木下教団の代表者様

 幽霊である僕が経路に従って素直に廊下を進まなければならないいわれはない。

 出遅れて専務を見失ったこともあり、僕は壁や扉を透過しながら施設内を闇雲に歩いた。

 道すがら見掛けた木下教団の信者たちの行動は不可解で、僕の理解の範疇はんちゅうを超えるものばかりだ。

 ある部屋では、教団員たちが台本を片手に歌や踊りの稽古けいこはげんでいたし、またある部屋では電源の入っていないモニターに向かってキーボードを指でカチャカチャと操作していた。

 それらに何の意味があるのか見当を付けることもできず、僕はただその横を通り過ぎた。

──これが施設内の一階部分である。

 信者たちがそれぞれの業務にいそしんでいた。


 さらに建物を奥へと進むと、地下に通じる階段を見付けた。

 受付嬢が口にした『嵐山が地下の第三会議室に居る』という情報を思い出し、僕は階段を下る。


 地下は人の気配がなく閑散かんさんとしていた。

 人が居ないので明かりも点いておらず、フロアー全体は真っ暗であった。僕はその中を壁伝かべづたいに進んだ。

 どうやら階段は一階ごとに区切られ、別の場所に設置されているらしい。地下一階に第三会議室が見当たらず、さらに地下二階への階段を見付けて下りた。

 地下二階にもそれはなく、地下三階にまで下りる羽目はめとなる。

 地下三階──目的地である『第三会議室』という表札が掲げられた部屋を見付ける。

 一応、ここにお目当ての人物が居るかどうか確かめるために、壁からそっと顔だけを入れて中の様子をうかがった。

 会議室は電灯が点いて明るかったので、暗がりに居た僕はまぶしさで思わず目を細めてしまう。

──会議室というのは名ばかりで、フカフカの絨毯じゅうたんにソファー、アンティークのテーブルやタンスが置かれている豪華な部屋であった。とてもミーティングが行われるような内装ではない。


 さて、気になるのは扉の横に専務の姿があることであった。専務は壁に張り付いて、扉に聞き耳を立て廊下の様子を伺っていた。

 手には鈍器を握り、もしも部屋に入って来る者があれば殴り掛かってきそうな勢いだ。

 まさかとは思うが、僕のことを待ち伏せしているのか?

——いや、だとしても霊体である僕には物理攻撃は通用しないだろうから無意味である。例え殴られたところで、その手が空を切るだけだ。

 そもそも、生者である専務には霊体である僕の姿は見えないはずなのに、どうしてそんなことをする必要があるのか。


「おう、久し振りだなぁ」

 専務の行動を不審に思っていると、部屋の奥に居た何者かに声を掛けられた。

 振り向くとテレビで見覚えのある嵐山という男が、ソファーに深々と座りながら手を振っていた。

 ドア前に居た専務が不可思議そうに顔を傾ける。

「どうなされたのですか?」

「おめーに言ったんじゃねーよ!」

 この場には嵐山と専務しか居ないのだから専務が自分のことだと思うのは当然のことであろう。それなのに理不尽に怒鳴られてしまったので、専務はしょんぼりと肩を落としてしまう。

 嵐山は専務に向かって、ブンブンと手を振った。

「もう客人が来たから、おめーは用なしだ。とっとと業務に戻んな」

「は、はぁ……」

 専務は困ったような顔になったが、素直に上役からの指示には従った。会釈えしゃくをすると、駆け足に第三会議室から出て行った。


 専務の足音が遠ざかると、嵐山は仕切り直しとばかりに咳ばらいを一つした。

 その瞳は真っ直ぐに、僕へと向けられていた。

「そんなところに居ないで入ってきたらどうだ。あの事故以来じゃねーか。俺のことは覚えているか?」

 あの事故以来──そんな言葉を口にできるのは、あのバス事故の当事者のみであろう。

 嵐山の言葉を聞いて、彼に木下が憑依していることが分かった。


 僕は壁をすり抜けて中に入ると、嵐山──木下に向かってペコリと頭を下げた。

「木下さんですね。勿論もちろん、覚えていますよ。あの日、一緒にバスを捜索しに行った僕ですよ。……柳城やなしろ亜久斗あくとです」

「あー? そんなこともあったかな。憶えてねぇや」

 木下は興味なさそうに、耳に指を突っ込んでほじっている。どうやらその件に関しては本当に覚えがないらしい。

「今は木下教団っていうのを立ち上げられて、代表をされているみたいですね」

 木下の反応が薄いので僕は話題を変えてみた。

 すると、木下の顔はパアっと明るくなって、言葉も流暢りゅうちょうになる。

「ああ、元々は八百万やおよろず九十九つくも教って名前だったんだけどよ。俺が力を貸してやるから団体を大きくしていこうぜ、ってコイツに話を持ち掛けたら承諾しょうだくを得てな。今はパートナーになって一緒にこの教団を切り盛りしているんだ」

 そう言いながら、木下は自分自身——嵐山を親指で指す。


「テレビで木下さんのことを見掛けて、会いにきました」

「おー。メディアに顔を出せば誰かしらアプローチしてくれるんじゃないかとも思ってな。なるべくテレビ番組に出演するようにしてたんだ。幽霊の俺の姿はテレビに写っても、幽霊にしか見えないようだから。お前がここに来たのは俺の思惑通りだったわけだ」

「なるほど。そういう意図もあったのですね」

 僕は納得して頷いた。

 木下が嵐山としてメディアに露出することにしたのは単に教団の宣伝というだけでなく、幽霊である僕らに対する存在アピールだったらしい。


 嵐山は壁掛けのテレビモニターに視線を向けた。そこには、施設内の防犯カメラの映像が映し出されていた。当然、受付の映像も写っている。

 先程までこの場に居た専務の姿もそこにあり、受付嬢と談笑していた。


「……そろそろいいかな」

 映像を見ていた木下が一呼吸置く。

 木下はそれまでと雰囲気が変わり、鋭い目つきになる。

「単刀直入に言うわ。俺に手を貸せ」

 それは頼みでもお願いでもない。嵐山の口から出たのはまるで命令である。

「……えっ?」

 僕は眉間みけんしわを寄せた。

「俺はよぉ……こんな境遇になって気付いちまったんだ。世の中、努力も才能もいらねー。圧倒的な力さえあれば世の中を牛耳ぎゅうじられる、ってことがなぁ」

「えっと……何を言っているんですか?」

 木下はこちらの言葉など聞く気はないようだ。ただ自分の言葉に酔いしれ、つばを飛ばしながら熱く語っている。

「そして、俺は力を手に入れたんだ! 幽霊になったことで、通常の人間ではありえないような未知の力を! この力を上手く使えば、この世界の統治者として君臨することだって出来るんだ!」

 いきなり壮大なスケールの話をされても戸惑うばかりである。言いたいことは分かるが──いや、理解する気にもなれない。


「俺はよぉ……未来が予言できるんだよ」

 木下が唐突とうとつに打ち明けた。

 それは先日、僕もテレビで見たことがある。

「例えば、政治家連中に言ってやるんだ。お前は明日、反政府組織に拉致られてボコされるってさ。……すると翌日、本当にその政治家は拉致らちられちまうんだよ。何故だか分かるか?」

 僕は嫌な予感が頭を過ぎったが、それは考えないようにする。単に木下が予見して未来を言い当てた可能性だってあるのだ。

 ところが、木下は僕の返事を待たずに口を歪ませた。

「いやぁ、分かんねーだろうなー。お前みたいな凡人にはよぉ」

 馬鹿にされたものだから僕はむかっ腹にきてしまう。

「政治家に言った後、信者たちにも言うんだよ。あの政治家、お前にとってかなり悪い気を及ぼす人物になるだろうってな。あの政治家を閉じ込めれば、そんな悪い気も祓えるだろうっ、てね」

「貴方が信者たちをけし掛けて、その予見が実現するようにしたってことですか?」

「ああ。予見なんてものができる訳がないだろうが。必要なのは代表としての地位と、忠実な手駒てごまよ」

 ガハハ、と嵐山は高らかに笑う。

「それを見た人々は俺を崇拝すうはいし、優秀な手駒となるんだよ。勿論、広告塔として哀れな犠牲者となってもらった女も居たがなぁ」

 木下が言っているのは例の女性アナウンサーのことであろう。

 女性には『夜道で命に関わる事件』が起こることを伝えつつ、裏では信者たちに女性を襲わせるように仕向けていたということなのだろう。

 木下は加害者であるからこそ、先に起こり得る未来を予言することも実行することもできたという訳である。


 洗いざらい自分の悪行をさらけ出した木下は、さらに口調を強めた。

「お前も木下教団の一員となって、世界を手中におさめようじゃねーか! 俺と共にこい!」

 手を差し出してくる木下──そんな彼からの勧誘に、僕の心は急激に冷えていく。

 まるで強大な力を手に入れた途端、暗黒面に落ちて世界を滅ぼす道を歩む悪役──そんな木下の思想に賛同することなどできない。

 キッパリと否定してやっても良かったのだが、木下の次の出方を伺うために口をつぐんでいた。

 すると、木下は熱心に語った割りに僕からの返事がないことにイラついたようだ。

「いや……言い方を間違えたようだな。木下教団に入れ! これは命令だ」

 木下は再度、命令口調でまくし立てる。その言葉からはこちらに有無を言わせぬ気迫のようなものが感じられた。

──だからといって、僕とて木下に従う気はない。

 僕は木下をにらみ、ハッキリと答えてやった。

「嫌ですね」

「ああん?」

 木下は今にも掴みかかってきそうな勢いであったが、僕も引く気はない。

「貴方の考え方はそもそも間違っています。僕らは、力を手に入れた訳ではありません。……むしろ、何も持ち合わせちゃいませんよ。……だって、死んじゃったんですから」

 僕の言葉に、木下は「ふん!」と鼻を鳴らす。

「生死など関係ねぇ! 死して神聖な存在になったと考えれば良いさ。ちっぽけで下等な人間たちを支配出来る存在になった。何も間違っちゃいねぇだろうが!」

 唾を飛ばしながら捲し立てる木下の目は血走っていた。


「……っうかさ」

 ふと、木下が頭をきながら冷淡に呟いた。

「俺の意見に賛同出来ないからどうするの? 俺を殺して、黙らせでもするかい?」

「そんなつもりはありませんよ」

 別に、木下の思想が間違っているからといって、それをどうこうしようという気はない。

 成り行きでいきなり対立の構図となってしまったが、僕は僕の意見を述べているに過ぎない。

 それに、既に死んでいる僕らがお互いに刃物を持ち出したところで、傷つけ合うことも命を奪うことも出来やしないのだ。

「お互いの意見が平行線のままなら、そのまま進んでいくしかないでしょうね」

 僕が肩を竦めると、嵐山は不敵に笑う。

「それは違ぇな。何やら勘違いしているみたいだが、此処ここ何処どこだと思っているんだ?」

「は?」

 僕が首を傾げたその時であった。


 ──アァァアァアァァアアッ!


 甲高かんだかい女の人の悲鳴が、何処か遠くから聞こえてきた──。

 僕はその声に恐怖を感じ、身を震わせた。

 ところが嵐山の肉体に憑依している木下からは余裕の表情が伺えた。足を組みながらワイングラスに口をつけている。

何故なぜ、俺が地下にお前をおびき出したか、考えてみろよ。……お前がもし俺の誘いを断った時に、逃げ道を断つためさ」

 嵐山の言葉に僕はハッとなった。

 木下は初めに、この場に居た唯一の生者──専務を追い払った。それには依代よりしろとなる人間を遠ざけ、僕が誰かに憑依して死神をやり過ごすことを封じるためだったのだろう。

 この悲鳴の主は、間違いなく死神だ——。

 もしも、この場に死神が現れれば、僕に逃げ場などはない。ここは鳥籠とりかごと化したのだ。

 僕はあせりつつ、監視カメラの映像に視線を向けた。誰か他に、憑依できる人間は居ないものだろうか。——しかし、その点に関しては木下も抜かりはない。

「無駄だ。この地下エリアに人間は一人もいないさ」と鼻を鳴らす。

「黙れっ!」

 いら立ちから、ついつい僕も声を荒げてしまう。カッとなって木下の襟首えりくびを掴んだ。

「おいおい。俺に構っていていいのか? ちんたらしている内に、死神がどんどん迫ってくるぞ」

 木下は僕を馬鹿にしたように笑った。

「……最後のチャンスだ。慎重に答えろよ。今から急いで地上の奴らに連絡を取れば、化け物が来る前に人も寄越せるだろう。……んで、どうする。木下教団に入るか?」

「誰が入るか!」

 僕は木下を突き飛ばした。

 木下は後ろに倒れて尻餅をついた。それでも、愉快そうな表情は変わらない。

「なら、交渉は決裂だな! 使えないゴミは、さっさと消えちまえ!」

 木下は盛大に笑い声を上げ、僕が窮地に追いやられたのを楽しんでいるようだ。

「俺がこの世界を陰で牛耳ってやるよ! お前はせいぜい、あの世から見守っていてくれや」

 ガハハと腹を抱えながら木下は床を笑い転げた。

 そんな木下を放置して、僕は地下から脱出するために走り出した。

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