ブバルディアのせい


 ~ 十一月十九日(火)

     ハンガリー風豚丼 ~


 ブバルディアの花言葉 親交



「と、言うわけで。専門学校に行かせてください」

「なの」


 ……今日、親に相談するつもりだと。

 へたに口を滑らせたせいで。


 ひょこひょこと家までついて来て。

 俺の隣で一緒に頭を下げるこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして。

 結び目から、わさっと生えたブバルディアごと。

 頭を床につけるのです。


 もっともめるかと思っていたのに。

 最悪、反対されるかと思っていたのに。


「お嫁さんにも言われちゃしょうがないねぇ」

「お嫁さんにも言われちゃやむをえまい」

「お嫁さんじゃありませんよこいつは」


 父ちゃん母ちゃんは。

 二つ返事で。


 じゃあそうすればと。

 そう言ってくれたのでした。



 ……千草さんに言われて。

 専門学校へ行くことにして。


 そのことを二人に話すまで。

 随分と悩みましたが。


 案ずるより産むが易し。

 こんな事なら。

 もっと早く言っておけばよかった。


 恥ずかしい思いもしましたが。

 これもすべて、穂咲のおかげ。


 俺はお隣りにも頭を下げて。

 心からの感謝を伝えると。


 この功労者は。

 母ちゃんが珍しくマスクなどしているのを見て。

 携帯に何やら打ち込みます。


「何をしているのです?」

「お礼も兼ねて、お手伝いするの」


 何を手伝う気なのでしょう。

 そう考える猶予も与えられず。


 あっという間に玄関から。

 おばさんが顔を出しました。


「これ! 福引で当たった、ちょっといい三元豚よ!! ほっちゃん、これ使って気合入れて作りなさい!」

「はいなの。おばさん、キッチン借りるの」

「おや! 夕飯作ってくれるのかい? そりゃ悪いね!」


 ああ、なるほどね。

 母ちゃんが具合悪いと思って。


 ご飯を作ってくるとおばさんに連絡したら。


「本人はもうどうでもいいから! ご両親に気に入られなさい!」

「もうって」


 つまりは。

 こうなったという訳なのです。


 しかし、気に入られるも何も。

 この二人。

 穂咲のことは大好きなわけで。


「台所などいくらでも使いなさい」

「なんなら、いつまでも使っていいさね!」


 …………つまりは。

 こうなるわけなのです。


「やれやれ。一貫してこんな事ばかりなさいますね、おばさんは」

「なに言ってるのよ! 道久君が朴念仁だからおばさんばっかり大変な思いしてるんじゃない!」

「勘弁してください」


 そしておばさんは。

 意味の分からないお説教と穂咲のセールストークを始めたのですが。


 はたと何かに気が付いて。

 眉根を寄せてしまうのでした。


「どうなさいました?」

「大変! 夕食、私ひとりじゃ寂しい!」

「いまさら?」


 自分で煽っておいて。

 何を言い出しますか。


「ここで食ってけばいいさね!」

「ああ、そうだな。これからも、いつでも来てください」

「そのまま、いつまでもいていいさね!」


 突っ込みたい。

 でも、お得意の突っ込みも。

 こればかりは否定し辛くて。


 俺が手の甲の振り下ろし先を求めて。

 右腕を泳がせていたら。


「そしたら、五人家族?」

「勘弁してください」


 穂咲がボケてくれたので。

 ようやく突っ込むことが出来ました。


 ……が。


 まさかそこから。

 連続で突っ込むことになろうとは。


「なによ道久君! いいじゃない、五人家族!」

「勘弁してください」

「すぐにでも六人家族になるさね!」

「勘弁してください」

「そうだな。学生の間はダメだ」

「そういう問題ではありません」

「おばさんは許可する」

「母ちゃんも許可する」

「おい待て」

「「多数決により採用!」」

「ほんといい加減にしろ」


 たった十数秒の間に。

 すっかりぐったり疲労困憊。


 もう、ご飯食べずに。

 部屋に行こうかしら。


 そう思って立ち上がった俺に。

 おばさんが、一転して優しい言葉をかけてくれました。


「ほっちゃんから聞いたわよ? 専門学校、がんばってね」


 なんというギャップ攻撃。

 急すぎて。

 御礼が言いにくい。


 だから俺は。

 つい照れ隠し。


「おばさんが先に知ってたこと言ったらダメです。こいつらががやきもち焼くので勘弁してください」


 あらほんとだなどと。

 口を両手で押さえたおばさんに。


 呑気な夫婦は。

 この人たちらしいやり方で助け船。


「わはははは! お嫁さんの方がこういう時はフットワーク軽いもんさね!」

「そうだな。旦那はこういう時、頼りにならないものだ」

「勘弁してください」


 穂咲は鼻歌など歌っていますけど。

 絶対聞こえてますよね。


 ちょっとは助けてくださいな。


「じゃあ私、今日からこっちで食べようかな?」

「そうしなそうしな! そしたら穂咲ちゃんが毎日ご飯こさえてくれんのかい?」

「そんくらいわけないの」

「ありゃま! どうしようね、おばさん幸せ太りしちまいそうだよ!」

「勘弁してください。それ以上、どこに肉を付ける気なのです?」

「まったくだ」


 さすがに父ちゃんも。

 今の母ちゃんのセリフには。

 ため息をつくのです。


「おまえ、運動くらいした方がいいぞ?」

「なに言ってんさね! あんたと違って、毎日ウェイトトレーニングしてんじゃないのさ!」


 母ちゃん。

 そう言いながらおなかの肉をつまんで。

 ガハガハ笑っていますけど。


 そのトレーニング用のダンベルが。

 問題あると言っているのです。


「やれやれ。……奥さんからもなにか言ってやってください」

「そうね。ここんとこ、一回り膨れた?」


 俺たちが言っても聞きもしない言葉。

 でも、発信元が違うだけで。

 ピタッと止まったガハガハ笑い。


「……ほんと?」

「うん。そう見えるけど」

「エプロン、洗って縮んだせいじゃなくて?」

「どういう意味よ。……まさか、結べなくなったの?」


 よく見れば。

 両端にプランと下がる腰ひも二つ。


 あきれ顔で見つめていた俺に気付いた母ちゃんは。

 猛烈に怒り出しました。


「道久! ブタさんを愛でる時の目で見るんじゃないさね!」

「どんな目ですか。それより気を付けないと、ほんとうにブタさんになっちゃいますよ?」


 そしてぶひぶひと。

 怒り続ける母ちゃんを。


 おばさんが笑いながらなだめます。


「あんた、マスクなんかしてる割に元気いっぱいじゃない」

「ん? 元気は元気なんだけど、なんかくしゃみが止まんないんさね」

「風邪のひき始め? 気をつけなさいね。太ると免疫力が低下するって言うし」

「あーーーー! 聞こえない聞こえない! あーーーー!」


 そして大騒ぎからの、いっくしょん。

 一人で騒がしいこと。


「母ちゃん、寝てた方がいいんじゃないですか?」

「いーっきしょ! ……熱も無いのにかい?」

「喉とか、頭が痛いとか?」

「いーっきしょ! ……まったく?」


 そして一度くしゃみを始めると。

 止まらなくなっていますが。


 この症状って。


 俺はおばさんと顔を見合わせて。

 同時につぶやきます。


「「花粉症?」」

「おお! ついにデビューしちまったんかね? いっぺん、なってみたいと思ってたんさ!」

「やっぱりあんた、免疫力が……」

「そういうことなら断じて違う! 花粉症じゃないさね! そういや、こんな時期に花粉なんか飛んでるわけないじゃないのさ!」


 ああもう。

 太ったって話にいちいち噛みつかないで下さい。


 それに。


「花粉、ありますよ。十月から年末にかけて飛ぶやつが」

「へえ? 何の花粉さね?」

「ブタクサなのです」

「道久! あんたは晩御飯抜き!」

「ブタって呼んだわけじゃないですよ! 過剰反応しすぎなのです!」

「あら道久君。それならこの症状、ブタアレルギー?」


 おばさん、やめて。

 面白いけどこういう時は。

 怒りの矛先が俺にばかり向くのです。


「道久は、明日の朝メシも抜き!」


 ほら。


 ……二食抜いたところで

 別になんともないですけれど。


 それにしたって。

 なんで罰が全部ご飯なの?


 食い意地が張っているからそうなるのです。

 なんて言えるはずもなく。


 母ちゃんの怒りを。

 一身に浴びていたところへ。


「お腹がすくから怒りたくなるの。これ食べて、楽しい気持ちになると良いの」


 穂咲が丼を並べると。

 騒がしかった食卓が。

 途端に笑顔で満たされます。


 さすがは穂咲。

 さすがはご飯なのです。


 そんな幸せを運んでくれた丼には。

 甘辛く焼いたブタの上に。

 なにやら赤いペーストが塗られています。


「美味しそうな料理さね! この赤いの、なにさね?」

「パプリカペーストなの。こいつがうんまいの」

「へー! それじゃさっそくいただきま……」

「題して、ブタペスト風ブタ丼なの」


 …………うん。

 君は悪くない。


 ブダペストをブタペストと言ったのも。

 別に悪くない。


 だから、しょんぼりして珍しくお代わりを一杯でやめた母ちゃんを。

 心配そうに労わらなくていいから。



 ……そもそもいつもの茶碗じゃなくて。

 この人、丼で二杯食ったのですから。



「はあ……。食欲湧かないさね」



 五杯分のご飯を食べ終えた母ちゃんは。

 お腹をぐうと鳴らしたのでした。


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