第13話

待ち合わせに来ている彼女に近づくと彼女は10メートルほどの距離で僕の姿を認めた。

微笑みながら手を振っている。

彼女の後ろから光が差していて、彼女の髪の毛に反射してその光が僕の目の奥まで届くような強さをもっていた。

僕は眩しいと思った。

僕はそのとき多分笑っていたように思う。

ぎこちないくらい大きく口を開いていたのだろうか。

彼女は僕の顔をみてさらに口角が上がった。

白い、歯並びの良い歯が、薄いピンクの唇のなかに行儀よく並んでいた。

「おはようございます」

彼女の方から声が出た。

「おはよー」

僕も本当は敬語を使いたかった。

おたがいに第一声は敬語で行きたかったような気がした。

でも僕は彼女より年上なのだという思いが心のなかで言葉を選んでいた。

「この映画はどうかなと思って」

僕は調べてきた映画のサイトをスマホに映し出し、それを彼女に見せた。

彼女は僕の差し出したスマホに顔を近づけた。

彼女の側からすると反対で見にくかったのだろう。

彼女は僕の隣に並んで顔をスマホに近づけた。

彼女の顔が僕の手の先にぐっと近づいている。

彼女の息が僕の手のひらに伝わるようだった。

その瞬間彼女の髪が僕の鼻の先に触れた。

シャンプーの臭いがした。

どういうのだろう。

言葉では表現できないほどの甘い匂い。

家では嗅ぐことのできない優しい匂いだった。

匂いなどという通俗的な言葉では表現したくないほど僕には貴意のあるものだった。僕は息を呑んだ。

息を呑む。

そんな言葉がぴったりとするだろう。

呼吸ができないほどのインパクトを僕に与えた。

僕は思わず彼女の手を取った。

自然な行為だったと思う。

彼女は僕の手が自分の腕のところに絡みついているのが分かっていながら無視するかのように動じなかった。

気が付いていないのだろうか。

そんなはずはない。

特に女の子は触られることに敏感なはずだ。

いや、男だっていきなり体に触れられるとびくっと反応する。

彼女は何の反応もしなかった。

僕はそんなに力を入れなかった。

そっと腕の関節に手を添えるような形で彼女の態勢をフォローしていただけなのだ。

だからなのか。

それとも、僕に触られていることを容認しているのだろうか。

だったら僕のことを体で受け入れてくれているのか。

僕は数秒間でそこまで夢想していた。

脳細胞がフル回転していたのだ。

全神経が指先に集中している。

彼女のか細い腕の関節の感覚を探っていた。

「面白そう」

彼女は顔を上げるとひとこと言った。

その瞬間僕の手が彼女の腕から離れた。

彼女は態勢を入れ替えて僕の正面になった。「

上映開始が1時間後だから急ごうか」

僕たちは電車に乗った。

空いていたので並んで座った。

次の駅で混んできた。

席もいっぱいになった。

自然と彼女の上腕部と僕の上腕部が触れ合う。

最初に触れたとき僕は動揺した。

今日は体全体が鋭敏になっている。

僕は動揺を隠そうとして彼女に言葉を投げた。

「もう部活は全然してないの」

「そう」

「じゃあすぐに帰宅だ」

「そう」

彼女は僕に顔向けて話す。

体が僕の方に向くので斜めになる。

そうなるともう彼女の腕や肩が僕の体に触れる角度ではなくなる。

言葉を発したことが後悔された。

「峯村さんは受験勉強で忙しいでしょ」

彼女は僕の目を覗き込むような瞳を向けた。

僕はその瞳のなかに自分の顔が写っているのが見えた。

「順調だよ。この前の摸試ではB判定になったし」

彼女はB判定という意味が理解できなかったようだった。

困惑の色が瞳や口元に現れている。

そこで摸試の説明をした。

そんなことをしているうちに映画館のあるターミナル駅に着いた。

乗客が一斉に降りる。

立ち上がってドアに向かうと人が立て込んでいた。

ドアが開くと慌ただしく人が下りる。

そのとき、彼女は僕の腕をつかんだ。

人の波が怖かったのだろうか。

電車から降りるとき、人は緊張する。

その緊張感が僕の腕を取り、支えにすることで彼女に安心感を与えるのだろうか。彼女は「すいません」と声を出した。

僕は彼女の手が僕の腕を離れる瞬間に掴んで、手のひらを合わせた。

手の指を絡ませて手をつないだのだ。

彼女の顔が紅潮しているようだった。

俯く。

そんな彼女の表情が僕の心を沸き立たせた。

そのまま改札口まで行った。

僕はあらかじめカードを出していたので彼女の手を離さなかったが、彼女はリックのなかにカードがあったらしく、リックを肩から外してなかからカードを出した。もう手をつなぐことが出来なかった。

そのまま改札を出て、映画館まで歩いた。

その間、僕は彼女の手を取ることが出来なかった。

手を出すタイミングがなかった。

映画館の前に着いたのは上映開始時間の20分前だった。

僕は彼女のために飲み物を買った。

ロビーで並んで座った。

彼女はこれから観る映画のパンフレットに見入っていた。

手をつないだことを忘れているかのように。

僕は彼女の手の温もりだけを思い出していた。

今すぐにでもまた彼女の手を取りたかった。




#14に続く。





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