スイレンのせい


 ~ 十月三十日(水) 酢豚 ~


  スイレンの花言葉 清浄



 昨日のご機嫌取りの間に。

 いらん約束をさせられて。


 今日は急にレベルが上がり。

 酢豚など作ることになったのですが。


 ブタを揚げてから。

 野菜と一緒に炒めて。

 スープで煮込む。


 三工程。

 面倒極まりないのです。


 こんなの。

 お昼休み中に作れるのでしょうか。


「暇なの」


 そんな悩みを抱える俺を。

 さらに悩ませる。


 面倒なこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 夏にもやっていましたが。

 水を張った洗面器を髪の毛で固定して。


 そこにピンク、黄色、白のスイレンを浮かせているのですけど。


 ……その頭。

 こちらに倒さないで下さいね?


「ねえ。暇なの」

「授業聞いていられるの、もうあとちょっとなのです。ちゃんとなさい」

「ちゃんとできないから遊ぶの」

「一人でやってなさい」


 まったくこいつは。

 どうしてこうなのか。


 俺は、穂咲が暇を持て余して。

 机をごしごし磨き始める様子を。


 先生に見つからないよう祈りつつも。

 放置していたのですが。


 そんなこの人。

 机の上の品々を全部しまって。

 夢中で拭き続けて。


 天板全面がピカピカになったところで。

 満足そうに鼻息をはくと。


「お掃除ロボってあるじゃない?」


 再び俺に絡んでくるのです。


「あれ、もう綺麗なとこもお掃除するの。無駄なの」


 まあ、確かに。

 汚いところを重点的に掃除して欲しいとは思いますけど。


 まだ科学はそこまで進化していないと言いますか。

 今の性能で十二分にやっていけるから。


 ピンポイントでそこだけ綺麗にする機能を。

 搭載しないのではないのでしょうか。


「手で持って、ほこってるとこで押さえつけるといいの?」


 それは可哀そう。

 というか、壊れそう。


 ……あと、気付けば君の無駄話に。

 意識を持っていかれるのですけど。


 この、役に立たなそうな日本人発音の英語の朗読。

 もうそんなに聞く機会がないので。

 ちゃんと聞かせてくださいな。


「はっ!? 道久君道久君! 大発明!」


 ええいうるさい。

 無視なのです。


「お掃除ロボ、もっと軽くして手で持てるようにして、吸い込みやすいようにホース付けると良いの!」

「……君の未来予想図は、だれも想像しない方向に描かれますね」


 さすがに突っ込んでしまいましたけど。


 君が目指しているその方向。

 世間一般では過去と呼びます。


 ちなみに、君が発明した未来ロボ。

 俺たちの家にもありますよ?


「……それよりいっそ、吸い込む機能を取って棒状にするの。そんで先の部分がブラシ状になってたらゴミを掻きだしやすいんじゃ……」

「わざと?」

「なにが?」


 やれやれ。

 本気で言っていましたか。


 こいつに任せると。

 日本は江戸時代まで戻ってしまいそう。


 こんな大人に任せていられない。

 呆れのため息と共に。

 今度こそしっかり授業に集中。


 今日教わったことが。

 ひょっとしたら。

 すぐにでも役立つかもしれないのです。


「……暇なの」


 無視無視。


「背中、紐んとこが、かいーの」


 無視無視。


「孫の手、鞄の中……、あったの」

「それは耳かき」


 ええい、くそう。

 このつっこみ体質。

 我ながら度し難い。


 穂咲が耳かきで背中をゴリゴリすると。

 洗面器の水がちゃぷちゃぷはねて。

 珍しく神尾さんが笑っていたりするのですが。


 ほんとすいません。

 今すぐやめさせますので。


「ほら、神尾さんが集中できないから。その面白いヤツおやめなさい」

「……道久君」

「なにさ」

「耳が汚い気がするの」


 うえっ!?


 慌てて耳を塞いでみた俺ですが。

 確かにここ最近。

 掃除をサボっていた気がします。


「すぐに掃除した方がいいの」

「授業中ですし、後でやりますよ」

「今がいいの」

「…………では、それを貸してください」

「あたしがやったげるの」


 は?

 穂咲さん。

 今、なんと?


 耳が詰まっているので。

 聞き間違えたのでしょうか。


 とんでもない言葉がこいつの口から飛び出したように聞こえましたが。


 そう思いながら。

 ちらっとお隣りを確認してみれば。


 真剣なまなこが。

 槍を構えて。


 ずんずん近づいてくるところ。


「ちょおっ! こわ……!」

「じっとしてないと危ないの」

「こればっかりはじっとしてる方が危ないのです!」


 冗談じゃない。

 そんなことされたらきっと大惨事。 


 それとも、掃除するって。

 この世の悪を大掃除とか。

 そういう意味なのですか!?


「絶対にぶすっと行くのです! おやめなさい!」

「平気なの。いつもママにやってもらってる技を再現するだけなの」

「初めての実戦を俺で試しなさんな! 自分の耳で修業を積んでから!」

「そんなの怖くて無理に決まってるの」

「また餃子作るから! まずはそれで対面といめんの皮まで貫通しなくなるまで練習して!」

「食べ物にこんなの突っ込んじゃいけないの。さっきまであたしの背中掻いてたばっかりなの」

「それを拭かずに近付けなさんな!」

「粛清……、じゃなかった。洗浄するの」

「言い間違え方がバイオレンス!」


 どれだけ言葉で抵抗しても。

 どれだけ体を離しても。


 こいつは椅子から身を乗り出して。

 どんどん近づいてくるのです。


 詰まった耳の奥から響く。

 パニック映画の効果音。


 とうとう縮こまった俺にかぶさるように。

 穂咲の顔が迫ると……。



 頭の上から。


 洗面器の水が全部俺の顔にぶちまけられました。



「…………何の真似だ?」


 いや、先生。

 この異常な事態に対して。

 なんという冷静なリアクション。


「秋山。説明しろ」

「……洗浄中です」

「では、次は脱水が必要だな」


 俺はその場で。

 散々絞られて。


「最後は乾燥だ」


 そして一年生に混ざって。

 トラックを十周ほど。

 完走することになりました。


 ……困ったことに。

 砂埃が濡れた髪にまとわりついて。


 余計汚くなりました。



「もう一回、洗うの」

の余地くらい下さいな」

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