ちょっぴり特別編 ルピナスのせい 前編


 ~ 十一月四日(月休) 小籠包 ~


 ルピナスの花言葉 多くの仲間



 父ちゃんの運転で。

 車に揺られること四十五分。


 それなり狭い、薄暗い山道を。

 ゆっくり目に登っていくと。


 急にひらけた視界の先に。

 淡い緑の芝生の丘が姿を現します。


 秋風にのんびりとその身をなでられる緩やかな丘は。

 俺たちの姿を見るとにっこりほほ笑んで。

 まるで縫い糸のように続く白銀の車道を。

 ここをお通りとばかりに教えてくれるのでした。


 丘の笑顔と同じよう。

 てっぺんに並ぶいくつかの建物も。

 日差しを浴びて、ぴかぴかな装いで。

 俺たちを迎え入れてくれるのです。


「なんか、白くてかわいらしいところなの」

「でしょでしょ? あの真ん中の建物が式場だし!」


 後部座席から身を乗り出して。

 テンション高くれんさんが指さす先。


 白い建物は。

 遠目には教会のように見えるのです。


 ――車から降りても可愛い可愛いと。

 人一番はしゃぐ白いワンピース。

 彼女の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は真っすぐに下ろして。

 三色のルピナスを挿した白いお嬢様帽子を軽く押さえながら。

 芝生を駆け抜けて、俺に手を振ります。


 そんな姿を見つめる俺に。

 自然と湧き上がる感情は。


 いつか君に。

 ここで毎日笑顔で暮らして欲しい。


 改めて考えてみると。

 なんでこんな気持ちが湧き上がったのか。


 ばかばかしいとは思いながらも。

 でも、君の姿を見つめて。

 幸せになる俺が確かにいたのです。



「お花とオルゴールの村にようこそ」



 爽やかな秋風に乗って届いた優しい声に振り向けば。

 白い壁の平屋の入り口にいらっしゃる。

 初老の、品のいいおばあさま。


 彼女がここの代表。

 千草ちぐさ玉枝たまえさんなのでしょう。


「本日はお忙しいところ、お時間を頂戴いたしましてありがとうございます」


 俺は晴花さんを伴って。

 おばあさまへご挨拶。


「あなたが秋山さん? 高校生と聞いていたのですが、随分しっかりした方なのですね」

「ありがとうございます。そのように見えるとしたら、友人から貰ったネクタイのおかげだと思います」


 俺の軽口に。

 おばあさまは、うふふと優しく微笑むと。


 いくつかある建物の中心にそびえる。

 教会へと俺たちを促します。


 砂利の敷かれた歩道を進み。

 おそらく、花畑と思われる広大な土の広場を横手に見つつ。


 ツルバラのゲートをくぐって。

 木製の、両開きの扉を潜り抜けると。


「これは……。素敵なところですね」


 月並みな言葉しか出てきませんでしたが。

 それはそれは美しい、真っ白な教会は。


 ステンドグラスの光で染められて。

 まるで雲の上で。

 虹の中へ迷い込んでしまった心地。


 清廉で。

 それでいて、夢にあふれた。


 童話の中のような。

 幸せな世界がそこに広がっていたのでした。


「ほんとに素敵……。すいません、写真を撮っても?」

「ええ。外に出さないで下さるなら」


 晴花さんはおばあさまの想いを汲み取ると。

 お約束しますと頷いて。


 一瞬でプロの表情に切り替えて。

 教会の中を歩き回るのでした。


 そんな姿を微笑と共に見つめていたおばあさまが。

 手近なベンチに腰かけながら。


「……ここはもともと、若い時分に体を壊した私が、療養のために移り住んだ場所なのです」


 左の上、遠くを見つめながらお話を始めたので。

 俺はそのはす向かいに立って耳を傾けました。


「サナトリウムにオルゴールの工房が一軒。そんな寂しい場所だったのですけど、お花畑を作ったことがきっかけで、今ではこんなに大所帯」


 大所帯との言葉が適切なのかどうか。

 この、丘の頂上には。

 おばあさまのいらっしゃった工房とやら。

 こちらの教会。

 そのお隣に建つペンション。

 他には十軒ほどの建物がある程度。


 でも、たった一軒の家しか無かった頃に比べれば。

 随分と賑やかになったのでしょう。


「まるでちょうちょなの!」

「穂咲!? いつの間に……、いや、失礼。彼女は私の友達で、今日は失礼と思いながらも連れてきてしまいました」

「構わないですよ。……お嬢さん、どうしてここがちょうちょなの?」

「だって、お花につられて集まって来たの!」

「まあまあ、素敵な表現だこと。ではここを、ちょうちょう村と名付けましょう」

「ちょうちょう村の村長は、町長さんになるの? ややこしいの」


 しまった。

 こいつは家に置いて来ればよかった。


 おばあさまは、あらほんとうねと楽しそうに笑って下さるのですが。

 そういう感じで話す席じゃないのです。


 俺が空気の読めない穂咲に頭を抱えていると。

 もう一人、ややこしいのが現れました。


「道久君! お土産に持って来た小籠包、早速食べたいし!」

「ここじゃダメですよ。ちょっと我慢してくださいな」

「こんにちは、榊原さん。お元気そうですね」

「そりゃもう元気元気! おばあちゃんも元気!」


 相変わらずのれんさんは。

 おばあさまのお隣りへ腰かけて。

 腕を組んでしまったのですが。


 これではお仕事のお話なんて。

 続けられそうもないのです。


 なんとか席を外していただかないと。

 俺は婉曲に、困っていることを伝えてみました。


「れんさん。千草様を紹介いただけたことは嬉しいのですが……」

「え!? お礼になった? よかった~! そんじゃついでにあたしの友達も紹介するし!」

「いや、そうじゃなくてですね……」

「言ってなかったっけ? ここで結婚式挙げるんだよ!」

「ですから……」

「道久君もここで結婚式挙げると良いよ! そうしようよ!」


 うおう。

 会話にならん。


 もう、今は諦めましょう。

 そのうち飽きて、他所へ行ってくれるでしょうし。


「れんさんのご友人の方も、こちらにいらしているのですか?」

「先に来てるって言ってたけど」


 れんさんはそう言いながら。

 携帯を確認していますが。


 おばあさまはにっこり微笑むと。

 れんさんへ優しく教えるのです。


「ええ、朝いちばんにいらっしゃいましたよ? それにしても、こんな場所で結婚式なんて。ほんとに珍しい」

「え?」


 珍しいとは。

 どういう事でしょう。


 思わず耳を疑ったおばあさまの言葉。

 質問せずにはいられません。


「ええと、ここは結婚式場なのですよね?」

「いいえ。ただの教会です」

「えええええ!?」


 ちょっと!

 話が違うのです!


「れんさん! どうなってるの!?」

「だって教会って、結婚式挙げるとこでしょ?」

「合ってるようで間違ってる!」

「ふふっ……。どうやら、榊原さんから正しく聞いていらっしゃらなかったようですね」


 おばあさまは上品に笑うと席を立ち。

 俺に向き合って、そして真剣な表情で話されます。


「ここで結婚式を挙げるのは、今回の方が二組目。二十年ぶりのお客様ですよ」

「な……」

「しかも、式は再来年の四月。その次に式を挙げる方がいたとして、何十年後になるのかしら?」


 それはちょっと。

 想定と、かけ離れているのです。


「あら、お気に召さなかった?」


 どうやら、気持ちが顔に出てしまったようで。

 渋い顔をしていたのでしょう。


 そんな俺の表情を映すように。

 眉根を寄せてしまったおばあさま。


 いつの間にか戻ってきていた晴花さんに肘でつつかれて。

 俺は慌てて表情を整えましたが。


 でも。

 時すでに遅し。


 おばあさまは。

 俺の申し出に対して否定的だったお気持ちを。

 面と向かって語りだしたのでした。


「……榊原さんのご紹介ですので、無下にする気はないのですが。正直秋山さんの仰るようなものが必要かしらと感じています」


 おばあさまは真剣な瞳で俺を見据えて。

 今までよりもしっかりとした口調で続けます。


「ここでの結婚式は、挙式されるお二人と、プランを考えて下さった大学生の想いの通り。派手なことは何もなくて、でも、世界一幸せな結婚式になるように、心で祝福できればと考えております」


 なるほど、今回の結婚式は。

 世界で一つだけの結婚式。


 そんなことを考えた方々による。

 オリジナルのプランだったのですね。


「秋山さんは、ここで永続的にお仕事をしたいと考えていらっしゃったのでしょうけれど。そのご希望に沿うことはできないでしょう」


 そうですね。

 今探しているのは。

 ずっとお仕事をさせてくれる式場。


 こちらでは。

 そんな願いを叶えることが出来ません。


 すべてを見透かされた俺は。

 いっそ清々しい思いでおばあさんにお辞儀をしたのですが。


 両腕、一本ずつ。

 ジャケットの、肘のあたりが引っ張られるのです。


 ……穂咲。

 そして晴花さん。


 二人の目は随分厳しくて。

 俺の決定に文句があるご様子。


 ええと。

 何が気に入らないのです?


 しかもおばあさまの肘は。

 れんさんが引っ張るという有様で。


 役者を無視して。

 お客様が物語を進めようとしています。


 でも。

 皆様の思い通りにはいきません。


 お気持ちは嬉しいですが。

 ちゃんとお断りしないと。


「おばあちゃん! 道久君はいい人だから、お話だけでも聞いてちょ!」

「榊原さんにそこまで言われては聞いて差し上げたいのですが。肝心の秋山さんが目論見と違うとお考えのようですよ?」

「ええ、そうですね……。こちらから申し出ておいて失礼とは思いますが、今回のお話は……」




 ――運命というものが。

 もしもあるのなら。


 今、この場で顕現しているものが。

 まさにそれなのでしょう。


 俺の言葉は。

 まるでなにかに遮られるかのように。


 その先を継ぐことが。

 出来なくなったのでした。




 後編へ続く!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る