一章 光の向こう側には
1.始まりの草原で
頭の痛みに目が覚めた。
重いまぶたを開くと、目の前にはどこまでも広がるような青空があった。
……さっきまでの記憶が蘇ってくる。
僕は確か、屋上から真っ逆さまに転落したんだったっけ。
幼馴染に突き飛ばされて、そのまま落ちていったんだ。
まるで、悪夢みたいな一瞬だった。
色々なものが否定されてしまったような。
ふう、と息を吐く。
最後にみた景色も、青空だった。
そして今、僕は仰向けで倒れている。
……え?
――ひょっとして、僕……生きてる?
「え!?」
あまりにもびっくりして、僕は勢いよく起き上がった。途端、鋭い頭の痛みが走ってこめかみのあたりを押さえる。……痛覚も確かにあるし、少なくとも夢とかそういうのじゃないらしい。
何かがクッションになったんだろうか。そう思い、伏せっていた地面を見てみるが、背の低い草が生い茂っているだけで、とても四階建ての校舎の屋上から落ちて無事でいられるはずはなさそうだった。
――って、あれ?
どうして僕の視界に、校舎が映らなかったんだろうか。すぐ近くにあるし、絶対に目に入るくらい大きな建物なのに。
それに、校舎の周りって、こんな風に草が生えてたりしなかったような……。
「…………」
周囲をぐるりと見まわす。
そこは、一面の大草原。
所々にごつごつとした岩が転がっていたり、細長い木が立っていたりするだけの、見たこともない風景。
やっぱり夢なんじゃないかと結論づけたくなるくらいに、今までいた日常とはかけ離れた風景だった。
「そうか……ここが天国なんだね……」
思わずそう独り言ちてしまう。でも、死んで天国に来たのなら、痛みとか感じるものだろうか。それに、もしもここが天国だったなら、こんな風に無責任に投げ出されたりせず、天使の案内とかそういうものがありそうだけど。勝手な想像として。
……草の匂い。風の涼しさ。鳥の声。陽の光。
それらを感じるこの体は、どうしても死んでしまったようには思えない。
何やらとんでもない異常事態が起きてしまったみたいだが、少なくとも、僕はここに生きているようだ。
だったら、とりあえずはここがどこなのか、自分の身に何が起きたのかを知るために、立ち上がって歩き出してみることにしよう。というか、そうしなくちゃ気が滅入る。
髪や服についた草や土を払いつつ、僕はよいしょと起き上がる。服装は、さっきまでと同じ学校の制服だ。考えられるとしたら、意識を失った後に誰かが僕を連れ去って、こんな何もない原っぱに置いていったくらいしか浮かばないが、それだってあまりにも荒唐無稽だ。
そもそも、こんなに広い草原って、日本にあるものなのか。むしろテレビで見るような、外国の風景のように思える。そんな遠くまで僕を運ぶ理由って、一体どんな理由なんだ。
とにかく、何か情報になりそうなものを見つけなければ。こんなところだけど、どこかに人がいるような場所はないだろうか。僕は歩き始めながら、遠くの方に目を凝らしてみた。
「……ん?」
すると、案外すぐに、建物が密集しているところを見つけることが出来た。どれも一軒家で、日本じゃあまり見ないような洋風の外観だ。信じられないが、僕は本当に外国まで拉致されたのかもしれない。学校じゃ英語の成績なんて二だったし、それ以前に英語圏かすらも不明だし、もしも言葉が全然通じなかったらと思うと、さっき草原にぽつりと投げ出されていたのを認識したとき以上に、不安な気持ちが膨れ上がってきた。
そのとき、ふいに背後から、がさがさという物音がした。草が風に揺られて立てた音かとも思ったが、ちょっと違う気がする。どちらかと言えば、誰かが草を踏みしめた音のように聞こえた。
人がいるなら、話を聞いてみるしかない。どうか言葉が、出来れば日本語が通じる人であってくれ。そう祈りつつ、僕はゆっくりと音のした方へ振り返った。
……そこには。
今まで見たこともない生物がいた。
「……は?」
いや、訂正すべきかもしれない。似たようなものを見たことはある。ただし、それはあくまで僕の大好きだったアニメとかゲームとか、そういうファンタジーもののお話の中だけで。
そんなものは絶対に、現実には存在しないはずなのに。
僕の目の前に立ち塞がるそれは、間違いなくそれだった。
いわゆるモンスターと呼ばれるような……そんな非現実的な生命体だった。
「な、何だこれ……」
そんな言葉がぽつりと零れる。驚きのあまり、目を逸らせずに後退りするしかない。だってこんな有り得ないモノを見たら、きっと誰だってこんな風になるに違いない。
まるで水色のグミが巨大化したみたいな見た目。どこにも目や口は見当たらないが、それが動く度に小さく水の跳ねる音がする。内部はやはり水分というわけか。
これは、そう――スライムというやつだ。
動きは遅い。敵対心を見せなければ逃げられるだろう。一瞬だけそう思ったのが甘かった。スライムは自分の体をバネのようにして、勢いよくこちらに飛びかかってきたのだ。僕は慌てて横っ飛びに躱し、体勢を立て直した。
夢じゃない、天国でもない。今見ている光景はホンモノだ。理解することは出来なかったが、受け入れなければ命取りになる。この瞬間だけは、状況を受け止めて対峙しなければまずい。ああもう、何でこんなことに!
スライムの周りを、距離を保ったまま走り回る。何か武器になるものが落ちていないかと思ったのだ。すると、運の良いことにそれなりに長さのある棒切れが見つかった。これだけでも、素手よりは随分マシだ。
両手でしっかりと棒切れを握る。たまに使っていた木刀とは天と地ほどの差があるけれど、同じようにやればいいだけだ、大丈夫。
「えい!」
スライムの動き自体は鈍いので、後ろをとってすぐさま突きを繰り出す。棒切れはスライムの体に刺さり、傷口からは濃い水色の体液が噴き出した。それなりにダメージは与えられただろう。
まだ小学校に上がったばかりのころ、貧弱な体つきのせいでいじめられていた僕を守ってくれた明日花。そんな明日花に勧められて、気乗りしないながらも時々練習していた剣道だったが、まさかそれがこんな形で役に立つとは。世の中何が起きるか分からないものだ。本当に。
明日花だって、確か思いつきで剣道を勧めてきただけだ。僕の手の甲に、十字の痣があるのを発見して、まるで剣みたいでカッコイイ、なんて言っていたのを思い出す。まあ、悪い気はしなかったんだけど。
攻撃を受けたスライムは、怒ったのかどうかはともかく、反撃すべくスーパーボールのように跳ねて襲ってくる。それをすんでのところで避けながら、僕は隙あらばスライムの体を突き刺した。穴が開き、体液が飛び散る。決定打ではないものの、着実に傷は負わせられている。このままいけばきっと倒せるはず――。
「ぐっ……!?」
瞬間、焼けるような痛みを脚に感じた。スライムが僕に向けて、体液を噴きかけてきたようだ。量は僅かだったが、脚にまとわりついた液がズボンを溶かし、皮膚は火傷したように赤くなっていた。
そうか、溶解液なんてファンタジーなら常識だよなあ……。何だかんだいって、まだ現状を受け止めきれてなかったんだと反省する。ゲーム脳で考えていれば、こんなことにはならなかったのに。
脚の痛みに尻もちをついてしまう。それをスライムが見逃すわけはなかった。最後の一撃をお見舞いしてやろうとばかりに、じりじりと近づいてくる。
絶望的な状況に、僕は死を覚悟した。……本日二度目の覚悟だ。つくづくあり得ない最期だった。
――と。
「エレク!」
遠くからそんな声がしたかと思った次の瞬間、スライムに向かって光が駆け抜け、ぶつかった。そしてスライムはバチバチと音を立てながら、言葉通り弾け飛んでしまったのだった。
全ては一瞬の出来事だった。
「ねえ、大丈夫!?」
光の飛んできた先から、一人の少女が駆け寄ってきた。どうやら僕がモンスターに襲われているのを目撃して、助けに来てくれたらしい。
「あ、ありがとうございます……」
お礼を言いつつ、僕は傍にやって来た彼女の顔を、見上げる。
黒いセミロングの髪。くりくりとした瞳。
……その顔は、何故だか見覚えのある、可愛らしい顔だった。
「……あ……」
「どうしたの? 歩けない?」
そのとき僕は、魔物が現れた驚きや、魔法を目にした驚きや、言葉が通じた驚きなんて全部吹き飛んで。
ここにいる少女が、僕の恋した幼馴染にとてもよく似ているという事実に、ただただ呆然としていた。
これが、僕と彼女、セリア=ウェンディの出会いだった。
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