カリンのせい
~ 十一月二十一日(木) フカヒレスープ ~
カリンの花言葉 優雅
秋の雨には、濡れてはいけないよ。
だって他の季節の雨より線が細くて。
心が寂しく、冷たくなってしまうから。
by 傘を差さないおてんば娘を見ながら頭を掻くおじさん
――窓の外には冷雨が糸を引き。
いつもは騒がしい皆さんの口を。
きゅっと縛り付ける。
そんな静かなお昼休み。
「じゃじゃーん! なの!!!」
「まじかあ」
クラス全員がどよめいた。
俺のお料理特訓、最後の種目。
君が持ち上げる。
でかいジッパーパック。
その三日月形の正体は。
「フカヒレですか」
「ここまで戻すのに二日かかるの。でも、後は一分くらい煮るだけ」
ずいぶんな高級食材を。
お料理初心者に押し付けるこいつは
カリンを挿した。
軽い色に染めたゆるふわロング髪。
なんでサメが大口を開けた形に結ってあるのか。
やっと理解できました。
「凄い昼飯になる!」
「俺、購買で一番高い弁当買って来る!」
「しまった! 私、サンドイッチにしちゃった! 合うかな?」
「だれが皆さんに振舞うと言いました?」
文句は言ってみたものの。
さすがに三年も一緒に過ごすと。
俺が皆さんから。
どんな扱いを受けるのか予測可能。
案の定、皆さん揃って。
俺の声が聞こえないふりをするのです。
「お肌にいいのよね!」
「あたし、食べるの初めて!」
「嬉しいサプライズだぜ……!」
そして机を丸く並べて。
飲み物とお弁当をその上に出すのですが。
回転テーブルじゃあるまいし。
そんなことする必要ある?
がやがやとはしゃぐ皆さんに。
呆れかえっていたら。
穂咲はすっと手をあげて。
しとやかな声を上げました。
「こほん。フカヒレ様が食卓に並ぶの。だからそんなに騒いじゃいけないの。優雅な昼食会にするの」
そんなおばかな宣言を聞いて。
納得の頷きで返したバカ一同。
しずしずと座席へ着くと。
姿勢を正して高級料理を待つのでした。
「まったくこのクラスは……。ねえ穂咲、それ一枚で全員分って作れるの?」
俺の問いかけに返事もしない穂咲は。
どこから持って来たのやら、巨大な寸胴に。
ペットボトルからお水をぶち込んでいたのですが。
鍋の中をちょいちょいと指差すので。
ちらりと覗き込むと。
そこには、細切れにした。
大量の春雨が入っていたのです。
「なんたる上げ底」
あきらかにそこに置いてあるフカヒレより春雨の方が多いのですけど。
「こんなのバレるのではないですか?」
俺は不安を隠しもせず。
ひそひそと穂咲に話しかけます。
「あとは教授の腕次第なの」
「腕と言いましても。いつものように穂咲のレシピ通りに調味料入れるだけですよね?」
そして一分煮るだけ。
腕なんか関係ない。
そう思っていたのに。
こいつはとんでもないことを言い出しました。
「ううん? 今日は、道久君が味付けするの」
「はあっ!?」
フカヒレスープなんて。
テレビでしか見たこと無いのです。
茶色い、中華っぽいあんかけ風のやつという知識だけで。
作れるわけないでしょうに。
「ちょ……、無理ですよ」
「無理くないの」
「そうか! 携帯で調べれば……」
「スマホなら、さっき落とし物箱の中に入れといたの」
「何するんですか!」
ああもう。
使用禁止と言えば済むじゃないですか。
なんて面倒なことをするのです。
でも、そんな文句を言っても始まらない。
俺はコンロに火を入れながら。
調味料の入ったスポーツバッグから。
今まで使ったことのある調味料を取り出して。
そしてどれを入れたらスープっぽくなるのか。
さんざん悩んでいると。
「しかし道久。お前、なんで中華に目覚めたんだ?」
「毎日、甲斐甲斐しく作ってるわよね?」
「なんの罰ゲームなんだ?」
優雅な昼食風景に飽きた連中が。
俺をいじり始めたのです。
「前に言いませんでしたっけ? 穂咲に満漢全席を食べさせると約束してしまったのです。その特訓なのです」
「じゃあやっぱり罰ゲーム?」
「ちょっと秋山! 穂咲ちゃんに何したのよ!」
「いえ、これは誕生日プレゼントの延長のような物でして。でも、穂咲。約束を果たすのは受験に合格した後ですよ?」
「試験なんて簡単なの。だから、すぐにでも作れるようになっとくの」
君はそう言いますけど。
せっかく申し込んだ試験を。
二つほどスルーしていますし。
「本当に大丈夫なのですか?」
「だって、なるたけ近くの学校がいいの」
「気持ちは分かるのですが。万が一に備えてどこか受かっておいた方が……」
「下宿しなきゃいけない所になんか行かないの」
最後には。
少し寂しそうにつぶやいて。
窓辺に立って。
冷たくなった窓に手を添えます。
そんな穂咲の心情を。
クラスの皆は汲んでくれて。
教室内は、優雅というより。
慈愛に満ちた静けさに包まれます。
……そんな優しい皆さんへ。
少しでも美味しいものを作らないと。
だから俺は。
あえて薄めの味付けにしてみました。
そして穂咲に味見をしてもらって。
何が足りないか言わせる作戦。
我ながら冴えているのです。
醤油とみりん。
紹興酒と中華スープの素。
ショウガチューブと。
とろみを出すために片栗粉。
そしてお鍋がくつくつと言い出したので。
ここから一分煮込んで。
後は藍川教授にお任せなのです。
……そう思っていたのですが。
「ようし道久! 中華の腕を磨け!」
「最高の中華を振舞ってやれ!」
「無理ですって。大したもの作れないのです」
「何だと貴様!」
「そうよ! へたな物穂咲に食べさせたら承知しないわよ!」
「そうだそうだ!」
なんという扱いの差。
さすがに腹が立ちました。
ならば、この薄味スープで。
皆さんを泣かせてくれる。
俺は、自分のオリジナル味付けのまま。
紙お椀にスープをよそって皆さんに配って。
罵詈雑言を受け流すために。
すまし顔で心を準備。
そして始まる。
阿鼻叫喚。
「なんだこれ!?」
「ちょっと、これ、どうなってるの!?」
ふふっ。
ざまを見よなのです。
「美味い!」
「絶品!!!」
…………あれ?
「感動した!」
「うそでしょ!? 美味しい!」
「こんなうまいもん、初めて口にした!」
「皆さん、なに言ってるの?」
あれれ?
どうなっているのかな?
非難を覚悟していたのに。
湧き起こるのは絶賛の声と。
そして拍手からのスタンディングオベーション。
……どうやら。
料理の才能がないことが幸いして。
奇跡が起きた模様。
ただ、そんな中。
こんな声が上がったのです。
「お前、料理人になった方がいい!」
いえいえ。
いくらなんでも。
「料理人にはなりませんよ」
「なんだって!? もったいねえ……」
「でもそうだよな。道久、式場探し頑張れよ!」
「応援してるからな!」
「あ、それ、やめました。専門学校に行きます」
俺の返事に。
一瞬だけの静寂。
そして。
「「「「はああああ!?」」」」
今度こそ始まった罵詈雑言。
いけね。
誰にも言っていませんでしたっけ?
「散々心配してたのに!」
「何なんだ貴様は!」
「いい加減な野郎だな!」
「酷いのです」
持ち上げられたり落とされたり。
大忙しのトロッコ列車。
でも、皆さん本当に。
心配して下さっていたことは知っていますし。
「ですから本日は、皆さんへの感謝を形にして、心を込めて料理を作ったのです」
俺が、目をキラキラさせて言うと。
皆さん揃って口をつぐんで。
じゃあしょうがないかと席について下さいました。
まあ、心を込めて作ったなんて。
ウソなんですけどね。
「そうか、専門学校にしたのか……」
「散々応援してやったのに……」
「でもまあ、料理が美味いから許してやるか」
「うん! この味、神ってる!」
「コラーゲンもぷるぷるだし!」
「もう、お肌に効き始めてる?」
そんな賑やかな食卓に向けて。
再び穂咲が手をあげながら。
「皆さん。優雅に召し上がるの」
「そのバカな演出やめませんか?」
至る所から聞こえた咳払い。
そして居住まいを正すおバカさんたち。
ああもう。
ほんと君ら。
「この、芳醇な風味と食感が良いですね」
「港町で食べた品より、断然高級な品です」
「贅の極みですな」
「おほほほほ」
呆れかえりはするものの。
騒がしい連中の。
こんな光景は珍しい。
しかも、俺が立たされないことも珍しい。
……皆さんも喜んで下さいましたし。
万事めでたし。
幸せな心地で皆さんを眺めていた俺が。
自分の分のスープを食べようと。
寸胴のお玉を握ったその時。
目に入ってきたもの。
「道久君。入れ忘れてるの」
それは。
穂咲が手に持った。
ジッパーパックに入った三日月形。
ねえ、穂咲。
それはこっそり隠しておいて欲しかった。
「「「「はああああ!?」」」」
じゃないと、ほら。
優雅な食卓が。
こんな感じに崩壊しちゃうから。
こうして俺は。
秋雨の中。
校庭の真ん中に立たされたのでした。
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