10.目指した未来のため


 第十研究室から脱出した後、エリスさんはマドック研究所の全職員を緊急招集し、事の仔細を打ち明けた。降って湧いたようなとんでもない事態に、研究員たちは恐慌状態に陥ったのだが、そこは流石エリスさん、冷静に言葉を重ねて、慌てふためく彼らを落ち着け、今後の対応について協議が必要だと説明した。

 僕たちはその隣で、成行を見守らせてもらったけれど、彼女が毅然とした態度で研究員に向けて話すのに、すっかり感心してしまった。ここからはもう、勇者と従士の出番はなさそうだった。

 夜も遅くなっていたので、エリスさんは僕たちに、今日のところはゆっくり休んでほしいと言ってくれた。その言葉に甘え、僕たちは帰らせてもらったのだが、彼女はきっと、寝る間もなく後処理をしていたに違いなかった。そういう責任感のある人だから。

 十分に睡眠をとらせてもらった翌日。朝ご飯を食べ終えてから、僕たちはすぐ研究所に足を運んだ。施設の裏手、第十研究室の入口辺りにはグランウェール兵が数名立っていたたので、昨夜の内に事件のことをセントグランの軍部へ連絡したのだろう。これから軍による捜査が始まる、という感じか。

 ひょっとしたら、グランドブリッジで会ったニーナさんが派遣されているかな、と思ったりもしたのだが、どうやら来ているのはかなり下の兵だけらしい。詰所にいた兵と同じ格好の人ばかりだった。

 兵たちを横目に見つつ、僕たちは入口のインターホンを鳴らす。受付の女性も、今回は事情を理解しているので、すんなりと扉のロックを解除してくれた。自動で開いた扉を抜けて、研究所の中へ入っていく。


「お待ちしてました」


 前日と変わらず、エリスさんは受付で僕たちを迎えてくれる。違うところは、彼女の目に隈が出来ているところと、その手に書類の挟まったバインダーを手にしているところだ。僕たちが様子を見に来るのって、邪魔だったりしないだろうかと少し心配になった。


「第十研究室のこと、どうなりそうですか?」


 応接室に向かう道中で、僕はとりあえず訊ねてみる。エリスさんは書類に目を落としたまま、


「事実は包み隠さず公表することにしました。それについては、昨夜一緒にいてくださったのでお分かりでしょうが、念のため。反対意見もそれなりにはありましたが、時間を掛けて話し合い、公表の方向で固まったというところです」

「……寝ました?」

「一日くらい、研究員ならよくあることですよ」


 しれっとそんなことを言うのもどうかと思うけれど。今日はせめて、ゆっくり休んでほしいものだ。

 廊下を抜け、応接室に入って奥のソファに座らせてもらう。紅茶とお茶菓子をテキパキと用意したエリスさんは、小会議があるのでしばらく待っていてくださいと、早足で部屋を出ていった。正直なところ、彼女の役職は主任なのでそう偉くはないはずなのだが、こうして忙しく走り回っていることからして、実質的には研究所でかなり重要な立場なのだろうな。……ジョイも、期待していたと言っていたし。


「うーん、エリスさんが倒れちゃわないか、心配だなあ」

「だね。サポートできるような人がいればいいけど、部長とか室長とか、まとめ役のしっかりした人はいるのかな」

「エリスさんが一番しっかりしてるって感じ、しちゃうけどね」

「だよねー……」


 研究に必要な能力と、研究所全体をとりまとめるのに必要な能力は違う。そういった意味では、セリアの感覚は正しいように思われた。多分、これから内外の折衝は、エリスさんが担っていくことになりそうだ。

 十分ほどが経ち、エリスさんが戻ってきた。軽く頭を下げつつ、彼女は向かいの席に腰を下ろす。まだバインダーを持っていたが、それはテーブルの上に置いて話を始めた。


「何から話しましょうか……グランウェールの兵士が来ていたのは、ご覧になってますね。組織犯罪の可能性が極めて高いので、王国軍にも報告をすることに決めました。まあ、クライアントが判明するとは思えませんが」

「研究室の奥にあった部屋にも、手がかりみたいなものはなかったんですね」

「実験についてまとめたもの以外には、何も。恐らくですが……彼が言っていたクライアントとは、もう長い間連絡をとっていなかったのではないかと。自分一人が満足いくように、研究を続けていたという印象がありました」

「印象、ですか」

「ええ。それに……証拠とまで言えるかは分かりませんが」


 そう言うと、彼女はテーブルの上に置いていたバインダーをこちらへ向ける。どうやらこれが、第十研究室にあった資料のようだ。

 一番上に挟まっているのは、ジョイが書いたらしい、やたらと文字の間隔の狭い文章と、何を示しているのか分からないグラフが描かれた紙だった。

 

「この文章の中間辺りに、完成体を納品した、という一文があります。完成体というのが何を示しているのかは特定出来なかったのですが、これを書いた日付が三年前で、以降外部とのやりとりを書いたものがなかったことから、一人で研究に浸っていたと推測しました」

「なるほど……」


 確実、とまでは言えないが、考慮に値する情報ではあるだろうな。


「研究の中身としては、彼が話していた通り、善悪の力に関するものがメインだったようです。どうも彼が最後に使用した薬は研究の副産物のようなので、人を魔物化させるような、兵器染みたものを作ろうとしていたわけではないですね」

「あれが副産物、ですか」

「はい。……彼が遺した研究資料には、善悪の力についての仮説として、こう書かれてありました。存在の思想や言動に影響を及ぼす、魂の在り方を変質させる力だと。悪なる力で魔物に変質してしまうのは、それと同時に魔力を取り込んでしまうからでは、と記されていますね」


 バインダーに挟まれた資料を一枚捲って、該当のページを僕たちに提示しつつ、エリスさんは言う。善悪という単語のイメージからすれば、考え方に影響を及ぼす力というのはまあ納得できるな。


「それに関連して、リバンティアの歴史と善悪の力について検証した資料も見つかりました。これを見て、初めて気付かされたのですが、世界情勢が不安定になる時期は、毎回魔王復活前後というタイミングなんですね。ただ単に、魔物の急増などで人々の不安が増していると説明することも出来ますが、もしかすると、そこに悪なる力の影響もあるのかもしれません」


 資料によれば、ライン帝国での内乱や、海賊行為の増加、更には二百年祭事件とそこから連鎖した世界大戦まで。魔王復活とタイミングが重なるという見解が示されていた。悪なる力が世界に満ちることで、魔物が生まれるだけでなく、人の心まで変化してしまう。もしもそうだとすると、非常に恐ろしい話だ。魔王を倒せずにいればいるほど、世界は悪しき思いに溢れることになる。

 善き者である勇者が、根源である悪しき魔王を早急に倒さねば、いけない。


「あと、先代の勇者、グレン=ファルザーの遺体はどうやら本物のようでした。消滅する魔王城から回収したのは、恐らくクライアントなのでしょうが、そんなことが出来るというのは驚きです。勇者以外に、魔王城へ入った者がそもそもいないとされているのに……」

「実は僕、あんまり魔王城のことを良く分かってないんですけど、討伐したら消滅してしまうんですね?」

「ええ、四体の魔皇を倒したとき、世界の中央に魔王城が出現します。勇者と従士はそこへ向かい、中にいる魔王を討伐すれば魔王城は消滅するのです」


 勇者の手記にも、魔皇を全て倒した段階で魔王城が現れた、というのは書かれていた。現れては消える城、か。そういう場所から勇者の死体を回収出来たのは、確かにとんでもないことだ。

 ……勇者と魔王の戦いを、傍で見ていたことになるんじゃないだろうか。


「魔王の姿は勇者以外の誰も見たことがないと言われていますが……そんなことはないのかもしれませんね」

「……ですね」


 ジョイに……いや、マドック家に研究を依頼したクライアントは、どういう存在なのだろう。

 丸っきり分からないけれど、とても気になる存在だった。


「……犠牲になったマギアルの子どもたちは、善悪の力に関係した人体実験をされていたようですが、詳しいことは分かっていません。しかし、あれも今回だけでなく、長年続けられてきたことなのでしょう。事件として表に出なかっただけで」

「あの人自身も、魔物の増加に便乗して被験者を増やした、と言ってましたしね。……エリスさんの言う通りだと思います」

「遺体は……ご家族の元へ帰したいと、思っています。でも、酷い損傷のある遺体を、受け入れてくれるかどうか。それが……心配ですね」

「事実は変わらないですし、偽りなく伝えた上で、心から謝罪するしかないかなって、僕にはそれくらいしか言えませんが」

「私も、それくらいしか。……でも、エリスさんならしっかり果たせると思います」

「……はい。償っていくつもりです。どれほど長い時間がかかろうと、必ず」


 彼女の目には、強い決意があった。重い十字架を背負い、それでも歩いていこうとする決意が。

 僕は彼女の強さを、心から尊敬する。


「この研究所は、王国軍による調査が終了次第、今後の処遇が下されることになっています。存続を許されるかどうか、それはまだ何とも言えませんが、許されるのならば、今度こそ人々の明るい未来のためだけに、研究をしていきたいと思います」

「僕たちも、そうなることを祈ってます」

「頑張ってください、エリスさん!」

「……すいません、トウマさん、セリアさん」


 エリスさんは、ぺこりと頭を下げた。


「魔王討伐の旅で立ち寄っただけの小さな街で、このような事件に巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした。そして、解決に導いてくださったこと、心より感謝しています。私も、ここで罪を償いながら、お二人の旅が順調に進んでいくことを、祈っています」

「お互いの目指す未来のために。頑張っていきましょうね」

「……はい。絶対に挫けません」


 そうして僕たちは最後に、誓いの握手を固く交わしたのだった。





 その日の内に、僕たちはマギアルを出発することにした。事件はひとまず片付いたし、参考人として呼ばれることもないだろうと判断したのだ。エリスさんも、僕たちを引き留めたりはしなかった。

 色々と考えさせられることの多かった滞在だったが、これもまた、僕たちを成長させる糧だと前向きに捉えることにしておく。でなければ、思い出して気持ちが沈みそうにもなってしまうから。

 街を出る直前、僕たちはエリスさんからの贈り物に、驚かされることになった。馬車の停留所へ到着したとき、そこに不思議な乗り物が停まっているのが見えたのだ。

 僕の知っている限り、似ているものを挙げるならばゴルフカートだろうか。薄っぺらい屋根が取り付けられ、車体の左右は殆ど全開、乗り込む部分にだけ腰の高さ辺りまでのドアが付いている。前後にある四つのタイヤは小さめだが、あっちの世界と同じように黒いゴムが使われていた。

 車体の後部には、謎の装置が搭載されている。見た感じ、それが動力源なのだろう。雷魔法をエネルギーに変換する装置、なんていうのを見せてもらったし、それと近いものに違いなかった。

 白衣を着た男性が、その乗り物から下りて、僕たちに向かって手を振ってくる。そこで僕たちは、乗り物が自分たちに用意されたものだと気付かされたのだった。


「お待ちしてました、トウマさん、セリアさん。驚かれたでしょう」

「そりゃあ驚きますよ! 何ですか、これ?」


 僕はこれが乗り物だと大体察せられたのだが、セリアにとっては全く未知の物体のようだ。まあ、この世界にある陸上の乗物って、馬車か自転車くらいだものな。鉄道はまだ見たことないけれど、あるんだろうか。


「これは、マドック研究所が開発中の乗り物なんです。後部に取り付けられた動力装置で、馬の力も人の力も要らずに走る車……仮に自走車と我々は呼んでいます」

「自走車、ですか」


 自動車ではないらしい。これが普及したら、間違えて自動車と言わないように注意しないと、なんて考えてしまった。

 この世界では、画期的な乗り物だな。


「えっと、もしかして……私たちをこれに乗せてくれるんですか?」

「もちろんです。エリス主任から、丁重にお送りするようにと言われてますのでね」

「おー……! 私たち、滅茶苦茶ラッキーじゃない?」

「あはは、そうだね。楽そうだし、面白そうだ」

「馬車よりも早く走れますからね。セントグランまで、なるべく短時間で向かいます」

「あ、そっか。次はもう王都なんだ」

「真っ直ぐ南下していくと、他の町には当たらず王都まで行きますね」


 王都セントグランへ直行、か。予想よりも早いけれど、次の魔皇にも恐れず立ち向かっていくのみだ。足を止めるわけにはいかない。


「じゃあ、ご厚意に甘えて、乗せてもらうとしようか」

「うんうん、早く走るの見てみたい!」


 僕たちは、すぐに自走車の後部座席へ乗り込む。研究員の男性も、運転席へ乗り込むと、車の電源を起動させた。電子的な音とともに、懐かしさすら感じるような揺れが車全体を包む。


「では……セントグランへ向けて、出発します」

「ごー!」


 自走車は滑らかに走り始めた。後ろから聞こえるエンジンの駆動音も割りに静かで、揺れも少なく快適だ。やはり馬車とは乗り心地が違った。


「わー、走ってる走ってる。科学の力って凄いわ!」

「うん。今更ながら実感するなあ」

「むう、トウマが驚かないのがちょっとムカつく」

「仕方ないでしょ。これでも十分驚いてます」


 他愛もないやりとりをしつつ、旅は続いていく。

 少しずつ思い出を増やしながら、約束事を増やしながら。

 小さくなる街を一瞥して、僕は座席に深く体を沈める。

 眠気が襲ってきたけれど、結局僕はずっと、隣ではしゃぐセリアに付き合わされる羽目になるのだった。


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