第3話 前

「報告書の点検……おしまい。いつも助かるよ」

「いえ、お安い御用です」


 陽が沈み始めた頃、私はフィル団長と執務室で報告書を整理していた。その日、どの部署がなにをしていたか、各責任者が内容を記している。問題ないかを調べて、あるようなら対処する。今日は別段問題はなかった。


「今日は何もなくてよかった。前のは特段面倒だったね」

「前のって……ああ、猫ですか」


 すごかったね、と団長は笑った。私には頭が痛い出来事にしか思えないのだが。


 簡単に話をまとめると、猫が侵入し武器庫がめちゃくちゃになった。この猫がすばしっこくて、中々捕まらなかった。その後武器庫から脱走、拠点内を駆け回り、二十人体制でどうにか捕獲した。なお、最後に捕えたのはこの私。褒めて欲しい。


「片付け大変だったの、今でも憶えてるよ。しばらく腰が痛かったし」

「私もです。訓練不足を痛感しました」

「アマリリスは深く考えすぎだよ。ほら、リラーックス」


 団長は気の抜けた声を出しながら机に伏した。目の錯覚か、どろどろに溶けて見える。団長も相当疲れているようだ。


「しっかりしてください。こんなところ見られでもしたら――」


 ゴーン、ゴーン……。


 私の言葉を遮るように、騎士団の一日、その終わりを告げる鐘が鳴った。


「聴いたね? お仕事は終わった。みんな帰ってるよ」

「はぁ……まだ雑務が残っているでしょう。手伝いましょうか」

「そんな残ってないし、自分で済ませるよ。だいじょーぶ。先帰っていいから。ほら行って」


 伏した姿勢のまま、手をひらひらさせて、帰宅を催促している。団長が大丈夫と言っているなら、無理に手伝う必要はないか。そう判断し。


「では、お先に失礼します。あまり無理はなさらないでくださいね」

「お気遣いどうも。じゃあ、休み明けにね」


 一礼して、執務室をあとに。荷物をまとめて拠点を出た。

 帰路は私の巡回路でもあるので、帰るついでに見回る。まあ、大して目立ったことは起きないから、ただ見渡しているだけになる。平和なのはいいことだ。


 歩いていると、道行く人によく声を掛けられる。家に着くまで鎧姿、兜もそのままだから、やはり目立つのだろう。

 自宅に到着。歩いて二十分ほどだ。一戸建ての質素なもの、普通の家だ。

 靴を脱ぎ、室内用のサンダルに履き替える。部屋に入って、鎧を全て脱いだ。


「ふぅ~、やっぱり重いな、これ。……ん、少し汚れているな」


 簡単に拭いてから、整えて置く。鎧を持ち帰っているのは、団長曰く私だけらしい。置いていけばいいのに、と以前言われていた。最近一言も聞かないのは既に諦めているからか。どちらにしろ外で脱ぐ気はない。


 肌に張り付いた汗が気持ち悪い。流すために、着替えを持って風呂場に行く。


 服を脱ぐ前に、シャワーをつけてお湯を出す。水道周りが整備されたおかげで使えるようになった、すばらしい湯浴み道具、シャワー。昔は湯船に水を張って、沸くまで火を焚いていたものだが、今はスイッチポンで充分だ。実にすばらしい。他にも色んな技術が使われているらしいが、私は知らん。


 お湯になったのを確認して、服を脱いで風呂場に入る。

 汗を流しながら、自分の体をなぞる。全身変に硬く、柔らかさなど微塵もない。所々傷があり、女性らしさ、なんて感じない。この体を見せても女だと信じられんだろう。

 ボディシャンプーを手に取り、泡を作り、身体をなでる。力は入れずに、優しく、優しく。力強くやると肌が傷つく、と母に教えられた。


 次に、髪をすすぎ、シャンプーを泡立て、なじませるようにゆっくり洗う。母に洗い方を徹底して叩き込まれた。曰く、『髪は女の命、女の最後の生命線だから大事にしとけ』。騎士になってからも、会うたび口すっぱく言われる。最近はすっかりだが。


 泡をちゃんと落として。コンディショナーもつけて。最後にまたすすいで。

 洗い終え、風呂場を出てタオルを手に取る。肌にひっつく水を拭き取り、髪は入念に水気を取る。ドライヤーで髪を乾かす。すぐにやるとクセになりにくい……これも母に言われたことだ。終わりにブラッシングをして、髪はよし。


 さっさと着替えて居間へ。大きいソファに飛び込み、身体を沈ませる。力がすーっと抜けていって、ソファに呑み込まれるような感覚になる。


 外では常に気を張っているので、だらけられるのは必然的に自宅のみ。職務中の休憩とは違ってミスティは邪魔しに来ない。唯一素を出せてのんびりできる。


 私は一人暮らしで、母は田舎の実家にいる。かれこれ十年以上一人なので家事はできるが、たまには誰かに任せたいなと思う。昔は母に任せっきりで、ようやく苦労が分かった。恋人、の一人でもいてくれれば……なんてのは、叶わぬ夢か。

 ――と。


「……う」


 きゅるる、と小さく腹が鳴った。身体は正直とはよく言うもので、空腹を告げる。情けない音が出てしまい、本当に一人でよかったと思った。


「適当に用意するか。何か残ってたかな」


 生理現象には逆らえない。渋々ソファから立ち、台所に。冷蔵庫の中を見ると、大して食材がなかった。冷やご飯と卵、少しの野菜と肉が一切れ。炒飯を作れといわんばかりだ。あとはせいぜい牛乳くらい。


 きゅるるる……。


「ええい、やかましい。今作るから」


 手早くやってしまおう。野菜と肉は小さく切って、卵を器に割りいれて混ぜる。フライパンに油をひいて、冷やご飯を投入。油を絡ませてから、卵を流し込む。さっと炒め、切った野菜と肉も投下。あとはフライ返しで混ぜつつ、全体に火をまんべんなく通していく。


 準備から十分と急ぎめで炒飯の完成。正直あと一品は欲しいけど、食材がない以上諦めるしかない。休みの日に買いためておかないと。極力腐りにくいものを買っておこう。


「明日の朝はどうしようか。これの残りをおにぎりにでもするか。あっ、お昼も問題か」


 食べながら、明日のご飯はどうしようか、と考える。


 いや、これもチャンスだ。ミスティと一緒に食堂で食事をすれば、顔は見せられる……駄目だ、人目が多すぎる。私はミスティの『お父様』の認識だけどうにかしたい。他の団員に知られて、「女性だったのですか。残念です」と士気が落ちては意味がない。

 ミスティ曰く、私に憧れて入団した者も多い、らしい。うん、それは非常によろしくない。


 食堂で持ち運び可能なものにしてもらって……ううん、私だけ特別扱いはよくない。基本注文したものは食堂で食べるきまりだ。私が率先して破る形もよろしくない。事情を話したところで、「そんな理由で破ったのですか」と言われて呆れられるが目に見える。よろしくない。


 とにかく、よろしくないのだ。


「くっ、食料がないだけでこうも翻弄されるとはな……うん、我ながらおいしかった。ごちそう様でした」


 一応朝食になるおにぎり分の量を残し、竹の葉でくるんで三角形にする。食器を洗って棚にしまう。


 風呂に入って、夕食も済ませた。あとは、寝るまでのんびりしていればいい。


 牛乳を火にかけて温める。ふつふつ泡が出たあたりでマグに移し、蜂蜜を大さじ二杯、溶かして混ぜる。帰宅してからのささやかな楽しみで、ホットミルクを飲みながら読書する時間が好きだ。時間がゆっくり流れているのを感じられて、心が落ち着く。


 マグ片手に、読書のお供を探す。大きい二つの本棚を眺め、どれにするか考える。

 数分悩んだのち、偉人の伝記を取って、ソファに座った。

 マグをサイドテーブルに置き、本を読みながら一口ずつ飲む。濃い目のミルクに甘い蜂蜜、ほっとする味。読書もはかどるというもので、疲れもどこかへ飛んでいく。


 こんなにのんびりできるのは、本当に自宅しかない。仕事も、毎日行われるこれのおかげで乗り切れている。仮に、私が騎士をやめたなら、朝から晩までこの状態になるんだろうか。


(それは、なにか違う気がするな)


 毎日がお休みというのも辛い。仕事の合間にこういう時間を作るからこそ、日々活気が生まれるのではなかろうか、と思う。いつも仕事ではいけないし、かといっていつも休みでもいけない。日常は、バランスよくできているんだろう。


「んん……そんなことより甘味が欲しい。今度の休みに買いに行こう。日持ちするやつ……アイスは日持ちしたっけ」


 なんて、ぼんやり考えにふけり、のんびりとした時間を過ごした。


 ミルクを飲みほし、本を閉じて、床に就く準備を。歯を磨き、さっと髪の手入れをして、布団に入る。

 が、そうすぐには寝付けないというもの。案外まだ目が覚めている。しかも、私はよく考え事をする方なので、より遅くなってしまう。その考え事の大半は、ミスティのことである。


(全く、あいつはいつもいつも私を……どうしたらあの呼び方を変えられるだろうか)


 とにかく衆人に素顔を晒すことなく、ミスティにだけ見せる方法。早い話、二人きりの時に見せればいいのだが、待ってましたと言わんばか

りに必ず邪魔が入る。どうやら天は、私に顔見せの機会を与える気がないようだ。


「うーん、むかつくな……」


 いやいやいや。

 考えるな、とにかく眠らなくては。明日の職務に響いてしまう。寝不足で具合が悪いなんて、私には耐えられん。だから寝る。寝るったら寝る。


「おやすみなさい、明日に備えろ、私」


 あとはひたすら思考しないようにして、真夜中の静寂に身を任せた。




 窓から差しこむ優しい朝陽、小鳥のさえずり――そして耳障りな目覚まし時計。

 爽やかで最悪な朝だ。


「うぅ、仕事か。おっくうだなぁ……」


 飛び起きて、アンダースーツに着替えて、かたびら、鎧を着こむ。

 兜を被る直前に朝ご飯を思い出し、昨夜こさえたおにぎりを水で流し込んで、兜片手に玄関の戸を開けた。


「遅刻ではないが、みんなを朝一で迎えたいしな。急ぐか――……ん?」


 そこで、ある事に気が付いた。兜をまだ被っていないことではない。それ以前のことだ。


 よく考えてほしい。人間不眠不休で働けるわけがない。場合によっては可能かもしれないが、大半は無理だろう。少なくとも私は無理だ。


 前置きはここまでにして。つまり何を言いたいか、それは休日があるということ。一日仕事をしなくていい日があるということ。

 そして、先日の仕事終わりに、団長が言っていたことを思い出した。


『――じゃあ休み明けにね』


 このセリフ、次の日にも仕事がある人間に言うものだろうか。皮肉ならありかもしれないが、通常はない。団長に限ってそれはない。


 ……ということはもしかして。


 まさかそんな。部屋に戻り、今月の予定を確認する。見ると、今日から五日間分、赤い線と文字が記されていた。

『短期休暇』、と。


「今日、休みだったのか……」


 休みであるのに朝から急いだこと、しっかり鎧を着こんでいることに、私は大きく肩を落とした。

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