第4話 治安警察
京都府京都市中京区に、治安警察京都本局はある。
鉄筋コンクリート造りの四階建て、横長でシンメトリーな外観が特徴のこの建造物は、かつては京都府市役所本館として使われていた。竣工は昭和初期なので二〇〇年近い歴史を持っている。もっとも、レトロなのは外観だけで、中身は刑事課をはじめとして、治安警察の業務に支障のないよう整備されていた。
三船電蔵は、この建物の四階の一室にいた。
手錠を填められ、枯草色の制服を身に纏った屈強な警官に両脇を抱えられている様は、囚人そのものだ。シャツには自身の血反吐によるドス黒い染みが出来ていた。
だが、電蔵の顔に疲労や苦痛の色はなかった。もっとも、両隣の警官を鬱陶しく思っていることは、露骨に顔に出ていたが。
彼の前には黒檀の机があり、局長の肩書きを持つ女が革張りの椅子に座っていた。
猛禽のような鋭い眼をした女の名は、蘆屋静音という。歳の頃は電蔵と変わらないように見えるが、年齢に関係なく、他者を威圧する独特の空気を持っていた。警官達と同じ制服を着用しているが、彼女の物には金モールの肩章がついている。
蘆屋は電蔵の姿を値踏みするように眺めていたが、一つ小さな息を吐くと、
「もう結構です。貴方達は下がりなさい」
「は? い、いえ、しかし……」
「下がれと言いました。同じ言葉を繰り返させないで」
口調は静かだったが、有無を言わせぬ迫力がある。
二人の警官は、鞭に打たれた畜獣の如く身を竦ませると、慌てて敬礼をして、部屋から出て云った。
電蔵と蘆屋は暫しの間、探るように互いの眼を見つめ合っていた。壁にかけられた柱時計の時を刻む無機質な音だけが、室内に木霊している。
やがて蘆屋の厚ぼったい唇が小さく笑みを形作った。双眸からは剣呑さが消え、よく知る人間への親しみが込められている。先ほどとはまるで別人の顔だった。
「久しぶりやなあ。相変わらず元気そうでなによりやわ」
机の抽斗から取りだした年代物の煙管を口に咥え、紫煙を漂わせながら、彼女は言った。
電蔵も口の端を釣り上げ、血塗れのシャツを指し示し、
「嫌味か? 性悪女狐が治安警察の局長とは世も末だ」
まるで自分の家にいるかのように安穏とした態度である。対極の位置にいるはずの二人だが、彼等が旧知の仲らしいのは、それぞれの相好を見れば一目瞭然であった。
蘆屋は電蔵の憎まれ口に苦笑しつつ、
「相変わらず口の悪いこと。性悪やのうて、恥ずかしがり屋なだけや。体の方は大丈夫なん?」
艶めかしい声で言われると、電蔵は肩を竦め、驚くべきことをさらりと口にした。
「忌忌しいことに、完治してるよ。少し血が足りんがね」
確かに電蔵は内臓に致命傷を負っていた。シャツに残された血痕がその証拠で、本来なら手術を要する大怪我である。だが、電蔵の様子にはその形跡が微塵も無い。
「ところで、この手錠はもう外してもいいだろう?」
電蔵は返事を聞く前に手錠の輪を指で摘むと、まるで粘土のように、軽軽と引き千切ってしまった。歪に変形した鉄製の拘束具は、部屋の隅に適当に放り捨てられた。
大きく伸びをして肩を回し、電蔵は蘆屋のもとへ気安く近付く。机の上に手を置き、不敵な笑みを浮かべて、
「それで、治安警察はこの事件、どう発表したんだ?」
遠慮もなく核心をついた。留置所の中で夜を過ごした彼はこのことが気になっていた。治安警察、ひいては政府の公式発表として、アレがどう判断されるのかが。
蘆屋は眼を細めると、灰を落とし、小さく嘆息して、
「暴力団の若い組員同士の抗争。シャブ打った者がドス振り回しての大惨事」
それが各報道機関に流された情報であり、政府の見解、国民が真実として受け取れる情報だった。
電蔵は予想の範囲内らしく驚きもせず、続けて訊ねる。
「着物姿の少女については?」
強い圧力を受けた革椅子が大きく軋みをあげた。蘆屋は眉間に皺を寄せ、肘掛けを指でトントンと叩きながら、
「だからシャブや。シャブのせいで変な幻覚を見た……ということにしとる。ほんま頭痛いわ。幻覚やないのは解っとる。だから、あんたの意見を聞きたかったんや」
上目遣いに電蔵を見やる。期待と不安、覚悟と楽観という相克した感情が綯(な)い交ぜになった眼で。
「その小娘いうんは何者や? あんたをそんな様に出来る奴なら、察しはついとるけど」
脳裡に蘇る少女の残像。それを表現する言葉を、電蔵は知りすぎる程に知っていた。恐らくこの街にいる誰よりも。故に、蘆屋への答えは、流れるように口から出た。
「ヒトガタだ。あの性能から見て、戦争末期の型だな。人工知能を搭載していて、自己判断で行動が出来る」
四十五年前に人間に叛旗を翻し、陸年戦争の末に絶滅させられた種族。人類の科学技術が生み出した最初のヒトであり、奈落に落とされた明けの明星でもある存在。
蘆屋は再び煙管を吸うと、フッと紫煙を燻らせ、それを眺めていた。そして、丁度一分が経った時、眉根を寄せると、大きな溜息を吐いた。
「……やっぱりなあ。ヒトガタはもう動けんし、残っているモノは封印されたんちゃうの?」
戦後処理に当たり、全てのヒトガタは機能停止の上に各国政府の管理下に置かれた。如何なる組織、団体、個人もこれを無断で保有することは禁止されている。
機械に依存した利便な世界を捨てるという大きな代価を払った《電磁破界》――敵陣営直上での多重高高度核爆発作戦によって、世界は電子機械の塊であるヒトガタが稼働不可能な環境になっているはずなのだ。
「俺もそう聞いてはいるがね。何事にも例外はあるってこった。只、単独で復活したというのはありえん。後ろに誰かがいる」
冷静を装っているが、電蔵の呟きには苦苦しいものが含まれていた。過去の亡霊が、実体をもって顕現したのだ。しかも、人類の手によって。
蘆屋は、そんな電蔵の姿に何かを感じ取ったらしく、一枚の書類を彼に寄越した。
「それに関しては、面白い事件が同時刻に二つ起きとるんよ。右京区の京都太秦博物館で二人の警備員が殺され、尚且つ、展示されていた一体のヒトガタが盗難されとる」
電蔵が書類に眼を通している間に、彼女は現在の進捗状況を付け足した。
「展示を企画した組織、ヒトガタを搬入した会社、博物館の学芸員を含む関わった人間の調査はもう始めとる。ただ、あくまで重要文化財の窃盗事件としてや」
書類を返した電蔵は、腕を組み黒檀の机の上に座ると、
「それだろうな、黒幕の狙いは。態態、秘匿すべきヒトガタを目立つように暴れさせた」
「うちら――政府がどう対応するかを確認したかった?」
蘆屋の訝しげな顔に、電蔵は確信した様子で頷く。
「ああ。そして、案の定、政府はヒトガタの件を伏せた。今の所、向こうの思惑通りだな」
ギリッと耳障りな音がした。金属の吸い口が歪む音、噛み締められた歯が軋む音。どちらも蘆屋の口から漏れた音だ。
「……舐め腐りおってからに」
吐き捨てるように言う蘆屋に、電蔵は諭すような口調で警告をした。
「ヒトガタはまだ殺人を続ける可能性が高い。どこまで政府が隠し切れるか、どれ程の性能を発揮出来るか、ギリギリまで様子を見る算段だろう」
蘆屋は沈思黙考していたが、意を決すると、電蔵の顔を見つめた。その眼は猛禽の眼に戻っていた。市民に害をおよぼす獣を狩る鷹の眼である。
「三船はん、戦争で対ヒトガタの実戦を経験し、まだ動ける人間は、あんたしかおらへん」
それは不思議な要請だった。四十五年前の戦争を軍人として経験した人間ならまだ大勢いる。ただし、皆既に老人になってしまっており、仮に当時二十歳だったとしても、現在六十五歳だ。
だが、三船電蔵は老人ではない。
電蔵は彼女の言葉を当然のこととして受け取り、ニヤリと笑った。
「運が良いのか悪いのか……雇われていた組が壊滅したせいで、現在無職でね。酒代欲しさに、丁度新しい雇用主を探していたところだ」
「礼金は弾むわ。そのド腐れ人形、我楽多にしたってや」
蘆屋の台詞は治安警察京都本局局長としてだけのものではなかった。人間の命を塵芥のように扱うヒトガタとそれを操る者への、一個の人間としての怒りがあった。
「さて、昔取った杵柄で、どこまでやれるか……」
不敵な笑みを浮かべた電蔵の体内で、細胞が、神経が、激しい火花を散らし、異常な活性化を始めていた。
あの悪夢の戦場で、一人の兵士だった時のように。
つづく
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