九死に一生

 いつまでも悲愴感ひそうかんひたっていても仕方がない。気持ちを切り替えて僕は、目の前に居る山田にコンタクトを取ってみることにした。

 テーブルの上に置いてあったボールペンを手に取り、メモ用紙にメッセージを書く。

『お久しぶりです。柳城やなしろ亜久斗あくとです。分かりますか?』

 山田はテレビに夢中で、僕からのメッセージには気付いていないようだ。

——コンッ!

 僕は、ボールペンでテーブルを軽く小突いた。

 不意な物音に驚いた山田が、肩を強張らせる。

「えぇっ!?」

 悲鳴を上げ、山田は物音の原因を探ろうと病室内を見回した。

 目の前に僕は居たのだが、山田の瞳にその姿は写らない。


——山田がメモに気が付いて視線を止める。

「あれ、おかしいな。こんなもの、書いたかな?」

 文字を凝視ぎょうししながら山田は首を傾げた。

「柳城……柳城亜久斗ねぇ……」

 あごに手を当て、山田は考える素振りを見せた。

 山田が思い出すのを気長に待ってもいられないので、さらに僕はペンを動かして文字を書き連ねた。

『事故にあったバスの乗客の一人です。本田さんたちとバスの捜索に行ったメンバーの一人です』

「ああ、そう言えば、乗客の中にそんな名前の子が居たような……」

 山田は目の前で勝手に動き回るボールペンに初めこそ驚いていたが、紙に書かれたメッセージを見て、朧気おぼろげに思い出してくれたらしい。

 一時いっときは同じ霊体験をしただけあって山田の理解は早かった。

「亜久斗君。そこに居るんだね」と虚空こくうを見上げながら、霊体である僕に声を掛けてきた。


『どうして、山田さんは生きているのですか?』

 僕はペンを走らせた。

——嫌味などではない。純粋な気持ちで、僕は山田が生きている理由を知りたかった。

 山田はメモの文面を見て、しばらく黙っていた。

 次に口を開いた山田は、言い辛そうに顔を曇らせながらその経緯いきさつを話してくれた。

「君がどこまであの場に居て、どこまであの惨状さんじょうを見ていたのかは分からないけど……化け物の襲撃があった後、救助隊が駆け付けてくれたんだ。……私の体は木に引っ掛かっていてね。それを発見されたんだ。フロントガラスを突き破って車外に投げ出されたらしい。それで、救急車に運ばれてね。この病院にまで搬送はんそうされたんだよ」

「なるほど。それで治療を受けて生き返ったわけか……」

 山田の言葉に僕は相槌あいづちを打つように頷く。

 当然、僕の声は山田の耳には届いていないのだが、彼は僕が言い終わるのを待つかのように一呼吸ひとこきゅうおいてから話しを続けた。

「私も一緒に、救急車に乗り込んだよ。助けが欲しかったし、あんな恐ろしいところに何時までも居たくなかったからね。……それでよく分からないけど、次に気が付いたらここに居たんだ。病室のベッドの上で全身を包帯でグルグル巻きにされてね。これでも良くなった方だよ」

 苦笑しながら、山田は石膏せっこうで固められた片腕を上げて見せてきた。

『僕の体が何処にあるか分かりますか?』

 もしかしたら、僕の肉体だって病院に搬送されて蘇生処置が施された可能性だってある。

 僕はメモに書き、山田にそう筆談で質問をした。

 すると、山田は表情を曇らせて、左右に首を振るった。

「……申し訳ないが、ないんだよ」

「えっ?」

 山田の言葉に、僕は愕然がくぜんとしてしまう。

 山田は補足するかのように、さらに言葉を続けた。

「あの事故で無事だったのは私だけだったよ。この病院に運ばれたのも私だけだ。看護師さんたちの話によると、肉塊と化して身元の判別も難しいものも多かったらしい。だから、残念だが……」

 山田は言い辛そうにそこで言葉を切った。

 僕は事故直後の、バス車内の映像を思い返してみた。確かに、車内は肉片や血液で酷い有様だった。

 あのむごたらしい光景を実際にこの目で見たからこそ、僕は山田の言葉を信じて素直に引き下がることにする。


『お体が悪いのに、色々と教えて下さってありがとうございます。どうかお元気で』

 僕はここまで付き合ってくれた山田に感謝のメッセージを残した。

「すまないね。全て、私が悪いんだ。それなのに、私なんかが生き残ってしまって申し訳ない」

 山田は深々と頭を下げた。


 僕にはこれ以上、山田に掛ける言葉がなかった。

 どうであろうとも、実際にバス事故を起こしたのは紛れもなく彼なのである。山田がハンドル操作を誤らなければ、あの事故は起こらなかっただろう。誰も犠牲になることはなかったし、僕も死ぬことはなかった。

 世間からの風当たりは、当然に激しく冷たい。

 これから山田がどうなるのかは分からないが、彼にとって相当に過酷なものとなるだろう。

 でも、僕は思う。——山田にはせめて、僕らの分まで生きて欲しいと——。

 折角、一人生き残ったのだ。例え、今後の人生が辛いものになろうとも、どうにか堪えて生き抜いてもらいたい。

 山田に対する怒りも恨みも、今更僕の心には何の感情も抱くことはなかった。

 山田は山田で思い悩み、心底反省しているのだろう。


 僕は頭を下げる山田をそのままにして、病室からそっと出て行った。

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