第29話 キックボクサー 花 聡明 ②


 一気に間合を詰めての右ストレートに見えた。


 しかし、実際は違う。


 聡明は動く直前に左膝を僅かに上げて見せた。


 フェイント。


 左の蹴りを飛鳥に意識させてから、地に着けた右足で2ステップ。


 ケン! ケン! パー! のタイミング。


 聡明の右ストレートが飛鳥の顔面を直撃する。


 飛鳥のダメージ……痛みはない。


 普段使っているオープンフィンガーグローブは、感覚的に素手に近い。


 殴れれば鋭い痛みを感じる。


 一方のボクシンググローブが与えるダメージは痛みではない。


 重い衝撃である。


 ボクシンググローブで頭を殴られれば、強い衝撃が頭部を突き抜けていく感覚がある。


 さらに左右のボディブローが飛鳥の腹部を叩く。


 グローブで速く打つためには、直前まで脱力させ、当たる直前に強く握りこむ。


 しかし、聡明が使うボディブローが真逆。タイ人ボクサーがよく使うボディブローだ。


 インパクトの瞬間に握力を緩める。 


 これにより、グローブの重さが衝撃として腹部に残るらしい。


 そもそも、ボディブローは一撃二撃で倒す攻撃ではない。


 遅効性の打撃。 何発も叩き込み、蓄積させたダメージで倒す技。


 さらに数発の追加ボディブロー。


 何発かは無視していい。しかし、打撃が二桁になり始めたら地獄の苦しみに変わっていく。


 それは飛鳥もわかっている。 素早く後方へ下がり距離を――――


 だが、できない。


 ここはオクタゴンではなくリングだ。


 飛鳥は気がつけばリングの端……コーナーに追い込まれていた。

 

 リングは簡単に逃げれるように広くはない。 とはいえ、自然とそうなったのではなく、聡明は肩でフェイントを使い、プレッシャーで誘導していたのだ。


 「――――ッ!?」と慌ててコーナーから脱出しようとする飛鳥。


 だが、聡明は体当たりのように肩から当たり、動きを封じてくる。


 さらにボディブローが追加されていく。


 「つ、強い」と飛鳥は唸った。そのまま、両手で聡明を強く押して、できたスペースへ逃げようと――――


 ガクッと飛鳥はバランスを崩す。


 逃げようとした進行方向。 聡明が伸ばしていた足に引っかかり、飛鳥はバランスを崩し――――


 そこへ聡明の右フックが叩き込まれた。


 飛鳥 ダウン。


 戦いが開始されて1分も経過していない猛攻だった。


 倒れた飛鳥を見下ろした聡明はニヤリと笑って見せると、そのまま自身のコーナーへ駆け足。


 コーナーを背負うと――――


「1、2、3……」とカウントダウンを始めた。


 飛鳥はすぐに立ち上がらない。


 休憩できるのだから休憩する。立ち上がるなら8カウントくらい。


 受けたのは強打。


 しかし、バランスを崩した状態だったため、直撃は免れた。そのため精神的にも、肉体的にも余裕が残っている。


 これが、飛鳥が普段やっているルールなら、倒れた後の追撃で秒殺劇をありえた。


 ……ルールに救われた。  


 意味のない仮定だ。 しかし、飛鳥が戦いの意識改革を行うには十分な仮定だった。


 


 

 

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る