第8話
彼女が親に「高校へ行きたいか」と聞かれたことを知ると僕までが暗い気持ちになった。
高校はどんな奴でも行くものと思っていたからだ。
それなのに、彼女の親は高校へは行かせたくないような感じがするのだ。
「だから答えたの」
「何て」
「分からないって」
「そうして」
「そうしないとダメだと思ったから」
「嘘だろ」
「本当です」
敬語になった。
「高校は今や義務教育のようなもんだと思うよ。将来働くにも中卒じゃあまともな仕事がやれないもの」
「そうなんですか」
「そうだよ。それに高校にもいかせられない理由があるのですか」
僕も敬語になった。
「うちは母子家庭だから」
「お金に困っているの」
「お金のことは詳しく知らないけど、そうなのかも知れない」
「でも高校へは行けると思うよ。アルバイトだってできるんだし」
「そうですよね」
「そうだよ。先生に相談してみたら」
「まだお母さんが高校へ行ってはダメと言ったわけじゃないから」
「じゃあちゃんと受験のことを考えた方がいいんじゃない。まずお母さんと話しなよ」
「そうですね」
彼女の俯き加減な顔にほのかな赤みがさしてきた。
彼女にそんな重大な悩みがあるとは知らなかったし、想像も出来なかった。
「峯村さんはどんな高校を受けるの」
「公立高校だよ。自分の実力で受かるところに行ければいいと思ってる」
「勉強は大変ですか」
「塾に週に2回は通っているからね。うちの場合どうしても公立じゃなくても私立の大学の付属高校なら大学受験もしなくていいしとか親が言っているけど、僕は公立に行きたいんだ」
「私は高校生活がどうしてもイメージできないんです」
「どうして」
「思いつかない」
「行きたくないの」
「学校は嫌いじゃないんです」
「お母さんに負担をかけたくないと思っているからかなあ」
「それは分かりません」
僕はしばらく言葉を続けられなかった。
こんな話題にしたのを失敗したと思っていた。
せっかくの初デートでいきなり重くて暗い話になってしまった。
台無しだ。話題を切り替えたいと思ってもすぐに思いつかない。
焦る気持ちが余計に重しになって僕の口を閉ざしていた。
「映画は好きですか」
いきなり彼女が聞いてきた。
彼女もこの思い空気を変えたいと思っているようだった。
「好きだけど」
僕はほんの少し口元を緩ませた。
「じゃあ、映画を観ませんか」
「いいけど」
「いま、何をやっているのかな」
「映画館の前に行ってみようか」
僕たちは3階にあるシアターセクションに向かった。
大きくて広いロビーには現在上映中の映画が液晶パネルに映し出されていた。
外国映画が3本に日本映画が2本、子供向けのアニメが1本だった。
「どれ観る?」
「そうだなあ、アニメにしようか」
アニメは動物ものだった。
熊のキャラクターが仲間を守るために悪い人間たちを懲らしめるという外国のアニメだった。
10個ほどある大型パネルの液晶画面には次回上映の作品も映し出されていた。
そこには僕が見たかった外国映画のスパイものが予告されていた。
「次回上映予定に面白そうなものがあるけど」
彼女もその画面を観た。
「じゃあ、映画は次回にしましょうか」
彼女の口から次回という話が出た。
その言葉を聞いて僕ははっと目が覚める思いがした。
彼女の悩みをちゃんと聞いてあげなければならない。
初デートだから楽しさばかりを求めていた自分に気が付いた。
彼女の悩みを聞いてあげて彼女の心の負担を軽くできなければ自分の存在なんて何もない、そこまで考えてしまった。
「じゃあ、観覧車にでも乗る?」
「いいですねぇ」
彼女はくるりと転換をすると歩き出した。
僕はそのあとをついて歩き出した。少し速足になって彼女と並んだ。
「本当は見たい映画があったんじゃないの」
「そんなことないよ」
彼女は僕の目を見て笑っていた。笑うと頬にえくぼができる。
「いつ上映になるんだろうか」
「ホームページで確認すれば分かるよ」
「そうだね」
僕たちは大観覧車の前に来た。
子供連れが並んでいた。
僕たちは10番目くらいだった。
空を見上げると雲がひとつもなかった。
空気がなま暖かい。
春の典型的な一日だ。
僕と彼女は順番が来て、観覧車に乗り込んだ。
ゆっくりと上に上がっていく。
高さを増すと景色の大きさが変わってきた。
地平線の先まで見えるようになった。
僕たちが住んでいる町も見えてきた。
彼女が見上げていた桜の木がある公園の緑も見えた。
「あそこだね、僕たちの街は」
「そうですね」
「ここから見ると意外に小さな街だよね」
「そう、まわりは工場とか倉庫ばかりだから余計にそう見えるのかも」
「畑もけっこうあるよね」
「ずっと向こうの方まで行ってみたい」
「ずっと向こうには何があるのかな」
「分からないけど行きたい」
「そう」
僕はひとこと答えるのが精いっぱいだった。
#9に続く。
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