第7話 懐旧
「如何です、大尉殿。お目当ての物は御座いましたかな?」
漆の盆に湯気立つ湯飲みを乗せて、胡麻塩頭の老人は、急な階段を降りてきた。
陽光の差さぬ地下室はちょっとした図書館のようで、紙を綴じた大量のファイルが、中の情報の種類ごとにきちんと分類され、本棚に並べられていた。
打ちっ放しの地面に座布団を敷き、蛍光灯の明かりの下で、三船電蔵はファイルを読み漁っていた。服装は相変わらずだったが、シャツは新品になっており、ザンバラ髪も麻の紐で束ねられ、多少は清潔感が出ている。
「それらしいものは見つかったよ。女狐の寄越した内部資料が正しけりゃな」
電蔵はファイルに記されたヒトガタの情報を丹念に調べていた。ヒトガタに関する記録は厳重に管理されており、一般人が触れることはまず出来ない。
そこで思い出したのが、寺町通りにある、この老人の営む古書店である。かつての部下だった彼は、戦時中、情報軍に所属しており、電蔵の部隊で対ヒトガタ戦の後方支援を担当していた。
戦争末期、作戦によって電子情報が消失することが予想されていた為、態態、情報を紙媒体に移行させる作業が行われた。彼はそれに関わっていた人間だった。
「いやあ、残しておいて正解でしたな。政府にばれたらしょっ引かれますがね」
老人はカラカラと笑いながら、熱い焙じ茶を電蔵に手渡した。受け取った電蔵は礼を言いつつ、老人の深い皺の刻まれた顔を見てしみじみと、
「また一段と老けたな。すっかり爺様だ。羨ましいよ」
「今年で自分も七十ですわ。孫も三人おります。大尉殿はまるでお変わりになりませんな」
老人は痛ましいものを見るように、電蔵の顔を眺め返した。四十五年前から、時が止まってしまっている元上官の顔を。
「皮肉なもんだ。一緒に被検体になった連中は死んじまったのに、俺だけまだ生きている。結局、俺だけが唯一の成功例だった訳だ。望んでなったこの体だが……」
電蔵は焙じ茶を啜り、ほうっと溜息を吐くと、熱い湯飲み握りながら自嘲した。
「……この茶も本当は美味いんだろうな。だが、俺には解らん。痛覚は制御出来るんだが、イカレたところはイカレたままだ。失った物は多すぎて数え切れんよ」
老人には返す言葉が無かった。戦争の勝利者でありながら、犠牲者である男に対して。
陸年戦争において人類側の最大の弱点は、電子機械の兵器類が敵に乗っ取られる危険性があることだった。そこから、生身でもヒトガタと戦闘が可能な人間を造ろうという計画が生まれた。当時の遺伝子工学や生物学、医学等の力ならそれは不可能な話ではなかった。
膂力、瞬発力、回復力、反射神経――あらゆる点において常人のそれを凌駕し、ヒトガタに対抗しうる超人を造るというこの計画は、戦中戦後も秘匿扱いの為、当事者以外に知る者は殆どいない。
電蔵が心に抱えるモノを理解出来る人間は一人もいはしないだろう。
「不死身の人間なんてのはな、化け物だよ。もう人間じゃあない……ま、それなりに楽しく生きてはいるがな」
焙じ茶を飲み干した電蔵は、湯飲みを盆に戻すと、老人の震えている肩に手をやり、
「新しい知り合いも出来るし、ヨボヨボになっちゃいるが、こうして昔の戦友もしぶとく生きてやがる」
眼を潤ませている老人は、何度も何度も頷いた。無性に申し訳ない気持ちで胸が一杯になり、枯れ木のような手を電蔵の膝に置き、頭を下げずにはいられなかった。
「止めろ止めろ、辛気臭いのは苦手なんだよ。それより、ちょっと手伝え、元情報軍。俺は今を生きてるんだ。今やらなきゃならんことがあるんだからよ」
トレンチコートのポケットから京都市の地図を取り出すと、老人に寄越した。
涙を袖で拭った老人は老眼鏡を掛け、所所に印のつけられた地図に眼を通すと、
「この印は殺人のあった場所ですな。最初が木屋町、それから宇治、壬生、祇園と西本願寺……規則性は見られず、えらく散っとりますね」
「殺す人数も俺がやられた時が最多で、後はそれ以下マチマチだ。犯行は決まって夜間。必ず目撃者がいる。狙ってやってるのは間違いない」
「治安警察との根比べ……ヒトガタが殺人犯だと解れば、それこそ、国中が大騒ぎになりますからな」
「そこなんだよ。ヒトガタが何故、動いていられる? お前の意見を聞かせてくれ」
老人は顎を擦りながら、幾つかのファイルを開き、何かを確認していたが、緑色のファイルを電蔵に見せながら、
「此処にあるように、ヒトガタ側も対策は用意しとりました。暴走した先進国の中枢電脳群、《十王母》から独立して動けるヒトガタがいたのは、大尉殿が一番よく御存知でしょう」
「勿論だ。俺等が最後までやりあった連中だからな」
「《十王母》は喩えるなら巣の中の女王蟻です。他のヒトガタは働き蟻。しかし、この型は特殊で、謂わば移動が可能な女王蟻です。最高水準の人工知能を備えていた」
「《十王母》が滅んでも、新しい巣を作れるようにか?」
「ある意味、種の保存を目的とした型なのでしょうな。しかし、《電磁破界》の想像以上の打撃で、対策の甲斐無くこの型も殆どが再起不能になったはずです」
「それが動いてるのは、誰かが修復したってことだな。だが、そんな技術や知識を持ってる連中なんているのか?」
老人は胡麻塩頭を撫でながら難しい顔で、
「軍や科学技術省の人間ならあるいは。民間の人間には無理でしょう。ヒトガタ自体まず手に入りません」
「蘆屋の調べでも、ヒトガタの展示に関わった組織、企業、人間は全部白だったらしい」
電蔵は舌打ちすると、立ち上がり、虚空を睨んだ。
「まだ事件の起きてない場所に張り付くしかないか」
「……勝算がおありで?」
「さて、どうだかね。仕込みの木刀は無事だが、どこまでやれるかは正直解らん。ま、頭を潰せば終わりなのは人間と変わらんからな。斬るなり叩くなりするさ」
あっけらかんとした、だが強い決意に満ちた電蔵の姿を凝視していた老人は、おもむろに地下室の奥に這っていき、薄く埃の積もった長い箱を引っ張り出して来た。
老人は箱に掛けられたダイヤル式の錠を開錠すると、その中身を電蔵に見せた。
すると、電蔵は驚きと戸惑いの表情を浮かべ、やがて喜びまじりの苦笑を漏らした。
「また、随分と懐かしいな。まだ使えるのか、これ?」
老人は箱の中からソレを取り出すと、柄の根本にある起動装置を押した。
「調整が必要ですが、なに、夜までには何とか間に合いましょう」
ソレは小さな火花を散らし、白光を放ち始めた。
老人の記憶の中で薄れかけていた、あの日の、あの戦場の、自衛軍陸軍大尉三船電蔵の姿が蘇ってきた。
贖罪のつもりではない。ただ、彼の為に自分が出来ることがあるならば、何をも惜しまないと、老人の心は奮い立っていた。
老人は四十五年前のようにはにかみながら、言った。
「大尉殿の得物ならば、これ以外にはありますまい」
つづく
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