オウゴンハギのせい


 ~ 十一月十五日(金) 春巻き ~


 オウゴンハギの花言葉 希望通り



 丘の上の白い村。

 そこに咎める方などいないので。


 スラックスに革靴という姿なのに。

 地べたに足を投げ出して。


 秋風にそよぐ緑の海を。

 ただただ、ぼけっと見つめます。



 ……あわただしくて、不安で。

 夢を見失いかけて、周りに心配をかけて。


 今朝までの気持ち。

 息が詰まるほど苦しい気持ち。


 それが今や。

 まるで嘘のよう。


 壁を四つの方へパタンと倒し。

 柱だけになった心を、秋風が通り抜けて行く。


 積もりに積もった埃が。

 すっかり払われたテーブルの上には。


 美穂さんとお兄さんの。

 素敵な笑顔の写真が一枚。


 自由に。

 何物にも縛られない風が。


 この、白い丘の風が。

 俺の心を吹き抜けていったのです。



 ……そんな自由な風が敵視するのは。

 ただ一人。


 自由一杯に。

 緑の海を走る君。


 自由と自由。

 どちらが上か。


 風は雌雄を接するために。

 今、穂咲へ勝負を挑むのでした。


 ぱかっと口を開いた笑顔のまま。

 両手を振る君の帽子を。


 風は乱暴に放り投げて。

 緑の海へ捨ててしまいます。


 そんなついでに、真っ白なワンピースを。

 これでもかとめくりあげたので。


 裾を押さえつける君が。

 パンパンに膨れた顔を。

 俺に向けてきます。


 風さん、風さん。

 君の勝負に。

 俺を巻き込まないでください。


 穂咲さん、穂咲さん。

 君の下着を。

 俺が見たなんて思わないでください。


 こんなに遠く離れていますし。

 見えるはずなど無いのです。


 ……そして、転がる帽子を追いかけて。

 今度は、風とかけっこを始めた白いワンピース。


 そんな妖精さんに。

 三つのお願いのうち、一つ目を。

 今ここで、叶えてもらおう。


 一生のうちに三つだけ。

 その、最初のお願いは。




 ……さすがにもう。

 クマさんはやめませんか?




 ~🌹~🌹~🌹~




 いつも、運転中は感情を消していらっしゃる新堂さん。

 車の中で初めて、感嘆のため息をお聞きしました。


 緑の丘の、白い村。


 二度目の光景なのに、初めて見た心地。

 二度目の光景なのに、懐かしい心地。


 おばあさまは以前と同じように出迎えて下さり。

 車を降りた俺は、春香さんと会長を伴って。

 今日は千草さんのご自宅へと伺います。


 優しい香りの紅茶と。

 焼きあがったばかりのスコーン。


 自家製と分かるブルーベリーのジャムに。

 昔、絵本で見た、穴の開いたチーズ。


 交渉に臨んだ、凝り固まった肩が。

 ただのお茶会と知って、すっかり緩んで。


 こんな、童話の世界のような場所で。

 お土産に持って来たお手製春巻きを出すタイミングが。

 一生訪れないのではないかとのんきに思い始めていたら。


 青天の霹靂。


 俺の仕事に肯定的だとばかり思っていたおばあさまの口から。

 耳を疑うような言葉をかけられたのです。



「秋山さん。専門学校へ進学なさい」



 ……品のある、千草さんの声が。

 胸に届くまで、ずいぶんとかかり。


 そしてようやく口をついて出てきた言葉に。

 晴花さんや会長ばかりでなく。

 誰より、俺が驚いたのでした。



「はい、そうします」



 ……心のどこかで。

 思っていたこと。


 俺自身が。

 気付いていなかったこと。


 それをこの方は。

 あっさりと見抜かれたのです。



 夢見た未来が違うから。

 進学をやめて。


 そして新たな目標へ進むために。

 一度進むことをやめた道を歩くこと。


 ……抵抗があったのです。

 自分でも。

 気付かないうちに。


「秋山さん。このお仕事をしようと決めてから、日が浅くていらっしゃる」

「……はい」

「だからでしょうね。あなたのお仕事ぶりに、不安を感じるのです」

「不安、ですか」

「はい。今までも、どのようなお仕事をするか説明しているまでは乗り気でも、試しに仕事の内容を見せたら怪訝な顔をされたことがあるでしょう」


 これには唖然としつつも。

 頷くほかに術を持ちません。


「どうしてわかるのです?」

「大人から見れば、あなたには足りないものが沢山あるのです」

「……それは?」

「視野と接客のキャリア。技術の裏付けと、そして……」


 おばあさまは紅茶へ口をつけ。

 そして、俺に足りないものをズバリと教えてくださいました。


「圧倒的に足りないもの。それは、人生の経験です」


 ……おばあさまの言いたい事。

 痛いほど分かります。


 つまりそれは。

 俺が、子供に見られているという事なのでしょう。


 いえ、実際。

 本人は真剣に向き合っていても。

 それは子供の視野の範疇。


 大人はみんな。

 そんな俺の言葉に。


 首肯することなどできなかったという訳なのです。


 ……今まで幾度も。

 体験してきたこと。


 俺の言動を。

 大人の視野を持つ晴花さんが。

 それとなくフォローして下さったことが何度もありました。


「……では、俺の夢は、子供っぽい考えでしかないという事なのでしょうか?」

「いいえ。先日の秋山さんのお仕事に感動したことは事実です。ですので、ここを結婚式場にして、あなたに心を揺さぶる記念写真を撮っていただきたいと真剣に考えています」


 そしておばあさまは。

 音もたてずに白磁のカップをソーサーへ戻しながら。


 俺の目をしっかり見据えて。

 こう結びました。


「さればこそ。あなたには職業としての技術をしっかり学び、資格を取ってきていただきたいのです。そしてそれ以上に、専門学校で学ぶことが、きっとあなたの視野を格段に広げてくれることでしょう」



 …………ああ。

 なんということでしょう。


 俺は、おばあさまと出会わなければ。

 一体どうなっていたのか。


 この、いきなりの申し出を。

 二つ返事で了承したのは。


 自分に必要な物。

 足りないもの。


 それを教えてくれる人を。

 それを教えてくれる場所を。

 それを教えてくれる時間を。


 切望していたせい。


 本当は分かっていて。

 でも、それが正解なのか過ちなのか。

 まるで分からずに。


 がむしゃらに前だけ無理やり向いて。

 歩いてきたのですが。


 ……それこそ。

 俺の望んだ生き方では無かったのです。


 のんびりと。

 ゆっくりと。


 地に足つけて。

 景色をいつも眺めながら。


 俺らしいペースで。

 進むべきだったのです。


「千草さんのおっしゃる通り。俺はもう二年、大人になるための準備をしてきます」

「ええ。……でも、それでは職業の経験を蓄積できないでしょう」


 おばあさまは、緊張感が少し緩んだタイミングで。

 お茶とお菓子を改めてすすめて下さいます。


 その時に、改めて知りました。

 俺はまだまだ。

 子供だということを。


 ……手を出したの。

 俺一人。


 すっごい恥ずかしい。


「秋山さんと柊さんには、ここで行われる結婚式の記念撮影をしていただきたく思っています」

「え? ……でも、それは先の話では?」

「いいえ。ご希望の方がいらっしゃればすぐにでも。その辺りは、雛罌粟さんにお願いしようと思っています」


 そんな話は初めて聞いたのでしょう。

 会長は、一瞬身体を固くしたのですが。


 でも、目を閉じて一呼吸する間に心は決まったようで。

 笑顔で首を縦に振ったのです。


「……千草様。派手に行う訳ではありませんが、そのために多少の宣伝を行ってもよろしいですか?」

「構いません。自分も知らない自分の気持ちを、一生色褪せぬ思い出に。そんな素敵なことのお役に立つことができるなら、私も我儘を言うつもりはありません」

「では、はじめは一ヶ月に一組くらいのペースで考えましょう」

「それで良いと思います。……あとは」


 そしてお二人の視線が。

 晴花さんへ集まると。


「ええ、あたしも大歓迎です。バイトと掛け持ちすればいい話ですし。それより道久君、学校行きながらここの仕事なんてできるの?」


 そう、笑顔で聞いて下さるのですけど。


「俺はもちろん頑張りますけど、晴花さんはホントに平気なのですか?」

「平気どころか、理想形! ワンコ・バーガーのレジと写真の両方が出来るなんてこんな幸せなこと無いわよ!」

「……レジ以外の仕事もしてくださいな。カンナさんがぼやいてましたよ?」

「それはイヤ!」


 晴花さんの言葉に。

 みんな揃って相好を崩したのですが。


 今のも大人の話術なのでしょうか。

 それとも真意?


 ただ、唯一分かるのは。

 それが判断付かない程度に。

 俺はまだまだ子供という事なのです。



 ……ようやく話がひと段落という事なのでしょうか。

 皆さんが紅茶とスコーンに手を伸ばします。


 そして気軽な日常会話と。

 お仕事の話をごっちゃにしながら。

 有意義な時間を過ごします。


 そんな中。

 俺は一人だけ。


 きっと他の皆さんよりも遥かに。

 心からの幸せを感じていました。



 学校と。

 ここでのお仕事。


 おそらくこれから二年間。

 寝る間もないような、濃密な時間を過ごすことになるのでしょう。


 ……でも、それは。

 のんびりと。

 ずっと好きなことをしているだけ。



「……幸せなのです」



 思わず口をついた言葉に。

 皆さんは一瞬、目を丸くさせた後。

 大きな声で笑ったのでした。



 ~🌹~🌹~🌹~



「…………で?」

「すっごいの! ほんとに緑の海を、さーって!」

「さーって。ではありません。子供なの? ガキンチョなの?」

「ガキンチョ上等なの! んじゃ、もう一回……」


 おばあさまが笑っていらっしゃるので。

 止めるわけにもいかないのですが。


「どうしたのです? その段ボール」

「新堂さんに貰ったの! トランクにあったの覚えてたから」


 帽子の追いかけっこから帰って来るなり。

 今度は芝生を段ボールで滑り出すとか。


 大人にならないといけないなと。

 そんなことを考えるのが。


 ばかばかしくなるのです。


「……道久君」

「はい」

「いつもの道久君の顔になったの」

「ん? ……そうですか?」


 子供なくせに。

 そういうことは。

 よく分かるのですね。


 いえ、思い起こせば。

 俺の心情を。

 いつもすぐに察してくれるのは。

 君でしたね。


「……よし。俺も乗せるのです」

「二人乗り? どんと来いなの!」


 段ボールにまたがって。

 俺に振り向くその笑顔。


 一年前の夏。

 船出を覚悟した、あの夏を思い出して。


「よし! では、出航なのです!」

「よーそろーなの!」


 俺は穂咲につかまって。

 緑の海へ向けて。



 ……今。


 出航したのでした。





 が。




 すぐに。


 転覆しました。



「道久君がへたぴいなの!」

「穂咲が悪いのです!」



 ……子供な俺たちは。

 せっかくのおべべを泥だらけにさせて。


 みんなが大笑いしている中。

 芝生の上で。

 ぎゃーぎゃーと大喧嘩。


 そんな泥だらけの妖精さんに。

 三つのお願いのうち、二つ目を。

 今ここで、叶えてもらおう。


 一生のうちに三つだけ。

 その、二つ目のお願いは。




 ……クマ隠しなさい。


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