あの子の箒に乗れずとも
「なんでもできるとさあ、飽き飽きしてこない?」
そいつはよく、私にそんなことを言う。
決まって私とそいつの二人で当番をする深夜。今日もそうだ。
7月20日木曜日。今日も今日とて魔法少女である私たちは街の平和のために夜のパトロールに勤しんでいる。もっとも私は、そして多分目の前のそいつも、そこまで強く街の平和を意識しているわけではない。平和であればそれはもちろん嬉しいことだけど。
そいつは大体週替わりで新調されるファンシーな衣装を身に纏っていて。魔法で生み出した星を、指先でくるくると弄びながら笑う。その小癪な笑顔は、初めて視界に入った瞬間に私の目を盗んでしまった。私がまだ幼稚園生の時だ。そんな幼いころの記憶なのに、あの瞬間をはっきり覚えている。
今日はニルマナが現れなくて、夜空からのパトロールは本当に見回りだけで済んでしまいそうだった。たぶんそれも理由の一つなのだろう。そいつに言わせると「退屈」なんだ。だからお喋りに興じているのだと思う。
「あなたね……。ナナの前でそんなこと言わないでよ。さすがに傷つくわよ、あの子」
「だからいつもツクモに言ってるんじゃん。“なんでもやってみせる”ツクモちゃん」
「呆れた」
けらけら笑いながら、横乗りに乗った箒で足をバタつかせる上機嫌な少女・モモ。私は箒に跨ってその隣を飛んでいる。
昼間学校で見るそいつの視線は、近頃はいつだって件のあの子に向かっていた。
モモは何だってできるけれど、それでもきっと私の心を知らない。何でもやる私が、どうして何でもやりきるのか。その理由までは知らない。それはたぶん、不思議に思ったこともないから。
「この前の二人で当番だった日にね、ナナと箒でどっちが早く飛べるか競ったんだけどね」
「あなたたち仮にも仕事中に何やってるのよ」
「今日みたいに退屈だったんだもん。
ナナってば途中でバテちゃって、私の箒に乗せて帰ったんだけど。
でもね、その前に同じことした時よりはかなり速くなってたんだ。楽しかったー!」
モモの口からあの子の名前が出るたびに、ちくり、ちくりと胸が痛む。
きっと、私がモモの箒に乗せてもらうことはないんだろうな。
そうか、ナナはまた飛ぶのが速くなったのか。じゃあ私ももっと速く、それでいて体力もつけないと。
胸を突くこの痛みが何なのかくらい理解している。それくらいの知識量と試行錯誤がなければモモの隣には居られない。
「そ。あんまりナナに無理させないでよ?
みんながみんなあなたみたいに体力オバケじゃないんだから」
「ちょっとー?体力オバケって言ったら、私が体力しか取り柄がないみたいじゃん!」
「違うの?」
「えっ、……え!?違わないの!?」
モモは焦ったように「私って体力オバケだったの!?」と騒ぎだした。大げさなその様子にこちらの毒気が抜かれてしまう。天才のくせに、こういう反応を見せるからずるい。
「あなたの取り柄が体力だけなのだったら、全世界の人の取り柄がなくなってしまうわ」
「……ん?今めちゃくちゃ褒められた気がする」
私が小さな声で少しだけ本音をこぼすと、突然得意になったモモが神に愛されたその相貌を崩す。彼女は体も口も、表情だってよく動く。ああ、こいつはごくごく自然体でこの世界に存在しているんだろうなって私に実感させてくる。
そんな彼女の全てが、言ってしまえば憎らしい。そしてそれ以上の質量で愛しい。
ぼんやり思考を巡らせていると、唐突にモモの動きが止まった。
「あ!」
「何……、あぁ、でたわね」
文字通り、獲物を見つけた時の嬉しそうな笑みがモモの口元に浮かんでいた。私も、少し意識の範囲を広げて気配を探ってニルマナの発生を捉える。
「こーんな時間に一体だけ発生するのなんだか珍しいね。なんだろ。通話アプリでも繋いでたのかな」
時計を確認するとあと5分少々で午前3時になることが確認できた。
ニルマナは人が何かと関わるときの心の軋みから生まれる怪物だ。だから都会とはいえない規模のこの街で、木曜日のこんな時間に発生するのは確かに珍しい。みんな寝てるし。
「さあね。いってみましょう」
言って、しゅんと箒の柄を街の北端に向ける。モモは横乗りのまま、軽く旋回して向きを整えた。
「れっつごー!」
ニルマナの発生場所は、戸建て住宅2階、女の子の自室と思われる場所だった。窓の外から中の様子を窺う。
生みの親である少女はスマートフォンを片手に寝落ちしたらしい。
幼稚園児が描く頭から手足の生えた絵のような形をしたニルマナが、3つある目のすべてで恨めしそうに少女の手元を見つめていた。私もそちらに視線をやる。画面に浮かぶ緑色の通話アプリを目にして、軽く、眩暈がした。こんな、こんな些細なところまで。
眩暈の元凶はアロホモ~ラ~とかなんとか言いながら窓の鍵を開けていた。
私たち魔法少女のほとんどが別のやり方で鍵を開けるのだけど、こいつは何故か物語の中で先駆者たちが使う魔法を使いたがる。この前図書室で読んで面白い!と喜んでいたから、たぶん最近のブームなんだろう。
私が思考するほんの数秒で、モモはふんふんと鼻歌を歌いながら窓をそっと開く。続けて引き寄せの呪文を唱えて、ニルマナを夜空の雲の上に連れていくことに成功していた。
私は丁寧に窓を閉めてからモモを追う。鍵は……、かけなくてもいいか。そこまで意識しないでしょう。
雲の上まで突き抜けて、モモと黒い影の姿を捉える。
「ヴヴァ、……ヴヴヴ」
モモに捉えられたニルマナにはぎょろぎょろした目が3つと小さな口が一つ、手足は一対ずつ。先ほどの少女の家と少しずれた位置を見つめて空中で藻掻いていた。
「ねえツクモ。こっからどうしよ~。
今のところそこまで凶暴そうでもないし自然消滅してもらう?」
「あてはあるの?」
「ん~、たぶん通話相手との亀裂が原因っぽいよね。さっきの子スマホ持ってたし」
「このニルマナ、その通話相手の家を知ってるんじゃない?ずっと同じ方を眺めてる」
「おお、じゃあ見てる方に行ってみよー!」
モモは魔法で大きな鳥かごを作ってニルマナを中に入れた。鳥かごを箒の柄に引っ掛けて移動を始める。ニルマナはその格子の隙間から手を伸ばして呻き続けていた。
移動を始めたのはいいけれど、このニルマナを通話相手と対面させてちゃんと自然に消滅してくれるとは限らない。どうしたものか。
「誰なのかしらね、通話相手」
「さあ~。ツクモは誰だと思う?」
「恋人……もしくは大好きな親友とか」
「ええー!?それじゃあどっちにしてもあの子は大好きな人と話しててこんなの作っちゃったってこと?」
「その線が妥当でしょう」
考える気もない様子のモモは軽い調子で「悲しーい!」なんて声を上げた。
ニルマナのあの恨めしそうな視線を見る限り、何かしらの嫉妬だろうなとは予想がつく。影の形もそれほど攻撃的ではない。武器も持っていない。誰かをただ憎んでいるわけじゃないのだと思う。
嫌いだけど好き、好きだけど嫌い、……みたいなね。
空を飛んで、私たちが着いたのは男の子の家だった。部屋の電気はついたまま、ベッドの中には居るらしい。
私たちは、まだ起きている男の子に見つからないよう窓の外から様子を中の窺う。男の子はスマートフォンをいじっている。チャットでもしてるのだろうか。その画面に緑の通話アプリが見えた。
そこで気付いた。
念のために、ニルマナには中の様子を見せない方がいいかもしれない。
「モモ、」
声をかけた時にはすでに遅かった。
窓を覗きたがって暴れるニルマナに応えて、モモが鳥かごを上に掲げている。
「あ、」
「ヴヴァ……、あ、ぁァ、ぁぁぁあああああ」
「えっ、ちょっ、急!急だね!?」
私とニルマナ、それからモモの順に声をあげた。
手を伸ばして呻いていただけだったニルマナが豹変する。ニルマナの体から黒い光が飛び出して暴れていた。バチバチと、聞いただけで危険だと判断できるような電流の音が響く。
見慣れた光景ではあるけれど、この至近距離はさすがにちょっと危ない——。
ニルマナはモモが用意した大きめの鳥かごでも収まらないほど急激に成長していた。こんなの、どう考えてもあの男の子を見たのが原因だ。何となく理由は想像できるけど、今はそれどころではない。
こんなことならあの場で消滅させておくべきだった。そんな後悔が一瞬、頭を過ぎる。
すぐそばで金属が弾ける音がした。
「っ!モモ!」
金属の音に続いて爆発が起こった。煙が上がって、ぎゅぎぎぐぎぎぎとしか表せないような音がする。
爆風で箒ごと吹き飛ばされた。そばにあった家屋への衝突を間一髪で回避して、モモの名前を呼ぶ。冷や汗が背中を伝った。
「——っと。あぶなーい!あー!こわかったああー!」
異音が消えて、聞こえたのは普段通りのモモの声だった。
「も、モモ……」
モモはさっきの位置から動かないまま、右手をひらひらさせている。これはそう、大きな魔法を使った後の、モモの癖だ。
「びっくりしたねえ。なんであんな突然暴れたんだろ。危ないと思って消しちゃった」
私に笑いかけたモモは、自然に消えてもらうつもりだったんだけどなあとかなんとか言っている。
モモの言葉で気付いたけど、あの鳥かごは消えていた。中にいたニルマナも一緒に。
「あの一瞬で、消したの……?鳥かごごと?」
「うん。強くなっちゃったら面倒だし、そうなる前に」
「そう。……お疲れ様」
私が言うと、モモは得意げに笑った。ああ敵わないなと実感させられる。
「ねえツクモ、さっきのニルマナ、なんであんなに急に怒ったんだと思う?」
「え、気付かなかったの?」
「気にしてなかったー。
あのニルマナにはちょっと悪いことしたなと思ってさあ。捕まえた時に消滅させちゃえばよかったね」
「それは私も思ったわ。でも、大きくなってから消すほうがストレスの解消度は高いそうだし、仕方ないということにしましょう」
「そうだね」
それだけ言うとモモは何か考えるみたいに押し黙った。
うやむやになってしまったあのニルマナの動機について考えているのかもしれない。
たぶん、その答えは嫉妬なんだろうな。私の抱くそれとは少し異なるけれど、あのニルマナ——女の子の気持ちも、わかる気がした。
数十秒の沈黙の後、モモは口を開いた。
「なーんかわかんないからいっか!それより、ね、ツクモ。競争しよ!」
「ええ……。いいけれど、その勝負、ちゃんと勝敗はつくのかしら」
「私が勝つっしょ!」
「どうだか」
夜の街のパトロールを兼ねて、街の端から反対側へ、全速力で空を飛んだ。
案の定私とモモはほとんど差がつかなくて。どちらもそこまで細かく勝敗にこだわっているわけではないので、自分の方が早く着いたと根拠もなく主張してじゃれ合うだけ。
これはナナとモモにはきっとできなくて、私とモモだからできる戯れだ。
この時間がなにより幸せだと、私には断言できる。
私はそのために「なんでもやる子」にならなければいけない。
「よっし!じゃあ今日の見回りこれくらいでいっか!帰ろ!」
「今日は2限目に体育もあるし、早く帰って寝ましょう」
「らじゃ!じゃあまた学校でねー!」
「ええ、また学校で」
去っていく前、モモはくるりと無意味に一回転した。その有り余って溢れる才能に、また溺れていく自覚があった。
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