8.許されざる場所


 空気が淀んでいるようだった。

 古びた蛍光灯が、辛うじてこの空間を照らしている。しかし、それもパチパチと明滅を繰り返す、心許ないものだった。

 僕たちは、ゴミや埃の目立つ階段を、一歩一歩下っていく。途中に折り返す場所があって、百八十度向きを変えると、また下へ。その先に、また扉があった。

 ボロボロの壁面には不釣り合いの、鉄の扉。そこにはプレートが取り付けられていて、『第十研究室』と刻まれていた。魔具を研究していたのが、研究所の一番奥にあった第九研究室だから、それに続く十番目の研究室、という意味なのだろうが……。


「ここもセキュリティがあるんだな……」

「カードがないと入れないってこと?」

「みたいだ。怪しげな雰囲気が凄い漂ってるけど……どうするか」


 ここまで来て、セキュリティに阻まれてしまうとは。まあ、本当に後ろ暗いものがあるのだとしたら、誰でも入れるような場所には置いておかないよなあ。裏口が開いたものだから、もしかしたら鍵を掛け忘れたかと思っていたけど、ここに頑丈な防壁があるからどうでもよかったわけだ。


「……エリスさん、呼んでみる?」

「ううん……そうしてみようか。あの人なら、うん。信頼出来ると思う」


 そう言いつつ、もしもエリスさんがいなかったら……という恐ろしさがないわけではなかった。研究所内部の人間が、ここへ出入りしている怪しい人物だというのがほぼ確定している以上、全員が容疑者なのだ。

 とりあえず、裏口から出て正面玄関へ回る。そして、ドキドキしながらインターホンを押した。こんな時間というのもあって、応答も中々なく、十数秒ほど緊張の中で待たされる。

 そして。


「いらっしゃいませ、マドック研究所です。ただいま業務時間外となっておりますが」


 エリスさんの声だった。僕たちはほっと安堵の息を吐いて、彼女に返事をする。


「すいません、トウマです。……ちょっと事情がありまして。こちらまで出てくることって出来ますか?」

「トウマさんでしたか。……ええ、少しの間なら構いませんが。お待ちくださいね」


 プツリと通話が切れ、それからしばらくしてエリスさんが出てくる。遅い時間なのに、着ているのはまだ白衣だった。


「夜分遅くに申し訳ないです。実は……お伝えし辛いことなんですが、この研究所の良くないウワサを耳にしまして」

「良くないウワサ……ですか?」

「そうなんですよ。深夜に怪しげな物を搬入してるのを目撃したとか」


 セリアがわざとらしく声を潜めて言う。エリスさんは怪訝そうな表情で、


「どこかの研究所が、ここの評判を貶めようとしているのではないでしょうか。私たちはそんな……」

「僕たちも、心配ないことを証明しようとして調べてみたんですけどね。……建物の裏口って、入ったことあります?」

「裏口……いえ。あそこは焼却するものを置いておくスペースと聞いてますので。そこがどうかしましたか?」

「ちょっと、来ていただきたいんです。その裏口まで」


 論より証拠だ。僕たちは混乱しているエリスさんの背中を押すようにして、問題の場所まで連れていく。階段を目にしたときにはまだ半信半疑だった彼女も、第十研究室と記された怪しい扉の前まで来たときには、すっかり青ざめていた。


「こ、これは……こんなものが」

「今まで、ご存知なかったんですね」

「だって、……入りませんよ、こんな場所」


 ゴミ置き場と説明されていれば、普通は入らない場所だろう。そこはエリスさんを責めても仕方がない。むしろ、無関係なことを良かったと思うべきか。


「カードを通すところがあるんです。ロックが解除されるかは分かりませんけど、試してほしくて。それでエリスさんを呼びました」

「……分かりました。私もマドック研究所の主任です。内部に疑わしいことがあれば、詳らかにして正さなければ」


 エリスさんは、僅かに震える手で自身のカードをリーダーに通す。緊張の一瞬だったが、システムはエラー音を発することなく、ロックを解除した。


「……開いた」

「ここだけ個別に設定されてるのではなく、どこかの設定と一緒になっているのかもしれません。理由はどうあれ、開いたのは幸運ですね」

「ええ。この中に、何があるのか……」


 エリスさんを先頭に、僕たちは扉を開いて、第十研究室の中へ入った。

 景色が、がらりと一変する。

 ……最初に感じたのは、青さだった。天井に電灯はなく、代わりに床が青白く光っている。室内は縦長で奥まで伸びており、とても広かった。

 踏み込んだ僕たちは、両脇に並んだ物体に目を奪われた。それは、ホラーゲームなんかであるような、大きな培養装置だった。中は無色の液体で満たされており、生死不明の魔物が浮かんでいる。

 培養装置は、びっしりと部屋の奥まで並んでいた。そして、その全てに何らかの生物、或いは生物の一部が収まっている。展示品のように置かれたそれらは、恐ろしくて吐き気すら催すのに、どうしてか目を背けることが難しかった。

 ……何だ、ここは。


「……魔物で、実験している……?」


 エリスさんがぼそりと呟く。彼女の言う通り、状況からしてここはそういう場所としか思えない。第十研究室の主は、魔物の肉体構造や性質について、研究しているのだろうか。

 しかし、それだけならばわざわざ隠れて地下に研究室を作らなくてもいいはずだ。魔物の研究くらい、堂々と出来るはず。まだ、絶対に秘密がある。ここはまだ、研究室の入口部分に過ぎない。

 培養装置の間を、僕たちは進んでいった。真ん中辺りで二、三段だけ段差があり、それを上がって更に前へ。

 そうして一番奥まで辿り着いたとき、ようやく。僕たちは、この研究室の闇と対峙することになった。


「……嘘……」


 壁際に並んだ培養装置。一番奥にある、横並びになった一列だけは、魔物以外のものが浮かべられていた。

 それを見て、僕とセリアはやっと、マギアルで起きていた事件の真実を知ることとなった。


「……人だ」


 子供だった。

 男の子が、目を閉じたまま液体の中に、ふわふわと浮かんでいる。

 その子の肌には、無数の縫い痕が残されていた。


「嫌……。この研究所で、こんなこと……」


 あまりのショックに、エリスさんはイヤイヤをする子供のように、首を横に振り続けていた。

 僕たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「人体、実験……」


 まさにホラーゲームだな、などと思ってしまう。

 それくらいに、現実味がなかったのだ。

 ここはファンタジーの世界だけれど。それでも、セリアやエリスさんの反応を見ればよく分かる。

 この光景は、あってはならない異常なものなのだと。


「だっ……誰がこんなことを! マドック研究所の歴史に泥を塗るような、悪魔染みた所業を……!」


 エリスさんの言うように、これはあまりにも酷い行いだった。

 きっと、培養液の中に浮かんだ子どもたちはもう、無事とはいえない。彼らの体には例外なく、メスを入れられた痕跡があったからだ。例え生きていたとしても、何らかの実験をされたことは確実で、最悪の場合は、もう……。

 人間が入っていると思わしき培養装置は、ざっと見る限り十個あった。街で広まっていた魔物による被害というのは恐らく、ここで狂った実験を行っている人物が流した嘘の情報。本当は、子どもたちは誘拐され、ここに運ばれて実験されていたのだ。実験後、ここで保管されるか街に捨てられるかという違いはあるが。

 一つ一つ、培養装置の中身を見ていく。男の子、女の子、どれも若い子ばかりだ。装置の下部には、『実験体』というプレートが付けられている。……無限の未来があった子どもたち。そんな彼らの未来は無残にも奪われて、あまつさえこの場所で、こんな風に封じ込められて。惨過ぎる仕打ちに、自然と僕の目から涙が零れ落ちるのが分かった。

 そして、僕は一番端の培養装置の傍までやって来る。ここにも同様に、実験を受けた子どもが浮かべられているのだろう。そう思って、中を覗く。

 しかし、そこに入っていたのは……子どもではなかった。


「……え?」


 そのとき気付いたが、この培養装置だけ、少し他の装置と距離が置いてあった。つまり、ここだけは別の扱いをしているのだ。

 その理由は明白だった。

 この中身は……子どもたち以上に想像を絶するものだったから。


「ト、トウマ。その人……名前……」


 セリアが、装置下部のプレートを指差す。そこには、他のものとは違って個人名が記されていた。

 僕やセリアの知っている……いや、恐らく世界中の殆どの人たちが知っている名前。


「グレン=ファルザー……」


 それは、一代前の勇者の名前だった。


「どういうこと? この中で浮かんでるのって、グレン=ファルザーの遺体ってことなの?」

「ぼ、僕にも分からない……」


 年は二十歳くらい、髪は赤毛。体つきは逞しくて、どこかレオさんを想起させるような雰囲気だった。僕なんかとは違って、勇者らしい風格だ。

 本物のグレン=ファルザーなのかどうかまでは分かるはずもないけれど、苦しい戦いを乗り越えてきた戦士の肉体だ、ということだけは理解出来る。

 そして――遺体には最も目立つものがあった。

 腹部に、深い刺し傷があったのだ。


「貫通してる……これは致命傷だろうな」

「本物だったとしたら、もしかすると……魔王にやられた傷?」

「分からない。でも、鋭い刃物で刺されたような、そんな感じに見える」


 勇者の最期は、この傷が導いたのか。

 ここに浮かぶのが本物のグレン=ファルザーだったならの話だが……。

 他の装置を見ていたエリスさんも近づいてきて、勇者グレンの遺体というとんでもない代物の存在に再び驚愕した。実験された子供たちが浮かんでいるだけでも驚きなのに、過去の勇者まで浸かっているのだから驚かない方がおかしいくらいだ。

 しかし、何故だろう。ごく普通の子どもたちと、勇者グレン。あまりにも違いすぎる存在が、この研究室で同じように培養液に沈められている。納得のいく理由など、思いつけるはずもなかった。

 真実は、犯人にしか分からないだろう。


「……全く、勝手に入って来てしまうとは、礼儀知らずな」


 離れたところから、声が聞こえた。僕たちが来ていた場所の反対側に、その男は立っていた。その奥にまだ部屋があって、今の今まではそちらで作業をしていたようだ。

 男はこちらへ近づいてくる。


「設定を流用したのは間違いだったようですな……」

「……そ、んな……」

「おっと。そんなに驚かれるとはね、エリス主任」


 それはきっと、彼女にとって一番辛い現実だった。

 彼女にとって一番辛い、裏切りだった。


「所長……」

「はは、酷い顔をしているよ」


 ジョイ=マドック所長。

 この研究所のトップである彼が、まさか……犯人だなんて。


「こ、これはどういうことですか、所長! 納得のいく説明をしてください」


 エリスさんが声を荒げるのに対し、ジョイさんはずっと涼しい顔を保ったまま、


「納得、ね。実のところ私は、もう長いことこうした実験をしているのですよ。魔王が復活し、治安が悪くなったために少々調達を増やしましたが」

「それは、どうして……?」

「決まっています。この世の謎を解明し、可能ならば掌握する。そのためですよ」

「何を、仰っているのか……」


 ジョイさんはくっくと笑う。その気味悪い笑い声と表情に、僕は寒気すら感じた。


「グレン=ファルザー。その遺体は正真正銘、本物の遺体です。苦労しましたよ、魔王城は魔王が討伐されれば消えてしまいますからな。しかし、何とか遺体は手に入った。世界にたった一人しか現れない、勇者のサンプルです」

「勇者の、サンプル……」

「グリーンウィッチ・ストーンくらいはご存知だと思いますが、そこに『善き者』と『悪しき魔』という対立するワードが出てきます。これは勇者と魔王を示しているわけですが、勇者と魔王とは要するに、世に満ちる善き力と悪しき力の象徴なのですね」


 碑文を引き合いに出しつつ、ジョイさんは語り始める。自らの悪しき研究、その内容について。


「魔力については、戦いに身を投じる者にとって大事なものですし、生活のエネルギー源として取り入れる技術を生み出しているところもありますから、ある程度研究も進められ、それがどういったエネルギーなのかというのも大方把握されています。魔力研究の書籍まで出版されているくらいですからな。……にも関わらず、魔力と同様、世界に溢れるエネルギーである善悪の力については、全くと言っていいほど研究がなされていない」

「それは……確かに」


 エリスさんは頷く。それを見て、ジョイさんは更に勢い込んで続けた。


「悪しき力は、動植物などを魔物へ変貌させる力を持っている。それほどの力があるのです。そして悪しき力と対立する、善き力もまた、大きな力を秘めているはず」

「所長は……その力を、研究していた」

「そういうことです。もし善悪の力をエネルギーとして使うことが出来るのならば、それはまさしく革命になる。世界中に満ちているというのに誰も興味を示さなかった力。私は、そこに光を当てたかったのですよ」

「つまりジョイさん、勇者グレンの遺体は、善き力の象徴である勇者を徹底的に調べるため、入手したものという事ですか」


 僕が訊ねると、ジョイさんは生徒が問題に答えられたかのように、満足げに頷き、


「ええ、魔王の死骸があったなら、それも研究したかったのですがね。残念ながら入手出来たのは勇者のみでした。いや、それだけでも十分にありがたい」

「研究の理念は凄いと思います。でも、こんなのって酷すぎる。ジョイさんは、心が痛まないんですか? 他の実験方法はなかったんですか?」

「セリアさん。実験に犠牲はつきものです。それに、この研究は私個人のものではない。言うなれば、一つの巨大なプロジェクトなのですよ。これくらいのことを否定して、足を止めるわけにはいかんのです」

「巨大なプロジェクト、ですって……?」


 善悪の力を研究しているのは、ジョイさんによる個人的なものでなく。

 背後に何者かが控える、黒い計画……。

 ジョイさんにとっては、ある意味研究自体が目的にもなっているだろう。普通ならば許されざる行いを、頼まれているからという免罪符で好き放題できる悦び。彼は恐らく、誰かが止めなければいつまでも続けるはずだ。狂気に満ちた研究を。

 だが……それを彼に依頼するクライアントとは、一体誰だ?


「守秘義務、というものがありましてな。私はこの研究を外部に漏らしてはならんのですよ。もちろん、依頼元についても明かせません。……如何に勇者と言えども、この場所を突き止めてしまったからには帰すわけにはいかない。どういうことだか、お分かりになりますな」

「……口は封じる。そういうことですか」

「話が早くて助かります」


 ジョイさんは嘲るように嗤うと、その場で手を打ち鳴らした。何だろうと思っていると、培養装置を破って四匹の魔物が飛び出してくる。ツギハギだらけの、キメラと呼ぶのがしっくりくるような魔物だ。

 改造された、魔物たちの成れの果て。


「エリス主任。貴女にも少なからず期待していたんですがねえ……」


 その言葉は真実だったのかどうか。だが、その真偽に関わらず、もう道を共にすることは、有り得なくて。

 キメラたちは、脚を震わせながら歩き、ジョイさんを守るように並んだ。目は濁っているか潰れていて、まともに見えているとは思えない。それでも、いやだからこそか、不気味な威圧感があった。


「せっかくですし、トウマさんとセリアさんは貴重なサンプルとして、丁重に取り扱ってあげましょう。お二人がエネルギー革命の礎となる。素敵な話でしょう」

「どこが!」


 セリアは吼え、封魔の杖を取り出す。僕も一つ溜め息を吐くと、剣を抜いて構えた。


「封魔の杖……封じられた……おや、何故勇者の剣がないのです?」

「教える義理はないですよ、ジョイさん」

「ふむ、それは大いに残念だ。二対の武具を調べ上げられたなら、クライアントも大満足でしょうが……仕方ありませんな」


 やれやれ、という風にジョイさんは肩をすくめる。そして、目の前に整列した下僕たちに命じた。


「――やりなさい」


 キメラたちが、命令を忠実に実行すべく、襲いかかってくる。

 最早、他の道はなかった。僕たちは武器を強く握り直し、キメラたちを迎え撃った。



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