残忍な笑みを浮かべた米飯が、僕の眼前で刀を振り被った。メイドの一人が背中を切られ、床にパタリと倒れた。

「きゃぁあぁああ!」

「なによ! ひぃいいぃ!」

 血だまりができ、駆け付けたメイドたちはパニックに陥った。

 逃げ惑う彼女らを、米飯は容赦なく切り捨てていった。切られたメイドたちが床に倒れ、積み重なっていく。

──地獄絵図であった。廊下の床や壁、一面が赤く染まっていく。


「許せない!」

 目の前で繰り広げられた凄惨な光景に、恐怖心よりも怒りの感情が増幅していった。

「なんてことをするんだ!」

 僕は叫んだ。

 米飯は悪びれる様子もなく、鼻を鳴らした。

「へん。あんちゃんが逃げるから悪いんだろう。あんちゃんが逃げなければ、使用人の嬢ちゃんたちも切らずに済んだのにな」

「何を勝手なことを!」

「これ以上、誰かの体に乗り移られて逃げられるのは面倒なんだよ。だから、あんちゃんが大人しく覚悟を決めてくれりゃあ、こうはならなかっただろうにねぇ」

 身勝手な理由で他人を傷付ける米飯を、これ以上野放しにはできない。

 僕は覚悟を決めて拳を握った。せせら笑う老人を睨み付けた。


──ブモォオオオッ!


 唸り声が聞こえた。

 猪型の死神が、視界に写る。


「やばいっ!」

 僕は本能的に危険を察した。

 視界に猪の姿を捉えた瞬間、猪は猛スピードでこちらに突っ込んで来た。それはとても目では追えず、回避も出来ないような速さであった。

 猪を視界に捉えて認識した瞬間には、僕は猪に轢かれて宙を舞っていた。──その間、僅か数秒の出来事である。

「うぉおおぉおおっ!?」

 米飯からも悲鳴が上がる。

 米飯は僕とは違い、その場に蹲っていた。身悶えする米飯の右腕──肘から先が消滅している。


──それが、僕がその廊下で見た最後の光景であった。僕は猪によってメイドの体から弾き飛ばされ、また別の場所へと移動させられたのであった。

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