ヴィーナス・セリム


 大騒動の割には、結果的にエレンはなんともなかった。

 エレンの退院後、『奥』に戻ると、三人はジジにお礼にいったのは当然、ジジはかなり他の賢者たちからヒンシュクを受けていたのだ。


「ジジ様、私たちのために、お立場が悪くなられたとか……」

「大丈夫よ……もうすぐ神聖教も変わるかもしれないし……」


 ジジは意味深な事を言ったが、当時の三人には意味がよく分からなかった。

 その頃はヴィーナス・セリム一座がやってきて、奉納舞いをするという、シビルの町はその話で持ちきりの頃だった。


 オルガはヴィーナス・セリムを見たことがあるらしい。

「それはもう美しい方で、黒の巫女様か黒の女神様かと思ったものよ、それに素晴らしい歌声なのよ♪」

「本当?」


「会えば分かるわ、私がアルジャの町の出身なのは、知っているでしょう」

「ここへ来るとき、最後の別れを惜しんで、両親が天使と評判の方が、異国の歌を歌うということで、連れて行ってくれたの」


「確か居酒屋『ご機嫌な天使』の、お客様感謝の日だったと思うわ……ものすごくうまかったわ」

「とくにアンコールの前の曲は素晴らしかったわ……意味がわからないのに、お客さんは涙を流していたの、私も涙が止まらなくなった……」


「奉納舞い以外に歌ってくれるのかしら……」

 と、アグネスが言うと、エレンが、

「無理かもしれない」と言う。


「確かにそうね……奉納舞いですものね……黒の女神様に捧げる為の踊り……でも……あの美しい方が踊るのですから……」


 オルガが夢見るように言いましたが、突然、

「思い出したわ……あの方、お菓子作りもものすごいのよ」

「歌を聞いた後、手作りのお菓子が出されたのよ、初めて食べるお菓子だったけど、甘美な味が舌に残っているわ」


「いいわね……そんな事に出会わないわね……私たち下っ端だものね……会うことも出来ないわ……」

「そうね……」

 ため息の三人だったが、意外に『そんな事』に出会うことになった。


 ヴィーナス・セリムの、奉納舞いの公開練習が有るという。

「ねぇ!行かない?」

「何とか行きたいけど……」

 アグネスが言葉を濁す……


「仕事?」

「いつものようにお掃除……」

「私は昼からお休みなのよ……仕方ない……手伝ってあげるわ」

 と、エレンが言った。

「私はギリギリまで仕事が……ごめんね……」

 申し訳なさそうなオルガ。


 でも三人は何とか間に合ったのである、そしてそれは、素晴らしいものであった。


 ヴィーナス・セリムの奉納舞いは、女神様が踊られているようだった……

 いや、女神様に奉納するのだから、巫女様……黒の巫女様……


 無地の布地で作られたスカートをはき、髪を後ろでまとめ、白い花飾りをし、銀色の装飾で身を固めたヴィーナス・セリム……


 オルガのいうとおり……

 アグネスは言葉もなかった……


 静まり返った舞台の上で、ヴィーナス・セリムは集まっていた女官に向かって、静かに語り始めた。


「皆さま、このように皆さまが集まる機会は、大変すくないと聞き及んでいます」

「せっかくここに集まったのです、すこしばかり楽しくお時間を過ごすというのはいかがでしょうか」

「私は魔法がすこし使えます、それで音楽を流します、そしてそれにあわせて、皆で踊りませんか?」


 後で知ったのだが、その時の音楽とダンスは、フォークダンスというのだそうだ。

 三人も、踊りの輪の中に入って踊った、楽しかった……

 誰もが踊りに夢中になった、そしてヴィーナス・セリムに魅入られた。


 アグネスは思っていた。

 エレンって幸運ね……ヴィーナス・セリムさんと踊れたのだから……


 そこに二人の会話が聞こえた。

 オルガが、

「羨ましいわ、手をとってもらえたなんて!」


「いいでしょう、私……あの方の……」

「それ以上はいわないの」

「そうね……私たち女官でしたね……」


 たしかに私たちは女官、恋愛は本来ご法度……今回は上の方、大目に見ていただけるのでしょうね。

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