2.大陸の境目
殺風景な世界を何時間か歩いた末、僕たちは何とか最寄りの町に到着することができた。
コルレインという名前の町は、人口僅か百人にも満たない小さな町だったが、幸いにも一軒だけ宿屋と呼べるような場所があったので、そこで一泊することにした。
開店休業状態の宿は、予想通りきちんとしたサービスなど皆無だったが、寝床が確保できるだけでもマシだと我慢して、寝苦しい夜を明かした。
「昔はこの場所にも緑は残っておったんじゃよ」
細い体で受付に座り続けるお爺さんは、久々の話し相手に嬉々として昔話を語った。流石の僕も半分くらいは聞き流していたが、かつてコルレインは農業――特に葡萄を育てるのが主業であり、帝都にワインを卸していたという話を寂しそうに語るのは、少し胸が痛んでしまった。
今ではもう、緑などほとんど見当たらない。
「最近じゃ、貧しさに耐えかねて帝国軍に反旗を翻す者もおるようじゃの」
「それ、単なる噂じゃないんですね」
「当然。軍がやって来て住民を捕まえていったという話は何度か聞いておる」
帝国に仇なす者として捕まった、ということか。
相当にギスギスした国なのだな、ここは。
お爺さんからそれ以上の情報はなく、後は思い出話に終始することになったのだが、我慢して聞き流し、僕たちは宿を出た。町外れにはポツンと停留所があって、一日一度、午前十時にだけここに馬車が来ることになっていた。
「おや、珍しい……」
時間を少しばかり過ぎてから馬車はやって来たが、御者の男性はルートだからここを通っているだけのようで、実際に客を拾えるのは珍しいようだった。具体的には、もう一ヶ月以上もここで客を乗せてはいないらしい。
「どこまで?」
「リン州に行きたいんですが、州境まで行きますよね?」
「……君たち、州を越えるつもりかい」
「ええ……」
露骨に心配そうな顔をされてしまったので、素性を明かしても構わないだろうと、僕はグランウェールの勲章を取り出す。他の勲章も価値はあれど、これを出すのが一番手っ取り早い。
「僕たちは勇者とその従士です。ライン帝国に最後の魔皇を倒しに来たんですけど、何だかキナ臭いみたいですね」
「ゆ、勇者様でしたか……! これは失礼しました。実はそうなんです、昨今は帝都ばかりが潤っているせいで他の州と軋轢が生じてまして……各地で小さな諍いが絶えない」
「捕まえられる人もいるんですってね?」
「どうも、レジスタンスというのか、反政府を訴える人たちが団体を作っているようで。各地でその入団者が増えているために、軍も取り締まりを強化しているんですね」
レジスタンス、か。フィクションの世界を読んだり見たりしているときには、格好良い響きだなあと考えていたものだが、それが実際の存在になると、怖いなと感じる。
支配し、搾取する者たちと、それに従いながらも、反逆を企てる者たち。その関係性。
ラインでは、ひょっとすれば魔皇と同じくらいに、人同士の争いも僕たちを苛みそうだ。
コウさんの忠告が思い出される。
「だから、州境の門も簡単には通れなくなってるんです。勇者様なら大丈夫かとは思いますが……」
「というか、勇者が魔皇討伐に行けなかったらどうするのよって話ですもんね」
「ええ、それは。ただ、状況が改善するまでは……というようなことはあるかもしれません」
「うへえ……酷い話ね」
同じ国の中だというのに、本当に酷い話だ。
州境の門はかなり南東の方にあるらしく、所要時間は四時間ほどだと告げられた。久々に馬車での長時間移動となるわけだ。退屈だろうがこればかりは仕方がない。
覚悟した通り、馬車からの風景は代わり映えのしない寂れたもので、僕もセリアも程なくして会話が途切れ、セリアの方は羨ましいことに眠ってしまった。
僕は眠れなかったので、ただぼうっと通り過ぎていく枯れ木を数えたりとまさに不毛なことをしながら時間を潰した。結局、州境に差し掛かるまで緑色は目に入らなかった。
「お疲れ様です、到着しましたよ」
「……んえ?」
御者さんの声に、セリアは変な声を上げながら目を覚ます。そして瞼を擦りながら前方に目を向け、そこに石壁があることを見てとると、やっと着いたかとばかりに大きく体を伸ばすのだった。
「でっかい石壁ね……グランドブリッジも大きかったけどさ」
「あれは橋だから、壁じゃあないもんね。この壁は……横に伸びて、大陸を隔ててる」
「同じ国民なのに、気軽にひょいっと越えられないなんてねえ」
冷たい石壁。リューズ共和国で暖かな人間関係を目にしてきただけに、人と人を隔てるこの壁の存在は、冷え切った印象を持ってしまう。
「念のため、ここで待っておきましょうか」
御者さんが気を遣ってそう提案してくれる。少しでも多く稼ぎたいはずなのに、ありがたい限りだ。その気遣いに甘えることにして、僕たちはひとまず門を越えられるか確認しに行くことにした。
グランドブリッジのように、州境の門は帝国軍の駐屯地になっているようだ。門の前には兵士が二人、背筋をピシっと伸ばして待機しており、その奥にも何人かの人影が見えた。石壁の分厚くなっている部分に施設が入っているのだろう。
「すいません」
門前までやってきた僕たちは、待機中の兵士に声を掛けた。彼らのほか、奥に検問所があって、その窓から顔を出している兵士が出入を厳しくチェックしているらしい。
「なんだ、お前たちは」
声を掛けた途端、兵士たちは怪訝な顔をして剣の柄に手を添えた。子ども相手だというのにそんな風に身構えるとは、よっぽどの警戒度合いだ。
「すいません、僕たちは……」
さっきと同様に勲章を取り出し、勇者と従士であることを説明する。ずっと柄に手を触れたままでいた兵たちも、グランウェールの大十字章を目にしたときには目を丸くし、非礼を詫びてきた。
「失礼した。よもや勇者様とは知らず」
「いえ、頼りなく見えるとはよく言われるので」
主にナギちゃんに、だが。
「……それで、リン州へは?」
「ああ、そうだな」
このまま通らせてもらえる、という雰囲気には思えたのだが、兵士は緩々と首を振り、
「残念ながら、今は事情が事情なのでな。勇者様と言えど、通すわけにはいかぬのだ」
「ええ?」
それはないだろうと、セリアが声を上げる。正直僕も、勇者が通れないなら他に誰が通れるのだと言いたくなってしまった。内乱に警戒しているのは分かるが、厳し過ぎではないだろうか。
「……どうしたんです」
ふいに、門の奥から男性の声が聞こえてきた。向こうにいるということは、帝国軍の人間か。
兵士たちはその声がすると、途端に畏まって名前を呼んだ。
「シヴァ様!」
「おや、こんなところに子どもとは……」
シヴァと呼ばれた彼は、どうやら帝国軍の偉い人のようだった。年齢は三十手前くらいで、白黒まだらの短髪がとても目立つ。体つきはすらりとしていて身長は百八十に届くかというところ。その長身に合ったロングソードを背中に提げていた。
「シヴァ様、彼らは勇者様と従士様のようでして」
「ほう……なるほど」
シヴァさんは僕たちのいるところまで近づいてくると、少しだけ身を屈めて話しかけてきた。身長差ゆえに仕方ないけれど、本当に子どもと大人のやりとりという感じで気まずい。
「お初にお目にかかります、私はライン帝国軍第二隊長、シヴァ=リベルグと申します。こんなところで勇者様方にお会いできるとは光栄です」
「トウマ=アサギです」
「セリア=ウェンディですー」
第二隊長ということは、かなりトップに近い存在だ。グランドブリッジは隊長格が時折視察にくるという話だったが、ラインの州境もそれと同じことをしているのかもしれない。
「グランウェールの魔皇を討伐してから、勇者様の情報は入っていないのですが……まさかデリー州から来られるとは」
「まあ、事情がありまして。直接ダグリンに向かえなかったので、こちらから来たんです」
「そうですか……しかし、申し訳ない」
シヴァさんは急に謝罪の言葉を述べる。もしかしたら偉い人の登場で何とかなるかも、と思い始めていたが、これは怪しい雲行きでは。
「こちらとしても事情がありましてね。皇帝直々の命で、たとえ勇者であっても通すわけにはいかないのです」
「こ、皇帝直々……?」
そんな馬鹿な。帝国のトップが、魔皇討伐に来た勇者を近づけないようにしているということなのか。
それって、本当に内乱だけが理由なのだろうか……?
「個人的な考えではありますが、オズワルド様も魔皇討伐に無関心、というわけではないはずです。じきに通行は許可されるでしょう。ですが、今のところはまだ……」
「うーむ、納得のいかない話ねえ」
「申し訳ない。隊長である私も、そこまで警備を固める理由は分からないのです。もちろん、帝都には連絡を入れておきますので」
「ああ、ありがとうございます」
勇者であっても、というのがそれくらい厳しくしろという言葉の綾で、本当に勇者であれば通してもいいという展開になってくれれば楽なのだが。……なんだか一筋縄ではいきそうにないな。
今のところは、この壁を越えてデリー州に移ることは不可能なようだ。
「馬車、待ってもらって良かったわね」
「うん……悩ましいなあ」
事態が好転するまでは、足止めを食らうことになりそうだ。それがなるべく短い期間ならばいいけれども。
「しばらくは、付近の町でお過ごしください。いつになるかは具体的に申し上げられませんが、許可が下りればこちらからお迎えに上がりますよ」
「そ、そこまではしていただかなくても。そうですね……ここから近いニューリイという町に行くことにします。そこに連絡をしてくれたら」
「承知しました。現状をご理解いただき、ありがとうございます」
理解はしていないが、どうしても通してもらえそうにはないのだから、引き下がるしかない。
僕たちはシヴァさんと兵士の二人と別れ、回れ右をして馬車へと戻る羽目になった。
「むう、駄目だったわ」
「やはり勇者様方でも通れませんでしたか」
セリアが愚痴り、御者さんは現況を憂いたように溜息を吐く。彼もラインの国民だ、このような事態を快く思わないのは当然だろう。
「待っててもらってありがとうございます。仕方ないので、ニューリイまで連れて行ってくれますか」
「ああ、もちろん。日が暮れるまでには辿り着けるだろう」
そんなわけで、ここまで来た甲斐もなく、僕たちは州境の門を離れてニューリイの町へと向かった。
はてさて、いつになったらこのデリー州から出られることやら。
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