第7話
彼女は何回か来たことのあるような足取りで店に入っていった。
僕はただ彼女の後をついていくだけだ。
ずらりとシャープペンが並ぶ一角に替え芯の束があった。
彼女が手に取ったのは2Bの0.5mmのものだった。
それを2個つかんでレジに行く。
可愛いピンクの財布から小銭を出して支払いを済ませると
「ごめんね、じゃあ行こ」と言った。
「行こ」か、馴染んだ言葉だった。
僕は嬉しくれ嬉しくて、微笑んでいるだけだった。
「フードコートって3階だっけ」
「そうだよ。でも洋服とか見ないの」
「いつもお母さんと来る時しか見ない。だって買いたくなったら困るもん」
明るい表情だった。公園の桜の木を見上げていたときの表情とはまるで違う。
それとも同じ表情だったのを僕が勝手に想像していただけかもしれない。
僕が彼女の淋しさを心のなかで作っていたのかもしれない。
彼女は明るい人なのだ。
悩みとか孤独とか無い人なのではないかと感じた。
エレベーターを昇ってフードコートをに出た。
ファーストフードの店がずらりと並び、客席が巨大な空間に無数にある。
いったいどれくらいの人が座れるのか分からないが、もすかすると僕の学校の全生徒の倍くらいの人数が座れるだけの椅子があるようだった。
まだ開店してほどない時間だったので人影はまばらだった。
店で働く人たちも準備で忙しく動いていた。
僕は窓際の隅に二人掛けのテーブル席を見つけた。
そこに対面で座り
「何か飲み物を買ってくるよ。君は何がいい」
「ジュースなら何でも」
僕はハンバーガー屋さんでオレンジジュースをふたつ頼んだ。
トレーに乗せて彼女の座っている席まで運んだ。
「お金払います」
また敬語になっている。
「いた、いいよ」
彼女は微笑んだ。
「ありがとうございます」
「オレンジでよかった?」
「大好きです」
奢ってもらったからか、敬語が続く。
僕はジュースを一口飲むと
「何で毎日桜の木を見ていたの」
と彼女に聞いた。
彼女は僕の目を見つめていた。
すぐに言葉が出なかった。
「桜の木は花が散るとそこにはもう次の年に咲く花の赤ちゃんがいるんですよ」
僕は驚いた。
そんな話は聞いたことがなかったからだった。
「君にはそれが見えるの」
「だから見ていたんです」
「でも咲き始めのときからずっと見ていたよね」
「だって咲いているから」
「何を考えていたの」
「何にも」
「毎日同じ姿勢であそこに立っていたから少し驚いた」
「そうなの」
いきなり敬語が消えた。
「どうして毎日見上げているのだろうと思ってた」
「わたしも見られているなと思った」
「何だか悪いことしちゃったね」
「そんなことない」
「でも見られていることに気が付いているようには感じられなかった」
「ちゃんと感じていた」
「見られて不愉快にならなかったの」
「別に、気にもしなかった」
「僕が近づいていったら怖くなかった?」
「何言われるんだろうと思った」
「挨拶したかったんだ」
「安心した」
「良かった、怒って行ってしまうと思ってた」
「どうして」
「怖いだろ。知らない人だし」
「大人だったら怖いけど高校生だもん」
「まだ子供だからということ」
「そうとも言える」
「まあそうだね」
「でも嬉しかったとも言える」
「どうして」
「高校生だから」
「高校生が好きなの」
「そうじゃない」
「じゃあどうして」
「私も早く高校生になりたいから」
「受験があるよ」
「行きたい学校決まってるから」
「そうなんだ」
僕は彼女がどんな高校に行きたいか聞こうとする直前に言葉を呑んだ。
それは今聞いてはいけないと思った。
彼女はやがて受験勉強で忙しくなる。
そうなると僕と会うなんてことは出来なくなる。
そうなればこれが最後のデートになるのかと悲観的になった。
いつもネガティブに考えてしまうのが僕の性格だった。
「受験は大変でした?」
また敬語だ。
「別に普通だよ」
「普通って」
「特別に勉強しなかったということ」
「推薦で入ったんですか」
「違うよ。ちゃんと受験したさ。だって公立だもん」
「じゃあ頭がいいんだ」
「塾には行ったよ」
「じゃあ普通じゃないですか」
「塾に行くのは普通だろ」
「私は塾には行ってないから」
「でも3年生になったら行くだろ」
「行けないの」
「どうして」
彼女は目を逸らした。
いけないことを聞いたんじゃないかと瞬間的に思った。事情がある子なんだということがそのとき初めて分かった。
「親は本当に高校に行くのかとか聞いてくるし」
「今どきみんな行くでしょ」
僕は驚いた。
親が高校に行くかどうか子供に聞くなんてありえないことだと思っていた。
そんな親がいるなんて。
ほとんどの人が高校へ行く時代だと思っていたのに。
「それはどういうこと」
僕はどうしてもそのことを聞きたかった。
「お母さんが高校へ行く必要があるのかとか言うから」
「必要なのは決まっているでしょ」
「それが世間ってものだよね」
「世間とかじゃなくて自分のためでしょ」
彼女の顔がみるみる曇っていった。
#8に続く。
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