ヤテン成長記
文字の読み書きは出来るのか?
と、言う魔女(ではない)の質問に、少年──ヤテンはふるふると首を横に振った。
「で、これこれをこう組み合わせて、朝って意味になる」
「あさ」
「昼だとこれを残してこれ足してこうな」
「…………」
「ま、一気には覚えらんないだろ。でもこれがこの国の字だからな。しっかり学べよ」
ぽん、と肩に手を置かれ紙を渡される。この紙に何度も同じ字を書いて練習しろ、って事らしい。
魔女(じゃない。なんて呼べばいいんだ)は、部屋の隅に置いてある本の表紙を見て、これじゃないあれじゃないと言いながら何かしら本を探しているようだった。
「……」
そんな彼女を見てヤテンは、思う。
彼女に拾われて一週間が経過した。毎日ご飯を出してくれて、お風呂にも入らせてもらっている。こうして、勉強まで教えてくれているのだ。良くしてもらってる。それは、将来自分にお手伝いをして欲しいからだと、彼女は言っていた。武器を作るために必要なあれやこれやの雑務を、自分にやって欲しいのだと。
だからこれから、長く一緒に生活していくのだろう。それならば。
「ねえ」
ヤテンは少しだけ勇気を振り絞り、彼女に声をかけた。
「んー?」
「なまえ、なんていうんですか」
そう、名前。
いや、名前だけではない。ヤテンは彼女の一切をまだ何も知らない。武器を作っていることくらいしか。今すぐ全部知ろうとはさすがに思わないが、名前くらいはさすがにもっと前に教えてくれたって良かったはずだ。
だが彼女は。
「あー魔女でいいよ魔女で」
「……まじょじゃ、ないんでしょ」
「ま、そうだけど。でもいいじゃん。魔女なんて生まれて初めて言われたからちょっと気に入ったんだ」
「…………」
まさかの返しにヤテン少年、不服である。
「じゃあ、ねんれいは」
しかし諦めるわけにはいかない。名前が駄目なら年齢でどうだ。
「…………そういや数えてねえな」
「…………」
これまたまさかの返しである。
「だいたいとか」
「えー? いや本気で数えてねえんだよなー」
「………………」
どうやら教えてくれる気はないらしい。とても不服である。
◆◇◆
それからしばらくして。
それなりの時が経ち、ヤテンは簡単な文字なら読み書きが出来るようになった。ということでここ最近の勉強の時間はもっぱら読書だ。内容はなんでも良いらしく、別の部屋にあった大量の本棚から好きなのを選ばせてくれている。とにかく量を読むのが大事だ、と魔女は言っていた。
「…………」
あと最近は、剣も教えて貰っている。作る方ではなく、振り回す方。まだ木しか振り回してないが。
何故作り方ではないのかと不満を言ってみたら「とりあえず体力をつけろ。話はそれからだ」と一蹴されてしまった。あと「将来的に護身術は身に付けといたほうがいいぞ」とも。
そのおかげか、拾われた時は骨と皮しか無かった自分の体は肉がつき、だんだんと健康になって行ってる気がする。いや、確実に健康になっている。あとは早く背が伸びて、大人になって、魔女の手伝いをしながら剣の作り方を教わりたい。
「まずは、この椅子からおりられるようにならないと……」
身長も、確実に伸びているような気がするのだが、まだまだこの背が高い椅子に自らの力で自由に乗り降りが出来ない。
かと言って乗り降りの度に魔女の手を借りるわけにもいかないので、今は椅子の近くに台を置きそれを使って乗り降りをしている。
とりあえず、目下の目標は魔女の身長がどれくらいなのかはわからないが、それを超すこと。そうすればその時には、この椅子の乗り降りだって自由だろう。母より少し高いくらいだ。父は凄く大きかった。自分は男だからきっと直ぐに超えるだろう。
まだ見ぬ未来に希望を抱いたその時。
「よう、どんな感じだー?」
最近新しい武器を作り始めてるらしい魔女が、隣に建っている工房から帰ってきた。肩につくくらいの黒髪は乱雑に後ろに結ばれ、顔には煤のような汚れがついている。
「おかえりなさい。ここまで読めたよ」
「ただいま。お、結構進んでんじゃーん。わかんない字とかあったか?」
一応子供向けだが、結構な厚さがある本。その半分くらいまではなんとか読めた。その報告。
「あったけど、ちゃんとこれで調べてれんしゅうもした」
これ、と言ってぽんととある本に手を置いた。その本は言うなれば子供向けの辞書で、この国の言葉や文字などが全て載っている。
「おー偉いな、お疲れさん。じゃあ晩飯つくるから、もうちょい本読んでていいぞ」
「はーい」
そう言って魔女は髪を解きまずは顔を洗いに、と洗面所へ向かった。
少しして洗面所から帰ってきた魔女は、ふと窓の外を見る。
「あー……今夜はやっぱり、荒れそうだな」
「……あれる?」
「ああ、戸締りちゃんとしとかないとな」
やれやれーと言いながら魔女は窓の鍵などをチェックし、そして晩ご飯作りに取り掛かった。
「…………」
あれる、あれる、あれる。
ヤテンは、体の震えを覚える。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした……」
「? どうしたヤテン。さっきから元気無いな」
「う、ううん。へいき……」
「全然平気そうに見えねえけど?」
ヤテンの顔は青白い。
魔女が帰ってきた時はそれなりに元気そうだったのに。体調を崩したのだろうか。栄養失調で死にかけていた子供だ。元気そうに見えて実はまだ体を蝕むなにかがあったのだろうか。
──栄養には気をつけてる食事、しかもヤテンの分にはこっそり薬も混ぜてる。ちゃんと肉もついて体も動かせるようになったし、大丈夫だと思っていたが──
「熱とか」
ヤテンの額に手を当てる。しかし熱っぽい熱は感じない。
「ちがう、熱じゃない」
ヤテンは首を振って、魔女の手を払い除ける。だがその顔はどう見ても青白いまま。
「? じゃあどうしたのか言ってみろ。体調悪いとか、いろいろあるだろ」
「だからへいきだって──」
その瞬間。
外からドォンと轟音が響き渡った。雷だ。雷が、きっと近くに、落ちた。
「おー……今のは近いな」
「……っ」
ヤテンは体をぶるりと震わせる。それが引き金となり、体はがたがたと震え始めた。
雷。雷だ。雷が、落ちた。
「…………ヤテン」
それを見た魔女は、納得する。
ははーんなるほど、そういうことか。まだまだ子供だもんな、こいつは。
「ヤテン、一緒に風呂入って寝よう」
「……はっ?」
唐突の魔女の言葉に未だ体の震えは止まらないヤテンだが、この人は何を言ってるんだとそこだけは冷静に思った。
一緒に風呂? 寝る? 何を言っているんだ。確かに風呂は初日に入れてもらったがそれ以降はちゃんと今まで一人で入っていたし、寝るのだって一人だ。自分は確かに子供かもしれないが、早く大人にならなければならない。そういうのは、もう卒業して──
「ひっ」
ドォン! と、また外から雷音が響き渡る。
「いやー実はな、ヤテン。私雷の音が大嫌いなんだ。もう怖くて怖くて震える」
「ま、まがおで嘘いうなっ」
「本当だって。やー怖い。ほら私がこんなに言ってんだ。一緒に風呂入って寝よう」
「おれはいっしょに寝るとか、そんな子供じゃ」
──ドォン! 3発目。
「──っ!」
「わー怖い。あのな、いいことを教えてあげよう」
ヤテンは震えながら魔女をキッと睨んだ。
こんな時にこの魔女は真顔で嘘をつき、そしてまだ何か言い出そうとしている。正直本当にそれどころではないし、なんだかからかわれている気もする。いいことを教えるとか絶対嘘だ。何を言うつもりだ聞きたくない聞きたくない本当にどうでもいい……
「女を守るのは、強くて大人な男の役目だぞ」
…………はずだった。
「おとな……」
「そう。ヤテンが近くにいるだけで、私は雷の恐怖から逃れられる。つまり一緒に寝てくれるだけで、すごい助かるんだ」
「たすかる……」
「そうそう」
顔面蒼白のまま体をがたがた震わせているヤテンだが、その言葉を聞いて瞳には少しだけ光が宿る。
よしよし、所詮は子供よ──魔女は心の中でにやりと笑った。
「わかった……。ま、まじょさんを守るためにしかたなく、いっしょに寝てあげる……」
「やったー嬉しい助かる」
震えながらだが、ヤテンは得意げに少し笑った。震えてるからぎこちないけど。
そんなこんなで二人はお風呂に入りベッドに入る。魔女を守る為とヤテンは言ったが実際は魔女がヤテンを包み込むように抱きしめて、そのまま魔女は眠りに入った。
魔女の体温はとても暖かく、ヤテンは安心感を覚える。雷の音はまだ響いているけれど、
もう全く記憶に無いが、赤子が母親に抱かれる温もりというのはこういう感じなのだろうか。ヤテンの母親が、最後にヤテンを抱いたのはいつだったのだろう。
胸に感じる寂しさから来る切なさと、肌で感じる温もりからくる心への暖かさ。ヤテンは魔女にきゅうと抱きつき、瞳を閉じた。閉ざされた瞳から、一筋の涙がこぼれる。
そしてその日がきっかけで2人は、なんとなく毎日一緒のベッドで眠ることになるのだった。
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