拾われた少年
扉の先には小さな廊下があり、廊下を挟んだすぐ向かいにも扉があった。だが魔女はその扉には目もくれず、廊下に出てすぐ右に曲がる。
「こっちだ」
魔女が指さした場所は、廊下を真っ直ぐ進んだところ。そこにも同じ扉がある。魔女は長くない廊下をすたすたと歩きだし、それについて行く。魔女が扉を開き「入れ」と促され、その部屋に入った。
その部屋はそれなりに広く、部屋の隅には少年の住んでいた家で見たような小さなキッチン。その横にテーブルがある。また少年から見て正面の壁には窓と扉があり、窓の景色からその扉の先は外なのだろうとわかった。
埃をかぶった暖炉、部屋の端々に積まれている分厚い本や、なんだかよくわからないごつごつとした黒い石。暖炉の向かいに置かれたソファに積まれた、なんか……布。
綺麗──とは言い難いが、と言うか散らかってはいるが、特別汚い訳でもないその空間。何より溢れ出ている生活感に、ここは本当にこの人が住んでいる家なのだ、と少年は改めて納得した。
キッチン横のテーブルまで来たかと思えば、それは少年はから見てとても背が高く、椅子も背が高い。魔女は何も言わずにひょいと少年を持ち上げ、座らせた。……少年はなんだか悔しさを覚える。
少年を座らせた魔女はキッチンへと行き、鍋の中のものを取り出した深皿に盛り付ける。そしてその皿と置いてあった別の皿を持って戻って来て、少年の目の前に置いた。
皿に乗っていたのは、パンとスープ。スープは大きめに切られた野菜と肉がごろごろと入っているクリームスープだ。
魔女も向かい側のテーブルに同じものを置き、そして座る。
「いただきます」
「い、いただきます」
手を合わせて、食前の挨拶。少年も慌ててそれに続いた。
スプーンを手に取りおそるおそるスープに口を付ける。
──!
それは今まで食べたことの無いくらいにとても美味しくて、スプーンの勢いがそのまま止まらなくなってしまった。ちょっとだけ心配していた肉も、前に食べた鶏肉みたいだと思ったから多分鶏肉で間違い無いだろう。パンも固くなくふわふわとしていて、初めての食感だった。とにかく手が止まらない。胃袋も急に自己主張を始める。もっと、もっと、もっと!
「あんまり慌てるなよ」
がつがつと食べている少年に対し、魔女は冷静に言う。
詰まったりしたら大変だしなあと思いつつ、こんなにやせ細っているからしばらくまともなの食べてなさそうだったしなあと、気持ちが分からないでもなかったのでとりあえず見守ることにした。
結構多めに入れたスープはあっという間に空になり、多めに乗せておいたパンもいつの間にか消え、少年は「ごちそうさまでした」と、満足気に手を合わせた。
「足りたか?」
魔女の問いかけに少年はこくりと頷く。
「それならよかった。──じゃあ、お前」
どくりと、少年の心臓が跳ねる。
急に空気が変わった。魔女の瞳が鋭く光る。少年の体から、一気に体温が抜け落ちた。
ご飯をお腹いっぱい食べて、一時の幸せを感じたのに。ああ、ああ……やっぱり……!!
「風呂入るか、とりあえず」
「……………………え」
「いや、風呂」
少年は魔女の言葉に口をぽかんとさせ、瞳をぱちくりとさせる。
「やっぱりどう見たって汚ねえもんな、お前。風呂に入りながらいろいろ聞くことにするわ」
今の、鋭い眼光は何だったのか。よくよく見られていたってこと……?
少年は魔女に椅子から降ろされ、あれよあれよと風呂場に連れていかれるのだった。「ついでに髪も切ろなー」と言う声と共に。
◆◇◆
風呂場にて。
少年はお湯の入ったタライに入れられ、そのベージュ色に少しだけピンクを混ぜたような色の髪──すなわち頭を魔女にわしわしと洗われていた。
「そんで、お前名前は?」
こんなに泡立つ石鹸なんて知らない。こんな凄いもの、あったんだ。
「ヤテン……です」
「ヤテン? ……ふーん。夜の
「よるのそら?」
「いいやこっちの話。お前の名前に字をつけただけだ」
「??」
「意味わかんなくていい。この世界では意味ないから」
「????」
少年は魔女の言葉に、はてなマークを頭いっぱいに浮かべる。
自分の名前は、よるのそらと言う意味だったのか。果たしてそうだったか? 字の読み書きは出来ないけど、この名前はそんな綺麗な意味では無かったように思う。自分がまだ子供だから、魔女の言葉の意味がよくわかってないだけなのだろうか。でもやっぱり意味がわからない。じをつけた? このせかい?
「続けよう。歳は?」
「このまえ……5さいになったって、かあさん、が」
頭は洗い終わったのだろうか。上からざぱあと容赦なくお湯を掛けられた。
「えっ5歳? それにしては小さ過ぎねえ? そんなもん? あ、栄養失調ってこと?」
魔女から放たれた「小さい」と言う言葉に少年は少しムッとする。
魔女にごしごし洗われている体を見ながらいつか絶対大きくなってやると、心に誓う。
「まー……いいや。そんで、ヤテン。お前これからどうする? 家に帰るってんなら帰すけど、まああんまり意味はないと思うぞ。お前捨てられてたし。帰らないってんなら今暇だし面倒見てやるぞ?」
「っ」
少年は、魔女の言葉に口を噤んだ。
「捨てられた」そうだ、自分は、捨てられたのだ──。考えないようにしていたが、容赦なく耳に入れられたその言葉に少年の心臓はきゅう、と痛くなった。
戻ったところで、きっとまた捨てられるだけ。でも、もしかしたら後悔した父や母が、自分を探しているかもしれない。また3人で頑張ろうって、言ってくれるかもしれない。
でも、どうだろう。お金が無く食べるものも無くただ泣いていただけの母親。お金が無く食べるものも無く働きもしないで、母や自分に八つ当たりばかりしていた父親。そんな人達が、自分を捨てたことを、後悔している、だろうか……。
「まじょさん……は、どうして、よくしてくれるんですか」
「魔女さん? えっ私?」
震える声で魔女に問いかける。だが魔女は、魔女さん、と呼ばれたことで驚いたような声が返ってきた。
少年は思考が一転し、あれ、と思った。
「あおいあおいひとみのまじょって……まじょさん、でしょ」
魔女(じゃないかもしれない)は、ええー? と納得のいかないような声をあげる。だがちょっと経ってその後、あー……と今度は逆に納得がいった声が漏れた。
「ここに長く居すぎたか……。どうも時間を忘れやすくていけねえな」
ぽつりと魔女(じゃなさそう)は呟く。
「あ、なあ。その魔女の話、ちょっと聞かせてくれよ」
ごしごしと洗われ、泡だらけになった体もついにお湯をかけられ泡を流されて、
「えっ、えっと……ほうちょうをまいにちといで、もりのどうぶつも、まよったにんげんもぜんぶたべるって……」
「まじか」
タライから出されまたお湯を、今度は頭から全身にかけられた。
「いや、さすがに人間食ったことねえなー。食べようとも思ったことねえよ」
「そう、なんですか……」
「だからお前、さっきまであんなに怯えてたんだなー」
なるほどなーと魔女(じゃなかった)は言いながら、少年をタオルでがしがしと拭く。
「で、なんだっけ。……そうそう、なんで良くしてくれんのかだったな」
「えっあ、はい」
一瞬忘れかけていた話題に、少年はハッとした。
自分で聞いたことなのに。
「一言で言えばまあ、ちょっと人手が欲しくてな」
「ひとで?」
「そ。実は私な、武器を作ってるんだ。多分、魔女の話の包丁毎日研いで~はこの事から来てんだろうな」
「ぶき……」
「お前はまだ小さいけど、成長して大きくなったらちょっと手伝って欲しいんだ」
「ぶきを、つくる……?」
ぶき、とはあの武器か。母が昔読んでくれた絵本やなんかで見た、騎士が持っている剣だとか槍だとか。
彼女は、それを、作っているのか。
「まあ作るのは私だが将来作りたいんなら教えるぞ」
はい、と服を渡されそれを着る。大人用の白いシャツだ。腕は捲り上げ、下はシャツ1枚で膝まで隠れてしまうので何も無い。
「い、いいんですか」
魔女(じゃないけど)からの提案は、まだ5歳の少年の心を掴むのにはばっちりだった。
「おう。時間ならあるし金もあるからなー」
「えっ、とえと、じゃあ──」
よろしくお願いします!
少年は元気よくそう言って、頭を下げる。
そうして、彼女と彼の生活が始まった。
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