序章

0.屋上より

 僕は浅木刀真あさぎとうま、十八歳。

 今、校舎の屋上から真っ逆さまに転落している。


どうしてこんなことになってしまったのか。

墜落していく僅かな時間で、僕は走馬燈のように思い返す。……


 三年間通い続けた高校の、卒業式の日。僕は幼馴染であり頼れる姉のようでもある水間明日花みずまあすか に、いつの間にやら芽生えた恋心を伝えようと一大決心を固めていた。

 だから僕は、前日に彼女へ連絡を入れ、お願いしておいたのだ。卒業式が終わってから、少し時間がほしい、と。

 分かった、と返信が来てからは、緊張でガチガチになって満足に眠ることも出来なかった。


 朝のニュース番組では、日本のどこかで凶悪な事件が起きたとか、外国の天文台が何故かチカチカ光ったとか、今夜は流星群が全国的にみられるとか、色んな出来事を紹介していたが、何となくいつも見ていた星占いのコーナーで、今日の運勢が一位だと発表されると、こんなときだけ運命を感じて喜んでしまったりもした。

 いける。そう自分に強く言い聞かせて、僕は決戦の地へと旅立ったのである。


 殆どの生徒が、感極まって瞳を潤ませる中で、典型的な陰キャラである僕はただただこの後のことをシミュレーションしていた。そして、僕にとっては退屈な式が終わり、教室で担任から卒業証書と餞別の言葉をもらって解散すると、ギクシャクした足取りで待ち合わせの場所へと向かった。


 待ち合わせ場所は、最初体育館の裏を選んでいた。しかし、明日花の方が屋上で待ち合わせようと提案してきた。屋上は随分前から生徒の立ち入りが禁止されていたけれど、確かにそこならかえって誰にも邪魔されないかと、僕もそこで待ち合わせることに賛成していた。

 どうしてだろう、という疑問が無かったわけではないが、告白を前にした僕にとって、その疑問は些末なこととしか思えなかった。


 明日花は、ちゃんと待っていてくれた。ホッとして彼女に駆け寄った僕は、どうでもいいやりとりを繰り返しながら、タイミングを伺って。ようやく覚悟が決まったとき、真剣な眼差しとともに彼女の名前を呼ぶ。


「明日花」


 彼女も予感はあったのだろう、僕の呼び掛けに少しだけ身を硬くして、静かにこちらを見つめ返した。


「僕は――君のことが好きだ!」


 言えたじゃないか。ちょっぴり上ずった、情けない声だったけれど。長年の思いを口にすることがとうとうできたのだ。さあ、後は待つだけだと、僕は胸の高鳴りが最高潮に達するのを感じながら、明日花をじっと見つめた。


 彼女は、俯いたまましばらくの間もじもじしていた。……ひょっとして? その仕草に、僕は期待せざるを得なかった。僕の告白に照れてくれているなら、それはもうオッケーということなのでは?


 明日花との日々を思い出し、自然と頬が緩んだ。弱虫な自分と仲良くしてくれた彼女。手を差し伸べてくれた彼女。これからは友達としてじゃなく、本当の彼女として――。


「――ごめん!」


 え?

 と、声を出す暇も無かった。

 ドン、と胸に衝撃。

 そして、僕は古びた手すりに背中を強打した。

 もしかして、僕。

 フラれた?

 そうよぎったのも束の間、

 錆び切った手すりは儚くもバキリと音を立てて折れ、

 ごめんね、がわんわんと頭の中でリフレインする僕は、突き飛ばされた勢いそのままに、

 空中に身を躍らせていた。


 なんて……。

 なんて情けない人生の終わりなんだろう?

 これなら、最初から明日花が来なかった方がまだマシだったと嘆きながら。

 僕は格好悪い叫び声を上げ、転落していくのだった。


 ねえ神様、ちょっと酷すぎじゃないですか?

 僕は最後に、そんなことを思っていた。

 僕、大好きだった女の子にフラれて、突き飛ばされて。それが原因で死ぬんですか?

 ねえ神様、僕が救われるような世界はないんですか――。



 意識が飛んでしまったせいなのか。

 地面の感触も痛みも、いつまでも訪れはしなかった。

 代わりに、どこか温かな光が……僕を満たしたような気がした。

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