第2話 後

 外で事件が起きているのか。エーテル様を狙ったものではないかもしれないが、大事になる前に沈静化しなければ。

 この店と騎士団拠点は結構離れている。一番近い駐留所でも一〇分、今私が出て行くほうが早い。エーテル様にはミスティがつくから、問題ないだろう。


「エーテル様、外の騒動を収めてきますので、ここでお待ちを。ミスティ、しばらく頼む」

「は、はい。じゃなくて、了解しました、お父様」


 ミスティはフォークを置いて、小さく敬礼をした。敬礼を返し、鞘に手を掛けながら、店外に出た。

 店の前で、三人の素行の悪そうな男たちが、一人の男性を囲んでいる。各々ナイフを握り、二人が周囲に向けて構えている。


「なあニイサンよ、ぶつかっておいて一言もなしってのはないんじゃないの?」

「いや、ぶつかったのはそっちじゃ……」

「いやぁ、あんたからだぜ」「ニイサンからだな」「言い訳すんなよ」


 ただの流れ者かチンピラか、そういう連中が因縁をつけて絡んでるようだ。刃物を所持しているので、すぐ手を出すことはできない。人質はともかく、通行人を巻き込んでしまう可能性がある。なるべく危険は避けたいところだ。

 一旦なだめてみて、駄目ならば強硬手段に出るしかない。


「おい、君たち。少しいいかな」

「あン? なんだテメェ……ああ、騎士サマじゃん」

「揉め事ならば私が仲介しよう。拠点か駐留所まで来てもらうことになるが」

「なんでもねぇよ、ちっちゃなトラブルだからさ、手は借りねえよ」

「だが――」

「引っ込んでろよ、邪魔なんだけど」


 突然機嫌を損ね、ナイフを男性の首に突きつけた。思わず柄に手をかける。剣を抜こうと思ったが、かろうじて押しとどめた。


 剣は非常事態以外では抜かないよう徹底している。今は非常事態ではあるが、男が警戒して刺すかもしれないし、男を無傷で確保しなければ罰することもできない。


 相手がいくら悪人でもすぐ殺していい理由にはならない。騎士団の心得、覚悟の第四項『剣を抜いていいのは大事な人と国を守る時、罪なき者の命を守る時、そして誇りを守り抜く決闘の時だけ』である。


 しかし、今は抜くこと自体が命の危機に直結している。どうにか話し合いで解決したいが、聞く耳持たなさそうだ。


「とりあえずナイフは下げろ。その男性に罪は――」

「罪はあるだろ。俺たちにぶつかって謝らないんだぜ」


 やはり駄目か……、ならば。


「どうすれば解放する、可能な限り要求は飲もう」


 男たちの望みを叶えるやり方に変える。満足すれば離してくれるかもしれない。


 交渉に入る。しかし、何を聞いてもろくに答えない。はぐらかしたり、話をそらしたり。何をしたいのかが分からない。これだから蛮族は。

 しびれを切らしてしまい、この状況下、最も言ってはならないことを口にしてしまった。


「望みのものを言ってくれ。何でもいい」

「何でもいいのか?」

「全て、とはいかないが、用意しよう」

「だったら……」


 男はナイフを逆手に持ち替え、腕を大きく振り上げた。そのまま勢いをつけて。


「こいつの命を貰おうかァー!」


 心臓目掛けて振り下ろそうしている――!


「よせ!」


 間に合わないかもしれない。だがやるしかない。

 私は柄を握りなおし、鞘から片刃の剣を放とうとした。


 ◇ ◇ ◇


 お父様が様子を見に出てから、店内が急に騒がしくなりました。外見明らかに騎士ですし、すごく頼もしく見えますしね……実際頼もしいんですけどね。期待と不安がざわめきとなっているんでしょう。


 遠くから見た感じでは、お父様がナイフを持った男たちを前にしています。剣に手をかけていて、今にも抜こうとしています。

 ですが。


「どうしてユフィさんは抜かないんですの? 相手が暴れていますのに」


 エーテル様が素直に口にしました。お父様は抜こうとはしていますが、しているだけで、抜きはしません。抜かないことに対する疑問は、一般人視点でいくと至極当然のことです。


 剣は抜いていい時とダメな時があります。今はいい時ではありますが、抜くことが人質の危機にもなります。下手に犯人を刺激しないため、お父様は最善の判断をしているわけです。

 お父様もどうするか困ったのでしょう。交渉に入ったようです。


「あの手合いの人間には、実力行使しかない気もしますけれど」

「そうかもしれませんが、お父様は人質も犯人も、無傷で確保しようとしますから。剣を抜くのは本当に最後、それしかないと思った時くらいです」


 ただ、相手に合わせて抜刀するにしても、時間差で人質が刺される可能性が高いです。

 騎士として好ましくないのですが、援護せざるを得ない状況、であるならば、私が隙を作りましょう。


 右からさげているホルスターから、グリップを握って銃を抜く。リボルバー式旧型拳銃『フェリシア・フィアース』、弾倉を出し、弾丸を一発こめる。


「それだけですの?」

「はい。お父様がいますから、一発あれば充分ですよ……あの」


 席を立つ許可を頂こうとしたら、エーテル様は小さく頷いて。


「行ってらっしゃい。わたくしに構わず、ユフィさんを援護してあげなさいな」

「ありがとうございます。では、参ります!」


 弾倉を戻し、準備完了。席を立ち、エーテル様に深く一礼。


 移動を開始。犯人と私が一直線になるような位置を探します。

 ちょうどあった柱に身を隠して、銃口を向け、男に狙いを定める。


 命は取りません。狙いは、人質を抱えている男の、ナイフを持った右腕、その肩。左腕でしっかりホールドしているので、右側ががら空きです。

 こめたのはゴム弾。跳弾による二次被害がなく、暴徒制圧の用途がある非殺傷のものです。お父様の意向に沿うことができますし、一瞬くらいなら動きを止められます。


 もっと確実な隙を、反撃の余地を与えないくらい、絶妙な『間』を生み出せるように。

 息を吸って、吐いて……呼吸を、止めた。


 いらないものを外に出して、一点、肩を撃つことだけに集中する。

 隙、一点、一、一……。


 そして。


「こいつの命を貰おうかァー!」


 犯人が腕を大きく振り上げて、今にも人質を刺そうとしている。

 力強く振り上げて、上がりきったわずかな、間。頂点に達した腕、力の流れが不安定になっているのが見えます。


 力んでいるようで、脱力している、崩れやすい状態。

 この瞬間、これが、彼の隙。


「よせ!」


 お父様の焦った声。安心してください、そこからはお父様の見せ場となりますよ。


(あとはお願いします、お父様!)


 狙いを引き絞って、私は至って冷静に。

 撃鉄を起こし、トリガーを、引いた。


 乾音が響いた。


 ◇ ◇ ◇


 それは、ほんの僅かな間に起きた一瞬の出来事であった。

 後方で弾けるような音がすると同時に、男が体勢を崩した。強い衝撃で吹き飛ばされているかのように、大きく右肩を反らす。その衝撃に耐えられず、ナイフを手からこぼした。


「お父様、今です!」


 抜きかけた剣を収め、すかさず人質を掴んで後ろに投げる。両翼にいる二人はあっけにとられて、身動きできずにいた。

 すると、目の前の男が。


「何してんだ! その騎士をやれ!」


 肩を抑えながら叫んだ。我に返ったであろう二人がナイフを構え、私に向かって突撃してきた。人質がいなければ、もう遠慮はいらない。


「もはやこれまでだ」


 ナイフを腕当で受け、手首を返し、腕を掴んでひょいと投げる。二人は宙で一回転、背中から地面に落ちた。

 男の顔が青ざめた。臆したようだが諦めず、ナイフを左で拾い、私に切っ先を向ける。じりじりと距離を詰め、間合いをはかっている。しかし、それは鎧をまとう騎士には意味のないことだ。一方的に攻めればいい。


 何を構えるでもなく、ただゆっくりと歩み寄る。距離を詰めてやったのだが、男は後ずさり始めた。


「どうした。来ないのか。さっきまでの威勢はどうしたんだ」

「……ひ」


 足をもつれさせ尻をつき、その姿勢のまま、なおも後退しようとする。左手で男の胸倉を掴み、無理矢理起こし、顔を引き寄せる。勢いをつけすぎて額に兜をぶつけてしまった。


 男の顔に、さっきまでの威勢など見る影はなく、焦りと、不安と、恐怖に満ちているように見える。この男の目に、私はどう映っているのか。


「貴様のような野蛮な人間は生かしておけんが、法がある。審問を受け、罰を受けるがよい。……私が騎士でよかったな、でなければ、この場で処刑している」

「この、鬼め……!」

「鬼で結構。貴様を捕らえられるならな。ついでだ」


 空いた右腕に力を溜め、渾身の一撃を腹に叩き込む。左手を離してやると、腹を抑えてうずくまった。声ならぬ声で喚いている。


「引き渡すと手出しができんからな。私から選別をくれてやる。ありがたく思え」


 近くの店の主人から縄を頂いて、三人を縛り上げる。まもなくして数人の騎士が現れ、この三人を連行していった。去り際また何か叫ぼうとしていたが、すぐに黙らされた。いい気味だ。


 その後、人質の男性から簡単な事情聴取をし、もう安心だ、と一声かけて帰した。

 周辺の人たちを落ち着かせながら、私は考えていた。早い話、男の肩のことだ。

 ナイフを振り下ろそうとしたあの瞬間、おそらく、私は間に合わなかっただろう。しかし、突如肩に異常が起きたおかげで、人質を救い出すことができた。


 肩に病気があったのだろうか。それは否。自分の体は自分がよく知っているはず、あの男とて、知っていたならば腕を上げることはしないはず。ましてナイフを握るはずもない。ただの馬鹿で知らなかったのであれば話は別だが。


 仮に馬鹿ではないとして、他に何があるだろうか。あの時聞こえた、背後からの破裂音。どこか聞き覚えのある音、確かあれは――。


「お父様ー!」


 思い出しかけた時に、店の中から、ミスティが私を呼びながら飛び出してきた。

 そのまま抱きつこうとしていたが、それはしっかりかわす。


「なぜ避けたんですか!?」

「抱きつかれたくないからだ。痛いんだぞ。それより、エーテル様についてろと」

「エーテル様は大丈夫です。行ってこいとも言われましたし」


 なるべくなら離れてほしくはなかったのだが、許可があるなら、まあよしとしよう。


「それにしても、さすがですねお父様! 武装した男三人同時に相手してさばいてしまうとは! 振り下ろすのをためらった隙をついて一瞬で逆転……わはーさっすがですー!」


 やったー、となぜかミスティが喜んでいる。その上「私のお父様すごいでしょー」と吹聴しはじめた。ああ、また誤解が広まる。


「それ以上喋るな、ミスティリス・ブラッドフォード! 本当に口を縫い合わせるぞ!」

「いやー、お父様に襲われちゃうー。あ、それもいいかも」

「いいわけあるかぁー!」


 叫んでしまったところで、エーテル様が店から顔を出した。


「騒がしいですよ、おふた方。早く食事を済ませてください。残っているのに加えて、午後の予定もありますのよ、ミスティさん、『お父様』?」


 エーテル様は口を拭いながら言った。責めるような口ぶりだが、微笑んでいるように見えるので、少々楽しんでおられるよう。私としては、無様な姿を晒したも同然なので、そのままあざ笑ってくれる方がいい。

 結局仕事が終わる瞬間まで、エーテル様には「お父様」と呼ばれてからかわれた。


 女であると明かすタイミングを逃し、余計に誤解を生む結果に終わってしまった。

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