3.小さな研究者

 宿に戻った頃には、時刻は六時を過ぎていて、僕もセリアもお腹がぺこぺこになっていた。お昼ご飯を中途半端に食べたから、普段以上に空腹感が襲っているようだ。

 幸いなことに、宿には提携する食堂が入っているようで、一階にある扉を開けばすぐそこが食堂になっていた。受付の女性から話を聞いた僕らはすぐにそこへ向かい、食べたい料理を好きなだけ頼んで、テーブルを料理で埋め尽くすのだった。


「た、頼みすぎたかな……」

「かも……空腹恐るべしね」


 とは言いつつ、二人でもう半分以上は皿を綺麗に出来ている。ここに来てからの自分の食欲には本当に驚かされるばかりだ。……太らなきゃいいんだけど。

 ここの料理は、ウェルフーズと比べるとどうしても劣ってしまうのだが、食材がウェルフーズから運ばれてきたものなので、それほど落差があるわけではなかった。というより、健康を意識してかなり薄味に仕上げているのかもしれないな。これも町の特色な気がする。


「あ……そう言えば、忘れてた」

「何を?」


 僕が急にそんなことを口にしたので、セリアが首を傾げる。


「教会に行く機会があったら、強さを測ってもらいたいなって思ってたんだよ」

「ああ……キルスさんの話が深刻だったから、出てこなかったわね。私も調べてもらおうかと思ってはいたんだけど」

「うーん、明日また行ってみようかな」

「まあ、教会はほとんどの町にあるし、ヒューさんみたいに町を巡回してくれる牧師さんもいるけどね」

「いくらでも機会はある、か」


 まあ、それなら惜しいことをしたと悔やむ必要はないかな。次の機会に調べてもらうことにしよう。

 遅い時間になっても、宿に客の姿はまだなかったが、この食堂にもあまり客の姿はない。席数の割には、ポツポツと離れてテーブルが埋まっている状況だ。外食をする人があまりいないのだろう。客層からして、単身者ばかりに見える。

 ……ただ、僕とセリアのテーブルの隣で、小さな子が一人、黙々とご飯を食べているのは気になった。僕よりは年下に見えるが、中世的な顔立ちなので、男の子か女の子か、判断が付かない。青みがかった柔らかな髪に、サイズを間違えていそうな大きめの眼鏡。ズボンを穿いているので男の子のような印象ではあるが、それでも確かではなかった。


「どしたの?」

「いや、あの子……」

「……可愛いって?」

「いや、そうじゃなくて」


 茶化すセリアの言葉を嗜めて、僕は呟く。


「一人でご飯食べに来てるんだなあって」

「うーん……そうね。ご両親がいない、とかかしら」

「なのかなあ……」


 セリアも気になり始めたようだ。彼女も、両親を魔物に奪われお祖母ちゃんと二人暮らしをしていたから、思うところがあるのだろう。心なしか、目が悲しそうに潤んでいた。


「……あ、あのー……」


 そのとき、食事をしていた彼が、僕らの視線に気づいて声をかけてきた。


「あんまり見られると、食べ辛いのですが……」

「う。ええと……ごめんなさい」

「あ、謝らなくてもいいんです。それだけなので」


 丁寧な口調のその子は、照れた様子で早口にそう言うと、またご飯にフォークを伸ばし始めた。それが不思議と昔の自分に重なってしまう。僕もこんな感じで、人と目を合わせられずにいたものだ。


「……ねえ、君。お節介かもしれないけれど、ご両親は……」

「トウマ……」


 セリアが、僕の袖を軽く引っ張る。そっとしておいた方がいいんじゃないかということだろう。でも、魔物退治で困ってる人を救うのと同じで、他のことでも困ってる人がいれば、救える限りは救って見せるのが、勇者なんじゃないかな。


「……あ、あの」


 彼は、フォークをテーブルの上に置き、俯き加減で言う。僕は、そんな彼の言葉を静かに待った。


「……すいません、それはお節介なのです」

「……え」

「だってボク……成人してますから」

「……え」


 僕だけじゃなく、セリアも目を丸くして固まった。


「えーっ!」


 そして同時に、驚きの声を上げるのだった。


「コホン。……ええと、こんな顔立ちなので、子どもと思われるのも当然なんですが……実際、何度も間違えられたことはあるんですが、ボクは今年で二十歳、れっきとした成人男性なのです」


 彼――男だったようだ――はそう言って、上目遣いに僕たちを見つめる。子どもではなかったが、人見知りするタイプなのは間違いではなさそうだ。


「あはは……失礼しました。一人でぽつんと、ご飯を食べてるものですから……気になってしまって」

「ごめんなさい、ええと……」


 セリアが呼び名に困って言葉を詰まらせると、彼は慌てて、


「あ、すいません。ボクはライル。ライル=クリーズと言います。このノナークの町で、グリーンウィッチ・ストーンの研究をさせてもらってる研究員なのです」

「ライル君……あ、じゃなくてライルさんか。それにしても、貴方が古代の碑文を?」

「はい。まだ新人ではあるのですが、頑張らせてもらってます。碑文の発掘や研究は、幼い頃から憧れてきた道なので」


 ライルさんは目をキラキラと、それこそ子どものように輝かせながら話す。碑文の発掘と研究、か。それを聞くだけでも難しそうな分野だけれど、人は見かけによらないものだ。……って、それは失礼だな。


「ライン帝国からはるばるここまで来たので、こうして一人でご飯を食べてるのは当然なのですよ。まあ、最近はボクのことも知られましたけど、仕事を始めたての頃はお二人のように心配そうに見つめてくる人がよくいました」

「申し訳ないですけど、小さな子が寂しくご飯を食べてるように見えちゃいますからね……」


 黙々と、背中を丸めて食べるのも、そんな印象を強めている。可愛らしくて好感は持てるのだが、本人にとってはコンプレックスなのだろうなあ。


「ボクとしては、お二人のような若者が外食をしているのも些か気にはなります。……まさか、駆け落ちとか……」

「違いますー! 私たちは、勇者と従士なんですっ」

「え。……勇者? って、あの言い伝えの? 碑文にある?」


 勇者というワードを耳にした途端、ライルさんが興奮し始める。ああ、これは研究者だ。この反応で納得出来ました。


「は、はい。魔王が復活したので、イストミアから旅に出て、今日ここへ辿り着いたんです。ほら、勇者の紋もここに」

「わっ、凄い……本物の紋だ……。こんな風になってるんですね……綺麗な十字してる……」

「おー……性格変わったわね……」


 流石にセリアも、ちょっと引き気味だ。ショタっ子オタクって中々珍しいジャンルだもんね……。


「ま、まさかこのような場所で勇者様にお会いできるとは……ここで働いて正解でした。夢のようです」

「そこまでのことじゃあ……いや、勇者は僕一人だからまあ、確率的には凄いことなのか」


 ライルさんの他にも、これくらい切実に勇者に会いたいと思ってる人が沢山いるんだろうな。そんな人が僕を見たら、拍子抜けしたりしないだろうか。その辺がちょっと心配になった。


「すいません、ちょっと取り乱してしまって。興味が湧いたものには飛びついてしまう性格で……何だかんだボクも、お二人の邪魔になっちゃってますね」

「そんなことないですよ、私たちはもうほとんど食べ終わってますから」

「ううむ、それなら良いんですが。直したい癖なんですよね、ボクの」

「直すのは難しそうですね……はは。まあ、頑張ってください」

「ありがとうございますー」


 子供と大人が入り混じったような人だなあ、と感じる。でも、探究心や好奇心というのは、子供らしい感覚に違いないか。


「ボクは、この町の北部にある博物館で、日々研究に勤しんでるんです。規模が小さくてお客さんはあまりいないのですが、グリーンウィッチ・ストーンが発掘された地でもあるので、石碑の現物が全て展示されているんですよ」

「それは有名ですよね。教会が正典を流布してる今、わざわざ石碑を見に来る人はそりゃあ、少ないんでしょうけど」

「内容は同じですしね。これが時代の移り変わりというか。いや、カノニア教会には感謝しているのですが」


 ライルさんは慌てて付け足す。良好な関係のために、下手なことは言えないのだろう。


「もし、ノナークから出発する前に時間があるなら、研究所に来ていただけませんか? 他の研究員の皆さんも喜ぶでしょうし、色々面白いこともお話出来ると思います」

「そうですね。別に構わないよね、セリア?」

「うん。長旅だし、せっかくなら魔物退治ばかりじゃなくて、いろんな経験がしたいものね」

「同じく。……じゃあ、明日の朝にでも寄らせてもらっていいですか?」

「勿論です! お待ちしてますので、いつでも来ていただければ。食事の時間以外は基本的にデスクワークですからね」


 にっこりと笑うライルさんはもう、プレゼントをもらった子どもにしか見えなかった。思わず頭を撫でたくなってしまう。


「いやあ、最初は怖かったですけど、素性が分かってみれば、誰かと食べるご飯もいいものだなって思えてきました。ラインのお父さんとお母さん、元気にしてるかなあー……」

「同じ研究員の人とは、ご飯を食べたりしないんだ」

「食べる時間、いやそれどころか生活リズムも中々バラバラですから。研究所が寝泊りする場所でもあるので、畢竟、全員が好き勝手に働くんです」

「そ、それは凄い……」


 自由な職場と言えば聞こえはいいが、連携は皆無のようだ。


「はは……だから、声をかけてくださったのもありがたかったです。ふう、美味しかった」


 ライルさんも料理を食べ終える。そして紙ナプキンで口元を軽く拭うと、プレートを持って立ち上がった。


「じゃあ、僕はこれで。明日を楽しみにしてますね」

「はい、僕たちもです。……また明日」


 軽く礼をして別れる。ライルさんはカウンターにプレートを返しに行って、そのまま食堂側の出口から外へ出ていった。


「何だか、今日はいろんな人からお誘いを受けるね」

「そうねー。トウマ、誘われやすそうな感じだもん」


 それはいい事なのか悪いことなのか。騙されやすいと言われているようにも聞こえるのだが。


「ま、私も楽しみだな。碑文のことは興味があるし、後は単純に、ライルさん面白そうだし」

「あはは……面と向かって言っちゃ駄目だよ」

「言いませんっ。……さ、私たちも片付けて帰りましょ。運動したからいい具合に疲れたわ」


 セリアがプレートを手に立ち上がる。僕もその後に続いて、食堂のおばさんに食器を返し、美味しかったですとお礼を言った。普段言われ慣れていないのか、おばさんはきょとんとした様子で、


「はあ。お口に合ったようなら良かったです」


 と、小さな声で答える。そんなおばさんに伝票通りの金額を払って、僕たちは宿の部屋に戻るのだった。

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