第3話 9月のお話①

「いやあ、実にいい所だった」


 助手席の赤羽俊あかばねしゅん先輩が、腕を組んで頷きながら、大義そうに言いました。


「まったくだ」

「そうですねえ」


 車を運転する和泉先輩と、後部座席で私の隣に座る坂本輝翔さかもときしょうくんも、全面的に同意しました。


 9月の中旬、私たちはミステリー研究会の合宿で秩父に来ていました。


 ミス研の合宿では、主に秋の大学祭で配布する部誌の校正作業をします。部誌に小説を載せる人はこの合宿に原稿を持ち寄り、集まった部員が校正をして、それを元に執筆陣は、10月の締切に向けて修正作業をすることになります。合宿所では今頃、夜の宴会に間に合わせるため、部員たちがカンヅメになって黙々と執筆、編集、校正作業に取り掛かっているはずです。


 では、私たちはなぜ車に乗っているのかというと、合宿の幹事でもある和泉先輩の車で、宴会のための買い出しに出かけているからなのです。

 3時間ほど前から……。


「いいんでしょうか」

「何が?」


 赤羽先輩が応じました。なにしろこの車の荷台にも後部座席にも、まだ何も積まれていないのです。


「だから、私たちだけこんな、観光してていいのかってことです」

「観光っていうか、聖地巡礼ね」

 赤羽先輩が訂正しましたが、どっちでもいいです。


 私たちが巡っていたのはアニメの舞台になった場所、いわゆる聖地というものです。大きい橋とか街並みが見渡せる公園とか、それなりに見応えのある場所もあれば、ただの線路沿いとかどこにでもありそうな神社とか、とにかく色々と見て廻ったわけです。


「なんか前も聞いたな。市辺の『いいんでしょうか』っていうの」

「あの時は、よくなかったですね」

「そうだっけ」

 すっとぼける和泉先輩でした。


「まあまあ、誰も反対しなかったわけだし、責任はみんなにある。そうでしょ?」

 赤羽先輩のフォローに、私は二の句が告げませんでした。確かに海ほたるのときと違って、今回は私も、うっかり、一緒になってはしゃいでしまいました。時間を忘れて……。


「でも意外だったなあ」


 そう言ったのは、坂本くんでした。

 坂本くんは工学部の1年生で、コンピュータ研究会にも所属していて、有り体にいうとオタクな子です。とはいえ見た目はちょっと地味目な――なんなら私の方が地味かもしれませんが――ぐらいで暗いということもなく、私や陵ちゃんみたいな女子とも普通に話します。


「何が?」

「いや、市辺さんって、アニメとか見るんだと思って」

「別に、そんなに見るわけじゃないけど。私ってどんなイメージ?」

「うーん……、普通」

「あ、そう。普通だとアニメは見ないの?」

「まあ、要は、オタクっぽくないってこと」

「ふーん」

「あとあれ、バドミントンのサークルも入ってるじゃん。それだけでもう陽キャっぽい」

「そう?」

「坂本よ。その発言がもうオタクっていうか、陰キャっぽいぞ」

「まあまあ、いいじゃないですか。あはは……」

 表情は笑っていますが、その声がどことなく乾いているように聞こえるのは、私の気のせいでしょうか。


「別に、高校の時、身近に好きな子がいたから見てただけだよ。最近のは全然知らないし」

「へぇ」

「ていうか、私はむしろ、赤羽先輩がいることが意外です」

「ん?俺?」


 赤羽先輩が振り向きました。

 赤羽先輩は和泉先輩と同じ2年生で軽音楽部にも所属しており、簡単に言うと高宮先輩をもう少し背を高くして、ちょっとチャラくした感じの方です。あまりミス研には顔を出さず、私は2、3度しか会ったことはありませんが、アニメなどに馴染みのある人のようには見えませんでした。


「いや、俺はけっこう、アニメとか見るよ。自分でもオタクだと思うし。ていうか、軽音部はけわりと好きなやつ多いよ」

「そうなんですか」

「そうそう。なんやかんやいい曲が多いからさ。そういうとこから入ってくんだよ」

「なるほど」

「あとまあ、俺の場合工学部だし」

「それは工学部に失礼なんじゃ」

「んなことないって。なあ坂本」


 振られた坂本くんは「まあ」と答えるだけでした。そうなんだ……。


「これは俺の持論だけど、工学部にいる奴は10割オタクだ。アニメじゃなくても、車とか電車とか、サッカーとか、あとダムとか。そういや――」


 赤羽先輩が聞いてもいないのに、工学部のオタク友達について語り始めました。この中で唯一止められそうな和泉先輩はというと、黙って前だけを見つめています。運転しているのだから、当然といえば当然なのですが。


 車内はクーラーのおかげで気温は快適でしたが、外からは傾きかけた太陽の光が眩しく降り注いでいました。

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