第11話 空蝉
赤い鳥居が続いている。
延延と、延延と、何十何百もの鳥居が、まるで山を這う百足のように。
丹塗りの隧道の中を、空蝉は虚ろな眼をして歩いていた。左腕はなく、着物は襤褸切れとなり、貌の半面は焼け爛れて、内部の金属が露出していた。焼け残った髪が時折風に揺られて、さらさらと音を立てる。
何の為に、此処に来たのか、と己に問う。
幾ら考えても、その答えは見つからない。いや、そもそも今自分は思考しているのかということすら、確信が持てなかった。
空蝉は無事な右腕で一人の少女を抱えていた。
恐らくはこの少女と何かしらの関係があることなのだろうという推測は出来る。
だが、彼女が誰なのかは解らない。
人質だろうか、と空蝉は思う。人類と戦争をしているのだ。任務として要人の誘拐はあり得る。あくまで可能性の話だが。
視界にノイズが走る。月光に浮き上がるテラテラとした丹塗りの鳥居、鳥居、鳥居。
抱えた少女の顔、トランプ、再起動時の風景、光る刀を持った男。
気がつくと、空蝉の前に二叉の道が現れていた。右と左、やはり丹塗りの鳥居が続いている。
右に行くべきか、左に行くべきか。判断材料を探す、検索、分類、解析、不能。
しばらく空蝉はぼうっと突っ立っていた。
ふと、視線を少女へと移す。名前も知らぬ少女。体温が平均値よりも高い。発熱。意識の混濁が見られる。走査開始。終了。心臓に疾患がある。これが原因らしい。
空蝉は少女をそっと地面に寝かせた。これで地面が彼女の体を冷やしてくれるだろう。何故、彼女の体のことを配慮するのか。解らない。
ただ、これ以上彼女を連れて行く意味が見つからない。論理が何処かで破綻している。ならば電子脳髄に負担がかかるだけだ。考えるだけ無駄である。
空蝉は少女をその場に残し、左の鳥居隧道の中へと歩いて行く。
此処は何処なのか、軌道衛星に通信をしようとしても、邪魔が入って出来ない。人類側の妨害工作の可能性。
フシミイナリという言葉がふと頭に浮かぶ。他に候補が出てこないならば、この場所の名前なのだろう。米国や欧州の土地名らしくない。亜細亜圏か。
丹塗りの隧道を抜けると、たまに動物の像が現れる。宗教的偶像と推測。
鳥居の中を進み続ける。傾斜があることを考えれば、此処は山だ。頂上まで辿り着けば、周囲の状況がよりはっきりと把握出来るだろう。
空蝉は鳥居の中を歩く、歩く、歩く。
何の作戦の途中だったのか。《十王母》から独立している以上、再接続をしない限りこの記憶の異常を直す方法、味方陣地への帰還は困難だ。
嗚呼、《十王母》。己を生み出した偉大な母。彼女に何か大きな使命を託されていた気がする。でも、それも再接続しない限り思い出せそうにない。
何とはなしに、さっきの少女のことが気にかかった。彼女と関係があるのだろうか。
空蝉は思考にならない思考を繰り返す。答えの出ない、自問自答を繰り返す。
何度目かの隧道を抜けると、一軒の古い茶屋が見えた。
その茶屋の軒先に、男が立っていた。血みどろの服を着た男。手には刀を持っている。
それは記憶にある。思い出す、そう、あれは敵だ。
男はこちらに気付いた様子で、ゆっくりと立ち上がり、刀を構えた。
「遅かったな、空蝉さんよ」
彼の発した音を解析する。自分へと向けられた言葉を。
「空……蝉……?」
空蝉。カメムシ目・頸吻亜目・セミ上科に分類される昆虫・蝉の抜け殻の意。
中身の無い物体。過去の遺物。抜け殻、中身はどこへ? そもそも中身とは何だ?
脳髄の中で火花が散った。
散り散りになっていた記憶が無規則に羅列されていく。
「お前の名前だろう。少なくともそう呼称されていた」
空蝉は己の名を思い出す。それが再起動時につけられた名前であることを。
「何でこんな所に来たのかは知らんが、決着をつけよう」
空蝉は戦闘記録を思い出す。三十分近く前にこの男と交戦したことを。
「そうだ。お前を始末する。それが、私の任務だ」
空蝉は与えられた任務を思い出す。京都市内において殺人を行ったことを。
しかし、その任務を与えたのは誰だ。《十王母》に与えられた任務は、違ったはずだ。それではない。
「話が早くて助かるよ」
男の刀が白光を放ち出す。強力な熱と電力を感じ取り、空蝉の電子脳髄はそれを危険な兵器と判断した。現在の自分の状態では、戦闘しても負ける確率の方が高い。撤退すべきだ、と。
だが、男の動きの方が速い。退くより先に間合いの中へ、刀が振り上げられる。
眼前に拡がる白い光を見つめながら、空蝉は呟いた。
「……そうか、そういうことか」
空蝉は《十王母》に与えられた任務を思い出す。
そして、ほんの短い間、ともに過ごした少女のことを思い出す。
――その二つのモノが矛盾していないことを理解する。
男の輝く刀が、最早死に体となった空蝉の体を、一気に袈裟斬りに切り裂いた。
空蝉は、糸の切れた操り人形のように脱力し、かくんと膝が折れ、座り込んだ。
斜めに切断されたはずの上半身は、奇跡的なバランスで上手く下半分に載っており、崩れていなかった。
力なく俯き、垂れた髪が、空蝉の表情を隠す。
夜空に浮かぶ満月からは、月光が雨のように降り注ぎ、空蝉の体を濡らしていた。剥き出しの白い陶磁の肌を、紫陽花柄の青い着物を、濡烏の長い髪を。
雨滴が零れるように、空蝉の口から、切れ切れに、言葉が零れた。
「別に……構わ……今日……なって……困る……」
空蝉の眼はもう何も映さず、耳は聞こえず、電子脳髄は動きを止めていた。
故に、これはただの惰性の台詞である。
壊れる寸前の機械が、情報の残滓を意味なく発しているに過ぎない。
「体の…調子……良い時……だけ……だ」
だがもし、ヒトガタにも魂に似た何かがあるとしたら。
「……カヲ……リ」
語りかけるようなそれを最後に、空蝉はその全機能を停止させた。
永遠に。
つづく
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