第4話 前・一

「ど……っと疲れた……なぜに今日は忙しかったのだ……」


 仕事を終えての帰宅後。鎧を脱いで一目散にベッドに飛び込む。


 今日は倉庫の大掃除や山盛り書類のチェック、拠点警備や巡回の不備の確認、その他施設の補強などなど……かなりの仕事量に振り回された一日であった。これも全部団長が後回しにしていたせいで、そのツケが回ってきた、というわけだ。


「なんで毎回後手後手に……いい加減にしてくれ」


 さすがの私でも、愚痴の一つもらしてしまう。仕事に対して不満は言わないようにしているのだが、今回ばかりは駄目だ。団長、しっかりしてくれ。ま、直接言っても直りゃせんが。


「そうだ、確か冷蔵庫に冷菓が……食べてすっきりしたい……」


 重たい身体を持ち上げ、どうにか台所まで歩く。冷蔵庫から、特殊な容器に入ったお菓子を取り出した。最近のまいぶーむの冷菓、もといアイスクリームだ。チョコミント味がお気に入りで、独特の甘さがくせになる。

 スプーン片手にソファに寝転がり、アイスをすくって口に運ぶ。


「うぅん、この味いいなぁ……ふふ、いいものだ」


 夕食もまだなのに甘味をむさぼる。こんな贅沢あるだろうか。しかもだらだらと。いつもの私では考えられない行動だが、こうでもしないと頭がどうにかなりそうだった。


 子供のように、足をばたつかせながら一心不乱にアイスを食べる。手が止まらない。これを考案したものに勲章をあげたいくらいだ。

 三分としないうちに容器が空になった。スプーンで微妙に残っている分をすくおうと手を動かす。はしたないぞ、私。だが手は止まらない。


「しかたない。もう一つ食べよう。あれ、残ってるかな」


 ここ数日ずっと食べているので、買い貯めていた分がなくなりかけていたのを思い出す。ないのなら今すぐにでも買いに行くだけなのだが、出掛けるのは疲れる。


「外に出たくない、でもアイスは……悩ましい……」


 買いに行くか、家にいるか。どちらにしようか思案していると。


 コンコン。


「こんばんは。アマリリスはいるかな?」


 戸を叩く音が響く。来客らしい。


「今行きます、少々お待ち、を――はっ」


 そのままの格好で出ようとして、気がついた。来客なんて滅多にないので油断していた。着替えが面倒だからと、かなり大きめのシャツを一枚着ているだけで、他は何も身につけていない。マスクもなしだ。


「もう少しお待ちを……!」

「う、うん」


 急いでズボンを履き、適当な上着を羽織って、忘れずにマスクもつける。

 早足で玄関に向かい、一呼吸置いてから戸を開けた。


「お待たせしました……って団長? 何故今?」

「さっきぶり。とりあえず、上げてもらっていいかな?」

「そうですね。どうぞ」


 周囲を確認して団長を入れる。団長のための警戒ではなく、あくまで私の素顔プライドのためだ。どうしても見られたくない。

 客間に招いて、紅茶を出す。机を挟んで、対面で座った。


「相変わらず家だとラフだね。もう少し気をつけたら?」

「余計なお世話です。団長こそ」


 団長も大概で、よく分からない模様の上に『最・高!』と書かれたシャツを着ていた。


「かっこいいでしょ」

「なんせんすです」

「あっ、そう……ナンセンスか……」


 どうでもいいことを喋りつつ、ほんの少しマスクをずらして、お茶に口をつける。

 しかし。


「やっぱりマスク取らないのね。顔綺麗なのに」

「はあっ!? ごほっ、ごほっ……きゅっ急になんですか」

「もったいないなぁ」


 慌てる私を余所に、団長はどこ吹く風、平然としている。綺麗? 前にも言われた気がするが妄言か何か? 仕返しのつもりか。


 それはさておき。


 こんないい加減に見える団長だが、現騎士団員の中で唯一、私の兜の下の素顔を知っている人間だ。見た目こそ若いが、私よりも団に長くいる。昔に一度だけ、素顔を見られたことがある。その時は脆い兜を使っていて、不意に壊れたのが原因。うっかりしていた。


 私が兜を脱がない事情を知っているので、何かと気を遣ってくれている。ミスティが絡むと悪ふざけに走りがちなのが玉に瑕だ。まあ、許容範囲内なので許している。


「引退考えてるんなら、そろそろ脱いだって」

「まだです。確定ではないので」

「自分のことなのに?」

「決めあぐねているんです。まだ、未来が見えないので」

「そう。じっくり考えるといいよ。人生一度きりだからね」


 中々いいことを言ってくれるが、なんせんすシャツのせいでいまいちだ。


「ところで、わざわざ家に来るくらいなんですから、用事があるのでは。駄弁りに来ただけじゃないでしょう」

「そうそう、そうなんだよ。頼みがあってね。忘れてた」


 忘れてたって……最悪お茶だけで帰ろうとしたんじゃ。

 団長はカップを置き、改まって口を開いた。


「ちょっと面倒事がね。ついさっき分かったばかりなんだ。アマリリスにしか頼めないと思って」

「して、それは」

「……嫌だろうけど、前線に出向いてほしい」


 前線、その言葉を聞いただけで全身がこわばった。


 この国は既に戦からは手を引いている。通りが平和なのは友好条約があるからだ。

 しかし、いまだに敵意も持って、何かと理由をつけて仕掛けてくる国がある。侵攻を阻止すべく、常に防衛線を張って、騎士を交代で送っている。


 つまり、前線で戦う兵として徴兵がかかったことになる。


「人員不足ですか」

「うん。うちの団はいつもそうだけどね。前線のみんな疲れ切っちゃって、そろそろ入れ替えないといけなくってさ。かつての戦を経験してるのは少ないし、街に残ってるでは数人くらいだ。アマリリス含めてね」

「実戦経験があり、指揮を執れる者として、私に白羽の矢が立ったわけだ」

「その通り。ごめんね、連絡が来たのが本当にさっきなんだ。明朝出てもらうことになるけど、大丈夫かい?」


 正直、前線に行くのには不安しかない。人に対して剣を振るったのは五、六年前が最後だ。剣を向けることの覚悟や、指揮官を務めることの責任、それに耐えられるか分からない。


 しかし、ここで食い止めることをやめれば街は戦火に包まれる。それだけは絶対に避けなければならない。


「私にしか、できないことですか」


 掠れた声で、そう尋ねる。


「僕は、君が適任だと思ってる。全幅の信頼もあるしね」


 団長は、まっすぐに私の瞳を見つめる。

 彼の目に、疑いや迷いは一切映っていなかった


 決断の時だ。決めなければならない。私は、私は……。


 一旦深呼吸をして、気持ちを落ち着け、答えを返す。


「分かりました。不肖私、ユーフィリア・アマリリス、指揮官としての任をお受けします」

「うん。本当、本当にすまない。君だって生活があるのにね、酷だって思ってるけど」

「面と向かって言ってくれるだけありがたいです。立派に責務を果たしていますよ」

「褒めてくれるんだ、嬉しいねぇ」


 照れ隠しのつもりか、団長はカップに残った分を一気に飲み干した。


 その後、しばらく沈黙が続く。気まずくはないが、これと言って話すことがない。それもそうだ、大きな頼み事があった後なのだから。

 満を持して、先に言葉を発したのは団長からだった。


「そういえば、なんだけど。ミスティちゃんとはうまくやってる?」


 何かと思えば、ミスティとの関係についてだった。


「良好ですよ。悪くはないです。お父様呼びは直りませんが」

「確かに。長いこと言ってるのにね。いつまで続くのかな」

「検討もつきません。ミスティは予測不可能ですから」

「はは、違いない」


 どちらともなく、自然と笑みがこぼれる。

 こうして、私が顔を突き合わせて会話できるのは団長だけだ。こんな他愛ない話、いつもの騎士の私ならできっこない。ある意味気が休まる時だ。

 相談事をする時も、団長に限る。


「団長、折り入って相談が」

「なんだい。君の相談っていうのは、また運用上のことかな」

「いえ、そうではなく……」


 団長がそう返すのも無理ない。相談は団長にしかできないが、騎士としての場合が多いので仕事のことだと思われるのが常々。


 今回は全く違う。完全に私的なことだ。


「その……ミスティのこと、なんですが」

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