魔女に拾われた少年

牧島 由

森に住む魔女


 ──あの森の奥にはね、魔女が住んでいるんだよ。


 魔女は毎日毎日、来る日も来る日も、包丁を研いでね、獲物が来るのを待っているんだよ。


 だからね、あの森に近づいちゃいけないよ。


 魔女に捕まって、食べられてしまうからね。


 青くて碧い瞳の魔女に──





 ◆◇◆




 暗い暗い森の中、真夜中の時間に、ある日一人の少年が捨てられた。

 かりかりに痩せこけ、もう動くことすら出来そうもない、小さな小さな少年。少年はこの世に生を受けて5年の月日が経っていたのだが、栄養不足からだろうか。小さな体はとても5歳児には見えない。

 木の幹に座らされ、あとは死を待つだけの少年。虚ろな瞳は何も写さない。

 少年は思い出す。回らない頭で、死が自分を支配するまでの暇な時間で、まるで子守唄のように思い出す。


 この森には、魔女が住んでいる。


 村の誰もが知っているおとぎ話だ。毎日包丁を研いで、森の動物から迷い込んだ人間まで、全て食べてしまうおぞましい魔女が住む森。

 大人達がよく使う、躾の定番。悪い子は森の魔女に食べられちゃうんだからね、と。

 少年は思う。べつに自分はわるいこと、してなかったのになあ。

 ただ家が貧乏だっただけだ。まともにご飯も食べられないくらい。母がそれで毎日泣いていたからなんとなく理解出来る。だから自分は捨てられたのだ。食い扶持を減らすために。


 この森には、魔女が住んでいる。


 捨てるにしたって、せめてこの森じゃない別のところが、良かったな……。

 やっぱり魔女は、怖いよ。



「……おい、まだ生きてるな?」


 頭上から突然降ってきた人の声に、少年は大きく目を見開いた。

 たった一言だが、ぶっきらぼう過ぎるその言葉。女の人の声。

 ──魔女だ!

 それまで存在感を示さなかった心臓が、どくどくと早鐘を打ち始める。体温が無かったように感じた体が一気に熱くなり、そして急激に冷えていく。少年はその恐怖から顔を上げれずに、思う。

 ああ、ああ。やっぱり魔女はいたんだ。このまま自分は、食べられてしまうんだ。やっぱり自分は最後まで、苦しんで痛い思いをして、死んでしまうんだ──


「捨てられたのか? いやなんでもいいけど。あのな、このままここで死なれると迷惑なんだよ。虫は湧くし普通に臭えし。出来れば移動して欲しいんだが」

「…………」

「聞いてるかー?」


 何も答えられない少年に対し、(魔女と思われる)女は痺れを切らしたかのように少年の目の前に腰を下ろした。かと思えば少年の伸びきった前髪を乱暴に掴み、上へと上げる。

 あまりに乱暴に上げられたため、首が少し痛かった。

 顔を無理やり上げさせられ、目の前に居たのは怪訝な表情を浮かべている、(魔女と思われる)女。その瞳は空のように青く、また海のように碧かった。

 暗い暗い森の中、しかも時間は真夜中なのにその瞳の色ははっきりと、輝いて見えた。


「…………っ」

「もしかして、動けない?」


 肩にかかるくらいの黒い髪。見た目は母親よりもずっと若い。


「なんだお前、よくよく見たらガリッガリじゃねえか。あーあーかわいそうに……」


 黒いローブに身を包み、首には彼女と同じ色をした石がぶら下がっていた。


「んー」


 女は、何かを考えるようにその瞳を上へとあげる。少年はその動向を目で追いかける。

 しばらくうんうんと唸り、やがて腹が決まったかのような「よし」と言う声と共に、女は少年へ向き合った。


「とりあえず拾ってやるから、メシ食えメシ。このまま死にたいんなら別の場所に捨てるけど」


 どうする? と、女は問いかける。

 少年は息をすることも忘れ、何も言えなかった。心臓の早鳴りは未だ治まらない。

 メシを食え? 助けるつもりだろうか? 自分を助けて何になる? 太らせてから食べるつもり? だけど拒めば直ぐにでも死んでしまう。それならまだ、機を、狙って──


「しに……たく、ない」


 ぽつりと口から出た言葉は、願いだった。


「決まりだな」


 女はニィ、と笑い少年を担ぐ。少年は大人しく担がれ、やがて瞳を閉じた。

 ゆらゆら揺れる暗闇の中、少年の脳裏にはいつまでもいつまでも、女の青くて碧い瞳の色が焼き付いていた。





 ◆◇◆




 光が目に当たる気がして、瞼を開けた。現れるのは少年の茶色い瞳。

 まず目に写ったのは見知らぬ天井。ふかふかの感触。自分はベッドに横たわっていると気づく。そして横に首を動かせば窓。日はもう登っているようで、きらきらとした太陽の光が部屋を明るく照りつける。

 目に当たる光はこれだったのか、と少年は納得した。

 ここはどこだろう、とぼんやりと考える。自分はどうしたんだっけか。ああ、そうだ。森に、捨てられて、魔女に……。


 ──魔女!!


 少年は昨夜の事を思い出し勢いよく起き上がった。が、その瞬間にくらりと目眩がし、またふらふらとベッドに横たわる。

 そう、そうだ。魔女、魔女だ。あの、青くて碧い瞳の、魔女……。

 「とりあえず拾ってやる」と、確かにそう言われた。ということはここは、魔女の家なのだろうか。

 だとしたらこれから自分は、どうなってしまうのだろう。ああ、でも、そう……。


「おなかすいた……」

「おう、メシは出来てるぞー」


 ──!

 まさかの返事に、少年はまたがばりと起き上がった。

 ベッドの向かいの壁側に置いてある椅子に、つまり起き上がった少年の正面に青い碧い瞳の魔女はニヤリと笑いながら座っている。


「おはよう」

「……っ……」


 驚きすぎて、だろうか。とにかくあまりな出来事に言葉は喉につまり、返事を返すことが出来なかった。

 しかし魔女は返事を返さない少年に対し気分を害することなく、つかつかと少年に近づき顔を覗き込む。


「正直目ェ覚まさないかと思ったけど起きれてなにより。立てるか?」


 少年の頭の中は未だぐるぐると回っていた。村に伝えられていたおとぎ話の魔女が目の前にいる、ただそれだけの事実が。

 青い碧い瞳の魔女。その瞳は、昼間の太陽の明るさもあってか、よりいっそう輝かしく見えた。

 だがそんな少年の混乱など露ほども知らず、いつまでも経っても(そんなに時間は経っていないが)返事をしない少年に魔女はんー? と、少しだけ眉間にしわを寄せる。


「もしかしていらん心配でもしてる? 別にお前のこと取って食ったりしねえよ? 当たり前だけど。あと殺すならとっくに殺してるからな? 家に帰りたいってんなら普通に帰すけど」


 「いやまあ捨て……だし無駄かもしれんな……」と、魔女は最後に小さく付け足して。

 少年は魔女のその言葉に少しだけ落ち着きを取り戻せた。魔女の表情から嘘はついてなさそうだし、悪意も感じられない。もしかしたらこの魔女は、本当に自分を助けてくれたのかもしれない。そう、感じて思った。


「たてる……」


 だからやっと、返事が出来た。


「お、そうか。ならあっちの部屋へ行こう。メシはそこに準備してあるからな」


 魔女が指さす先は、先ほど魔女が座っていた椅子の隣にある扉。

 少年はゆっくりとベッドから降り、立ち上がる。


「……っ」


 その瞬間、目眩に襲われたがなんとか踏ん張った。幸い直ぐに治まり、倒れるほどでもない。大丈夫、歩けそうだ。

 魔女はそんな少年を見守り、少年が扉の傍まで来るのを何も言わずに待っていてくれた。

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