第2話 中

「さ、着きましてよ。警護お願いいたします」


 商談先の建物の前に、馬車が止まる。先に私が降りて安全を確認、エーテル様の手を引く。最後にミスティが降りて、周囲を警戒するように見渡した。


 応接間まで警護。既に取引先の要人が待っていた。中に危険がないことをチェック、安全を確認してエーテル様の入室を見届けた。あとは商談が終わるまで待つのみだ。

 入り口の前、ミスティと二人で警護する。といっても、基本立っているだけなのだが。


「あの、お父様」


 立っているだけの状態にもう退屈したのか、ミスティが声を発した。


「どうした、疲れたならしゃがんでてもいいぞ」

「いえ、そっ、そうではなくて、ですね……」


 うつむいて、少し頬を赤らめている。

 何かまずいことでも……。


 あっ、失念していた。


「ミスティ、頼みごとをしてもいいか」

「え、ええ。お父様のためならなんでも」

「なら、花を少々持ってきてくれないか。エーテル様に花を添えたいと思ってな。今のうちに行ってきてほしい」

「――はい。お任せください」


 小さく敬礼をしてから、ミスティは歩き出した。今ので伝わっただろうか。まあミスティのことだから、本当に花を摘むついでに済ませてくるだろう。

 一人で扉を守ること十数分、ミスティが戻ってくるより早く、エーテル様が応接間より出てきた。商談がうまくいったのか、晴れやかな面持ちであった。


「お待たせいたしました。少し、話に花が咲きまして。っと、ミスティさんはどちらに」


 辺りを見て、どこにいるかを探している。十分以上経つのだが、まだ帰ってきてはいなかった。うぅむ、言葉通りに花を摘んでるんじゃあるまいな。


「私が使いを頼みまして。もうしばらくしたら戻るかと」

「……そう。では――」

「お父様ー、ただいま戻りましたー」

「――待つ必要、ありませんでしたね」


 噂をすれば。なんと、ミスティは花束を抱えて走ってきた。


「ミスティさん、その花束は?」

「お父様……いえアマリリス様が、エーテル様に花を添えたいから用意してくれと。花を少々と言われたのですが、せっかくなので花束を持ってきました」

「あら。ふふ、粋なことをするのね。意外にロマンチストなのかしら。ありがたく受け取っておくわ。ユフィさん、ミスティさん、ありがとう」

「恐れ入ります」「どういたしまして」


 なにはともあれ、喜んでもらえてよかった。花束は予想外だが、ミスティなりの気遣い、やはりさすがといえる。


 ずいぶんご機嫌な様子で、エーテル様は馬車に乗り込んだ。続けて私達も乗り込む。

 その寸前でミスティが、つん、と肘を突っついてきた。見ると、さっきのように顔が赤くなっていた。もしや熱でも出ているのか。と心配したが、全く別のことであった。


 私の耳元まで背伸びし、小さな声で。


「さっきはありがとうございました。ちゃあんと分かっていましたよ、お父様」


 顔を離し、ちょっとはにかんで、一足先に乗り込んだ。

 分かりにくいか、と考えていたが、むしろ分かりやすかったかもしれない。ミスティにとっては。

 無事花が摘めたようだし、万事順調、でいいか。


「何していますの。次に行きますわよ」

「はい、ただいま」


 エーテル様の一声。私は急いで馬車に乗り込んだ。

 道中、エーテル様は花束を抱えて満足げ、ミスティとまた楽しそうに話している。当のミスティは私に引っ付いていた。


「おい、仕事中だ。あまりくっつくな」

「よいではないですか、お父様。エーテル様しか見ていませんもの」

「私一人のけ者……お二人は仲良しですわね。親子なのかしら」


 訝しげに、エーテル様は目を細めた。何か誤解されている、どうにか誤魔化さねば。


「いえ、血縁があるわけではなくてですね」

「でも私のお父様ですよね。知っています」

「話をややこしくするな。事実無根だ。全くのでたらめじゃないか」

「全くではないのですよー」


 そう言って腕を絡ませてきた。肩当や腕当がぶつかり、ガシャガシャいう上に痛い。分かってやっているのだろうか。


「複雑な関係なんですね、親子でないのに親子とは。そういうのも一興ですね」

「ですから、親子ではなくて……」

「なんですが、私のお父――」

「ええい、もう喋るんじゃないっ、口を縫い合わせるぞ!」

「きゃー、お父様が迫ってきますー」


 ミスティがわざとらしく嬌声を上げながら、妙なポーズをとる。人前だというのにはしたない……私も感情に任せてしまっているので、両成敗になるか。

 意図せず漫才を繰り広げているのを、エーテル様はただほほえみながら見守っていた。


 しばらくして。


「もし。御者さん。一旦止めていただけるかしら」


 エーテル様が馬車を止めるよう指示する。ここで休憩いたしましょう、そう言ってそそくさと馬車を降りた。私たちも、仕事のこともあるので急いで続いた。

 降りた先は、街でも有名な休憩処。定食から甘味まで揃えていて、どんな時間帯でも人混みができる店だ。

 ここで止めたということはつまり。


「こちらで休憩にいたしましょう。おふた方もお疲れでしょう、どうぞお休みになって。お代はわたくしが」

「いいんですか? お父様、どうしましょうか」

「ふむ……遠慮しろ。と言いたいが、折角だ、ご厚意にあずかろうか」

「わーい許可が出ましたー! ごちそうになりますね!」

「ふふ、お好きなものを」


 ミスティはエーテル様を差し置いて、誰より早く店に入っていった。エーテル様は呆れながら、やれやれ、と微笑を浮かべている。私たちもミスティのあとを追って入った。

 中は予想通り人で溢れている。空席はあるかと見渡すが、どうにも見つからない。


「お父様ー、エーテル様ー、こちらのテーブルが空いてますー」


 先行していたミスティが、うまい具合に空席を見つけていた。目ざといやつだ。そこまで行って、腰を落ち着ける。ミスティとエーテル様はメニュー表を眺めはじめ、何を頼もうか、と相談しはじめた。

 ふと、エーテル様が顔を上げて、向かいの私を見た。


「ユフィさん、食べないのですか。どうしてまだ、兜を脱がないのでしょうか」


 そう尋ねてきた。現に今も、私は兜を被っている。まだ警護の任が解かれたわけじゃない、であるならば、まだ脱いではならないということになる。私の信念に基づけば。

 腹は、空いていないいえば嘘になる。多少喉も乾いているし、汗も拭いておきたい。が、一目もあるので結局控える。というわけで。


「いえ、私は大丈夫です。食事中が最も気を抜けない時なので、少なくとも、一人は気を張っていなければなりません」

「そう? 大して危険ではないでしょう」

「いえ。エーテル様は大切な依頼主ですから。ちょっとした隙に、なんてのは言い訳になりません。ここは私が見張りますゆえ、お気になさらず」

「残念ですわ。お顔が見れるかも、と期待していましたのに。そこまで言うなら、気にしないことにします」

「お誘いを断る形になってしまいました。此度の無礼、お許しください」


 頭を下げて、エーテル様の顔色をうかがう。今度はやれやれと首を小さく横に振っていた。頭の固い騎士で申し訳ない、と何度も心の中でも謝罪した。


「ほんっとうに仕方ないんですから、お父様は。たまには息抜き、しましょーよー」


 空気が悪くなり始めた矢先、ミスティの明るい声で中和される。なおも続けて。


「申し訳ありません、エーテル様。お父様はいつもこうなんです。先に済ませたからいいだの、特に腹は減ってないだの言って、とにかく兜を脱がないんですよ。そういう頑固さがお父様らしさなんですけど、困ったものです。ね、お父様?」


 私を見て、小さくウインクをした。彼女なりの助け舟、ありがたく乗らせていただく。


「あ、ああ。いつものことなので、ご勘弁を」

「分かりかけてきました、あなたのこと。その分、わたくしたちのランチタイム、しっかり守ってくださいね。……いい部下をお持ちですこと」

「あっ、すいませーん。注文いいですかー?」


 全くミスティは……圧倒的にマイペースで、それでいて思いやりがあって、憎めない可愛いやつ。やっぱり彼女は騎士らしくない。だが、それがいい。

 エーテル様と顔を合わせて、何事もなかったかのように笑った。


 まもなく店員が来て、二人は看板料理の東洋由来の和食を頼んだ。なんでも、素朴な味わいだが栄養抜群、季節感があって見た目もよし、と店員が話していた。


 料理が到着し、二人は箸を進める。箸、も和食が広まるにつれ浸透していった。はじめは使いにくいものの慣れてくると便利なものだった。また、料理を味わいやすい、と私は思う。

 献立は白米、ネギの味噌汁、ホウレンソウの浸し、冷ややっこ(という呼び名の冷えた豆腐)、焼き鮭、春野菜の素揚げ、と数が多め。数が多めなのも特徴らしい。複数用意することで調整しているんだろうか。エーテル様はゆっくり、ミスティはせわしなく食べている。おっと。


「ミスティ、そうがっつくな。時間はある。ほら、口元に米粒が」

「う、ん? どこにです?」

「いい。私が取る」


 指先で摘み取る。と、すかさずミスティが粒を取り返して口に運んだ。


「おいおい。ちょっとばっちいんじゃないか」

「別に大丈夫じゃないですか。大して変わりはしませんよ――あっ、店員さーん、デザートのフルーツタルト一つお願いしまーす」

「……少しは遠慮しろ」

「構いません。いい食べっぷり、見ていて気持ちいいですわ。懐は広いので、もっと食べてもいいですよ」

「ぃやったー!」

「重ね重ね申し訳ありません。うちのミスティが」


 ミスティにはもう少し、遠慮というものを知ってほしい。おごりだからといって頼みすぎな気がする。言ったところで変わりはしないだろうから、もう何も言わないことにする。

 まもなく、店員が頼まれたものを持ってきた。苺、桃、ブルーベリー、キウイフルーツを使った、色鮮やかなタルト一切れ。爽やかな香り、バイザーを通してでも伝わってくる。ミスティはフォークに持ち替え、一口大に分けて、口に放り込む。途端に、味や幸せを噛みしめたような、満面の笑みを浮かべた。忙しいやつだ。


 横で眺めていたら、私の視線に気づいたようで、一口分、フォークに乗せて突き出してきた。


「お父様もいかがですか。おいしいですよ、このタルト」

「え、遠慮し――」


 刹那、身体に電流が走った。これは好機だと、身体がうったえている。私が父であるという誤解を解く、絶好の機会であると。


 考えろ。一口貰う時、私は兜のバイザーを上げることは必然。当然顔は見えるが、目の前にくるミスティにしか見えない。あとは……エーテル様からは角度的に見えるかもしれないが、口添えすれば黙っててくれるだろう。この際、プライドは抜きだ。


 申し訳ありません父上。このユーフィリア、今後の尊厳のために、信念を曲げることをお許し下さい。


「や、やっぱり、エーテル様のご厚意を無下にするわけにはいかんな。うむ、一口もらおう」

「気を張るのでは?」

「息抜きも大事、ですよね」

「ちょっとした隙がうんぬんかんぬん」

「こんな人目がある時を狙う馬鹿はいませんよ」

「見事なまでの手のひら返しですわね。別に構わないのですが、先ほどまでの意志はどこへ」

「……心情の変化でございます」「はーいお父様ー、バイザーあーけてー」


 よ、よし、ここで顔をそれとなく見せて、私が女性であると認識してもらおう。今日でお父様呼びとおさらばだ。

 ミスティの手の動きに合わせ、バイザーを上げようとした――その時だった。


「動くんじゃあねぇぞ!」


 通りから怒号が響く。騒がしかった店内が静まる。外の叫び声が轟く。


 一体何事か。私は思わず立ち上がった。

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