第10話 空手家 内藤隆の場合⑩
立ち上がった飛鳥。
その顔には不思議と表情が抜け落ちていた。
まだ意識がしっかりとしていないのか?
だらり~と両手を下げている。
――――いや、違う。 そう内藤は判断した。
両手を低く下げ、前傾姿勢。
おそらく、これが本来のスタイル。 本来の飛鳥の構え。
意識が朦朧としている事で本来の姿に……防御中心ではなく、攻撃的な――――
内藤の思考は止まった。飛鳥が動いたからだ。
飛鳥の拳が走る。 その拳速が速い。
「いや、違う。速くはない」と内藤は受けながら言う。
初動……パンチを放つためのモーションが少ないために速く見えるだけ。
よく見れば飛鳥の拳は縦拳。 その名の通り、拳を縦にした状態で放っている。
「日本拳法や中国拳法……あとは少林寺拳法では縦拳を使うと聞くが……」
内藤は左ローキック……下段回し蹴りで飛鳥の前進を止める。
狙いは対角線コンビネーション。ローで足を蹴り、意識を下へ持って行かせて、
右のフック。空手で言う鉤突きが飛鳥の顔面を捕らえた。
確かな手ごたえが内藤の拳に伝わる。
ダウン直後の追撃。 必ず倒れるという確信。
――――しかし、飛鳥は倒れなかった。
そのまま、握られた拳が吸い込まれていくように――――
内藤の胸を打ち抜いた。
直後、内藤に襲いかかってきたのは尋常ではない痛みだった。
痛み……内藤に取って、格闘技の試合では慣れ親しんだものだ。
路上の喧嘩で武器を使われた事もあるだろう。
しかし、この瞬間、内藤が感じた痛みは過去に記憶のない純粋な痛み。
後に彼が語った痛みは、
「まるで先端が尖ったハンマーで殴られたような痛みだった。 ……いや、つるはしの方がわかり易かった?」
そんな例えが出るほどの痛みによって、目前の飛鳥の動きに反応が遅れる。
先ほどのお返しのつもりだろうか? 飛鳥は右フックを放った。
まともに喰らう内藤。 いや、見る者が見れば、内藤は自ら首を捻って打撃の衝撃を殺したのがわかる。
続けて飛鳥は右のフック2発目。
今度は腕を上げて防御を
しかし、飛鳥の右フックは来なかった。
代わりに、右を囮にした左フックが内藤の頬を叩いた。
内藤が記憶しているのは、そこまでだ。
内藤はリングの中心で大の字に倒れ――――
次に内藤が目を覚ました時に飛鳥はいなかった。
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廃墟の玄関前に派手な車が止まっていた。
「酷いツラしてるな」と車から出てきた男は笑った。
誰も第一印象を軽薄そうだと思うような、いかにもな男だった。
チャラ男と言えばいいだろうか?
「ん」と飛鳥はスマホを男に手渡した。
「あぁ、編集して……明日にゃアップロードしておいてやるよ」
「ありがとう」と飛鳥は、続けて金を渡す。
それは、先ほどのファイトマネー……内藤が勝てば受け取るはずの賞金だった。
100万円を男の手に乗せると飛鳥は半分を掴んだ。
男は金を数える事なく、財布に入れた。 数えなくても、きっちり50万に分けられていると男は知っているのだ。
どんな手品を使っているのか? と最初こそ男は訝しがっていたが、毎回50万で間違いないので、いつの間にか慣れてしまっている。
「それで、今回の依頼人は内藤とどういう関係だったの?」
「ん? あぁ、元師匠だってよ」と男はタバコに火をつけて喋り続けた。
「壊し屋内藤……アイツを止めてくれって泣き付いてきたよ」
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