4.グリーンウィッチ

 宿のお風呂は、シャワーだけの簡易的なものだった。この世界ではむしろこちらが一般的なので、セリアは特に文句も言わず、先に入って汗を流した。

 タオルを首に掛け、彼女は鼻歌を歌いながら戻ってきたのだが、浮かれているせいかパジャマの一番下のボタンが外れたままで、チラチラと臍が見え隠れしていた。そのせいで僕は三分以上も悩んだのだが、結局教えてあげることにして、素直に平手打ちを喰らうのだった。


「じゃ、じゃあ僕もお風呂入るね……」

「い、いってらっしゃい」


 まあ、セリアも悪気がないことは当然分かっているので、それ以上の蟠りはない。お互いにちょっと照れながら、それだけで終われるのは良好な関係だろう。……って、何の分析をしているやら。

 温かいシャワーを全身に浴び、体を清める。そう言えば、元々髪は切らない方だったので、もう長いところでは鼻の辺りまで届いてしまっている。公都に行けば、美容室とかあるんだろうか。どこまで文化の違いがあるのかは、まだハッキリしないな。


「上がったよー」

「おかえりー。これ、二人分持ってきてもらったから、良かったら」


 お風呂上がりの僕に、セリアは冷たいジュースを差し出してくる。さっきの平手打ちに対する謝罪もあるのだろう、僕はありがたく受け取った。

 ジュースもウェルフーズ産の果物が使われているようで、とても濃い味がして美味しい。味わうように少しずつ飲みながら、僕はベッドの横にあるサイドテーブルから正典を手に取って、ソファに座り込んだ。


「これが、カノニア教会が頒布してる本なんだよね。神様の教えを訳しているっていう」

「そうよ。正確には、神様の教えが刻まれた石碑を訳しているってところかしら」

「グリーンウィッチ・ストーンって言ってたっけ……それがその石碑なんだ?」

「ええ。まずは一度、さらっと読んでみるのが良いと思うわ」

「気になってたからね。難しくないといいけど……まあ、目を通してみるよ」


 僕は早速、正典を開いてみる。すると、すぐに隣のスペースにセリアが座ってきた。質問があったらいつでも聞く、ということなのだろうが、横に座られると気恥ずかしいな。

 中身はよくある本と同様で、目次の後に本文が続いている。どうやら始めのページにグリーンウィッチ・ストーンの原文が掲載され、その後から訳と解説をしていくという形式のようだった。

 目次からページを進める。そこに、碑文が記されていた。文章としてはとても短く、僅か一ページだけで収まっている。全文はこうだ。


『始まりの時は刻まれ 三度めぐりて 天地はかたどられた

 光と影に別たれしは その繋がりを断たれた

 光は知を担い 影は魔を担い

 交わらぬ路を行かんとす

 是れ即ち世界開闢かいびゃくなり


 柱は世の礎として 善き者につるぎもたら

 民は劔の下に集いて 悪しき魔を振り払うだろう

 そして善き者の一振りにて 悪しき魔は討たれ

 平穏は繰り返されるだろう


 柱は余りある意思を束ね 世を魔の力で満たす

 力は五つに分けられ 術なき者に術を与えるだろう

 その源は静謐せいひつなるほこらに封じられ

 世を力ある地として繋ぎ止めるだろう


 柱は自らの代行者として 三つの魂を落とす

 世が平穏である限り 魂もまた平穏を保つだろう

 然し災厄の兆し現れたる時 魂は代行者の力を以て

 崩れし世を再び繋ぎ止めんとするだろう

 

 人の子よ 行く路に光あると信じて進み給え

 例え世に悪が蔓延はびころうとも 其れは必ずや振り払われる

 人の子よ 悪に惑わされることなく進み給え

 その路こそが 世を世として繋ぎ止めていくものである』


 ……短い文章には違いないが、やけに固い言葉ばかりで、読んだだけで疲れてしまった。古代に書かれたものだから、こういう感じなんだろうか。


「一応私、原文を覚えようとしたことがあるんだけど、難しすぎて駄目だったな。ぼんやりと意味はとれるんだけど、やっぱりカノニア教会の訳文じゃないと理解は出来ないと思うわ」


 ずい、とセリアが顔を近づけてきて、次のページに進むよう促してくる。本への集中力を途切れさせないよう努めながら、僕はまたページを捲った。

 訳と解説のページに移ると、原文が五つの区切りごとに紹介され、読みやすい文章に変換された上でその文章が示していることが何なのか、細かく説明されていた。例えば、『始まりの時は刻まれ 三度廻りて 天地は模られた』という一文は、世界が誕生し、季節が三度巡ったとき、空気などの環境や今の大陸の形が成立したのだという解説がなされている。原文がそもそも曖昧な文章なので、訳を見てもピンとは来なかったが、なるほどそういう風に書かれているのかと納得は出来た。


「光と影っていうのは善と悪ってことね。当然ながら善が人間で、悪は魔物。それが敵対するようになったと。人間には知識があるけど、魔物は魔力によって相手を支配することしかしない。その対立の構図こそが世界。リバンティアの在り方である……というのが一つ目の訳ね」

「一言でまとめると、世界の始まり、そして人間と魔物の対立ってところか」

「ええ、そうなるわ」


 理解出来たので、次のページへ進む。そこには見覚えのある一文があった。『善き者に劔を齎す』という部分だ。ここが勇者について記されたものに違いない。


「分かるでしょうけど、勇者に関する碑文ね。ここから何度か、柱っていう単語が出てくるけれど、それが神様のことらしいわ」

「ふむふむ。……これは原文でも意味はとりやすいね。でも、ちゃんと書かれてるんだなあ。平穏は繰り返されるって」

「勇者と魔王の戦いが繰り返されることは、神様も予言してるってことね」


 その予言通り、リバンティアの歴史は続いてきたわけだ。


「その次の碑文は、術士について書かれているんだけど、分かるかしら。力が五つに分けられ、術が与えられる……これはまさに、剣術士とか武術士とかのクラスのことよね。スキルというのは、神様が魔物に対抗すべく与えた力らしいわ」

「それも神様が、か。でも、後半がちんぷんかんぷんだな」

「カノニア教会によれば、世界にはパワースポットと呼ぶべきところがあって、そこから魔力が生み出されるんだとか。誰もまだ発見はしていないんだけど、必ずあるってことで定説になっているのよ」

「へえ……」


 考えてみれば、魔力の発生源ってどこなんだろうという疑問はある。魔力を世界に溢れさせる場所が存在するのなら、その疑問も解消されるわけだ。


「で、四番目の碑文なんだけど……これは救世主の碑文とも呼ばれてるわ。世界に絶望的な危機が訪れたとき、三体の神の使いが現れて、世界を救ってくれるだろうっていう。これに関しては、そんな危機が訪れたことがないから、どう解釈しても想像の域を出ないのね、どうしても」

「はは……魔王復活以上の危機ってことだもんね。それこそ世界大戦とかのレベルか……」

「うーん、国同士の戦争は昔あったみたいだし、それがよっぽど酷くならないと、この碑文が何を示してるのかは明らかにならないんでしょうね」

「知りたいけれど、知るときは世界が絶望に染まったとき、か。恐ろしい話だ」

「ねー」


 そんなときが永遠にこないようにと、碑文を知る誰もが思っていることだろう。魔王復活だけでも深刻な問題なのだから。


「最後の碑文は、人間に対しての激励みたいなもんね。これに関しては特に説明もいらないと思う。以上、これがグリーンウィッチ・ストーンの全容よ。原文が短いから、内容もそんなにないし、簡単になら把握は出来たんじゃないかしら」

「うん。勇者と魔王のところが特に知りたかったから、十分だよ。えっと、隣について詳しく教えてくれてありがと、セリア」

「あっ……ま、まあこれくらいはね!」


 いつの間にか、距離がかなり近くなっていたことに気付いたようで、セリアはさっと後ろに下がりながら言った。……別に離れなくても良かったんだけど、なんて。


「ところで、この碑文がグリーンウィッチ・ストーンって名前が付けられたのはどうしてなんだろ。発見した人の名前とかかな?」

「それは、碑文の最後を見てみれば書いてあるわ」


 そう言って、彼女は僕の手から正典を取ると、原文のページを開いて一番下の部分を指で示す。そこには、小さな文字で名前のようなものが記されていた。


『R.O.Greenwitch』


「ね? グリーンウィッチ」

「つまり、碑文を記した人ってわけか」

「神様の声を聞くことの出来た大魔術士って伝説があるんだけど、全くの謎ね。そういう謎に満ちた部分を、ライルさんたち研究者たちはずーっと調べているのよ」

「なるほどなあ……」


 確かに、訳されてはいるものの、曖昧な点は多いしグリーンウィッチという人物についても謎だ。古代のロマン。そういうものが、知的好奇心を駆り立てるんだろうな。僕にもその気持ちはとてもよく理解できた。


「ライルさん、いつか研究が実を結ぶ日が来るといいわね。そのときは、色々とご教授してもらわなきゃ」

「偉くなってたら、忙しくて会えなくなっちゃってるかもなあ」

「えー。そのときはほら、トウマの地位をフル活用して」

「あはは……どうしてもってときはね」


 あんまり勇者の地位を私的には利用したくないけども。


「ふう。とりあえず、気になっていた正典をざっと読むことが出来て良かったよ。説明も適宜してくれてありがとう、セリア。悪しき魔を振り払う、かあ……勇者として、碑文の通り世界に平穏をもたらさないとね」

「ね。全力でフォローさせてもらうから」


 セリアの力強い台詞に胸が温まるのを感じ、僕ははにかんだ。それから正典をパタンと閉じて、サイドテーブルに戻す。


「それじゃあ、今日も早めだけど寝るとしようか?」

「そうしますかー。明日は朝から、ライルさんのところに行かないとだし」


 研究員は好き勝手に寝起きしていると話していたが、ライルさんの生活リズムを聞いてなかったな。まあ、朝に寄らせてもらうとは言っているし、多分寝ているなんてことはないだろう。

 ベッドに入り、電気を消す。おやすみを交わして、布団を被った。

 そして、明日を楽しみに思いながら、今日も眠りにつくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る