第5話 後・一
僅かの静寂、その後始めて響いた音は、何かが割れる音だった。
急に世界が明るくなる。目の前で、倒れているミスティが、はっきり見える。
どこか唖然とした感じだが、怪我はないようだ。かろうじて弾丸は逸れたらしい。
「お、お父様……?」
私を呼ぶ声で意識がはっきりとする。同時に、怒りが煮えたぎってきた。
何故ミスティを狙ったのか。偶然見えたからか、それとも狙って?
そんなことはどうでもいい。今考えるべきは理由じゃない。
撃ったあいつを、どうするか。
考えるより先に、身体が既に動いていた。
身体を反転。全速力で大地を駆ける。目標は、今しがた発砲した潜伏兵。
姿勢を低くし、体重を前に掛けて、ひたすらに前へ。身体が倒れるより早く、足を前へ。
徐々に距離が短くなっていく。敵は応戦とばかりに、すぐ立ちあがって撃ちはじめた。弾道を見切って、最小限の動きで避ける。受ける時間、止まる時間も惜しい。
今はただ、奴の元に辿りつく事だけを考える。
残り十メートル。八、六、四……残り数歩。
私の間合いだ。
「このっ……!」
「させるか」
頭に銃口を向けられる。私は柄に手を掛け、引き金を引かれるより速く振りぬく。
銃を上空に弾き飛ばし、右足を踏み込んで、軸足として回転。腹に膝を叩き込む。
痛みでうずくまり、私を見上げるその喉元に、ありったけの殺意を突きつけた。
「戦士としてあるまじきことだ。無防備な相手に、まして背中から撃つなどということは……恥を知るがいい」
「はっ、ここは戦場だ……秩序も掟もないんだよ……」
男はかすれた声で言う。確かに、ここには決まりごとなんて存在しない。
だが。
「私にはある。騎士の誇りが。しかしお前がそういうなら、ないのだろうな。だったら……」
剣を振り上げ、目の前の敵を見下ろす。
「私がここでお前を討っても、罪にはならんよな」
「貴様ッ……!」
ためらいなく、刃を振り下ろそうとした。冷酷な処刑人のように。
首を寸断しようとした、寸前。
「お父様! おやめください!」
その一声で、腕がぴたりと止まった。首の表面に小さく血筋ができただけで、大事には至らなかった。
そこではっと我に返る。冷静になり、剣を首から離して鞘に納めた。男は戦意を無くしたようだ、完全に畏縮し、その場で丸まっている。
しばらくして、ミスティが追いついてきた。私の隣まで来て、息を切らしている。
「はぁ……はぁ……もう、速すぎです、お父様……急に走るなんて……」
「わざわざ来なくても良かったのに。まあ、おかげで命を取らずに済んだわけだが」
一旦ミスティを見て、再び男に視線を戻す。
「おい、お前。国に帰ったら上司に伝えてくれ。次攻め入ることがあるなら、その時は滅ぶ覚悟を持て、とな。今度は容赦しないぞ……行け」
兵が逃げ帰るのを確認し、ミスティと共に再度帰還。
私が突然走っていったからだろう、皆、ぽかんと口を開けていた。何か言おうとして、口を開けたり閉じたりしている者もいる。
何を驚くことがあろうか、と声を上げようとした時だった。
風が吹いた。何の変哲もないただの風。
そよ風が私の頬を撫で、髪を揺らす。風に吹かれた時のくせで、髪を手で押さえた。
そこで私はようやく気付いた。今、私は兜を被っていないことに。
「…………え?」
両手で感触を確かめる。顔に手が触れた。当たり前だ、兜がないんだからな。
銃撃を庇った際に聞こえた、何かが割れる音。それは兜が割れた音だったんだろう。そうに違いない。あの時は平静ではなかったから、全く気にも留めていなかった。
しかし、今、気付いてしまった。認識してしまった。
素顔を晒してしまったことに――!
慌てて両手で顔を覆い、反対側を向いて顔を隠す。が、時既に遅し。背中からひそひそ声が聞こえてくる。
「見たか、今の」「アマリリス様の素顔か?」「髪長い……」「綺麗だったな……」
「「もしかして、アマリリス様は女性なのか?」」
口々に団員たちは呟く。仮面の騎士が仮面を取ったのだ、口を開かずにはいられんだろう。
そこで、はっとする。
(さっきミスティと歩いていたが……というか! 思いっきり顔を合わせてしまってはいないか!?)
普通に喋っていたし、どう考えても見られている。ちらとミスティの顔を見ると、じっと私の顔を見ていた。ものめずらしげな表情で。
全くの想定外。こんなことになってしまうとは。
しかしだ。ここにいる団員に正体は知られたが、ミスティの『お父様』の誤解は無事解けたわけだ。私は女性だぞと、しっかり見せられたわけだ。完全に事故だが。
だが、代わりにミスティの理想を打ち砕くことになってしまった。もう少しの間、夢を見せてやりたかった。
(ば、ばれてしまった以上仕方ない。ここは正直に話すしかない……!)
意を決し、手を下ろして背後に向き直る。素顔で向き合うのは、かなり恥ずかしいのだが、そこはぐっと堪えるしかない。
「み、みんな、どうか聞いてほしい。そ、その……」
早くも顔を覆いたくなったので、今取れる手段として、頭を下げた。
「今まで騙す形になって、すまなかった。見ての通り……いや見ても分からんかもしれんが、私は女だ。今まで私を男だと思っていただろう。期待を裏切りたくなくて、ずっと振りをしていたんだ。本当に、すまなかった」
恥ずかしさや申し訳なさがあって、中々顔を上げられない。
恐る恐る顔を上げてみると、案の定、戸惑っている者が多かった。男だと思っていた人が女だったという衝撃、理解でき……ないが、びっくりはするだろうな。私も驚く。
罵声を浴びせられるものと思っていたが、そんなことはなく、まだ私を信頼してくれているようだった。むしろ「男だと信じきって重圧をかけるようなことをしてすいません」と謝られたくらいだ。
「俺たち、アマリリス様のことずっと信頼してましたから」
「そうか」
「お慕いする気持ちは変わりません。これからもよろしくお願いします!」
「……そうか。ありがとう、みんな」
ひとまず、ここにいる者は受け入れてくれた。なんて心の広いことだろう、こんなことなら早めに言っても良かったかもしれない。失望される、そんなことにおびえる必要はなかったのだな。
「お父様……?」
……うむ、忘れていた。ミスティの存在を。
もう素直に謝るほかない。別の手段なんて思いつかない。
ミスティに向き直って、頭を下げる。
「え、どうしたんですか?」
「すまなかった。本当ならもっと早くに打ち明けるつもりだったんだが、機会を逃すばかりで言えなかったんだ。その、色々話も聞いてしまったし、余計に言えずに……すまん!」
今度は顔を上げて、ミスティとしっかり向き合う。何を言われても受け入れよう。それで彼女の気が晴れるならば。
ミスティは、また顔をじっと見て、ふっと笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ、お父様。何を気に病むことがありましょうか。普段通りにしてください」
ぽんぽん、と私の肩を叩いてくる。ミスティなりの励ましだろうか。
みんな私を受け入れてくれた。そのことで涙が出そうになる。
しかし、次のミスティの発言で、その涙は引っ込むことになった。
「何も気にしなくていいんです。だって――」
ミスティはいつものように、無邪気に笑い。
「だって私、知ってましたから。お父様が女性だって」
――知って? なん、だって?
言葉を受け取るのに時間がかかり、完全に飲み込んだ時、
「「ええぇー!?」」
みんなと同時に、驚愕の咆哮を上げた。
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