魔法少女デッドエンド

といろ

肯定するのが私だけでもいい

 どういうわけだか知らないけれど、今日はやけに自分の存在が憎らしい。指先に、手首に、首筋に、血生臭さがまとわりついている。



 ただでさえ憂鬱な登校時間。私は、普段以上に陰鬱な気持ちの原因を探していた。

 今日の時間割を思い出す。それなりに好きな数学と、苦手だけど嫌いではない現代文に古典。それから、たいていは昼寝になってしまう世界史だ。大嫌いな英語はない。着替えが面倒くさい体育もない。じゃあなんだ。何がそんなに私を暗鬱にさせるのだろう。

 暗い気持ちになったとき原因を探してしまうのは、私の悪い癖なのだと思う。見つからないと不安なのだ。


 朝起きてから支度をして、家を出て、バスに乗って、高校の最寄駅。ついにバスを降りてしまった。学校に着く前に見つけたい。見つけておかないと、友人たちにまた笑われそうだ。いや、別にそれはいいか。

 笑われるのは構わないけれど、不安なままは不快なので理由を探すことはやめない。

 昨日の出来事を思い返しながら、公園に差し掛かった。この公園の中を突っ切っていけば、もう学校についてしまう。


 ふと、昨晩のことを思い出す。自然と足が止まってしまって、その代わりなのか喉が空気を震わせた。


 「そうだ。昨日蚊を殺したんだった」

 口を突いて出てきた心当たりは、字だけで見るそれより薄ら寒い。夕方のキッチン床みたいな冷たさが私に罪を自覚させる。何も初めてのことではないのに。

 思い出した途端に、五感があの瞬間へ引き戻されるような心地がした。

 いつまでも太ももに蚊が這う感覚が消えない。指の腹に残った感触が消えない。殺した死骸は、まだ容量に余裕を残していたゴミ袋に入れた。ゴミ捨て場に持っていっても、臭いは消えない。奥歯に腐りかけたザクロの味が広がる。


 そうだ。私はこれが心に引っかかっていたのだ。


 別に蚊を殺すたびにいつもこんなに引き摺っているわけではなくて。昨日は、たまたまちょっと陰鬱な気分だっただけで。そもそも日によって命の重さが変わるかのような物言いは不謹慎ではないだろうか。


 一度回り出した思考は何かの拍子に消えてくれるまで私の脳を蝕むことをやめない。これも、私の悪い癖だ。


 「ふうん。あなた、昨日蚊を殺したの」

 「はい、そうなんで……、ってええっ?」

 だ、だれですかと口が動きかけて、

 「な、んなんなんですかあなた」

と言葉になった。


 完全に思考に耽っていた私は、思いもよらないタイミングで声が聞こえたことによって軽いパニックになっている。それはなんとなくわかるけど、パニックになっているときって自分では止められない。


 「落ち着いてね。はい、深呼吸をどうぞ」

 言われるがまま深く息を吸う。吸い込んだ息を吐きながら、声の主を凝視する。

 お姉さんだった。

 紺色の日傘をさして、黒いワンピースを着こなしたお姉さんがそこにいた。

 それ以外の人は見当たらないから、声をかけたのはこのお姉さんなのだろう。


 「落ち着いた?」

 「落ち着きまし、た?」

 「何で疑問形で返してくるの」

 そう言うお姉さんの言葉は、尋ねている調子ではなかった。からからと楽しそうに笑っている。


 「あ、あの、私学校行かなくちゃなので」

 失礼します。そう言ってそこを速やかに立ち去るはずだった。

 見た目は別に普通だけれど、この人はどう考えても変な人だ。独り言に急に反応してくる人なんて、たぶんあんまり普通じゃない。しかも見ず知らずの人間に。


 「待って」

 公園の外へ向かって歩き出すはずだった私の手をごくごく自然な動作で掴んで、お姉さんは言った。え、なんでそんな自然に触ってくるんですか。


 深呼吸で落ち着いた頭と唇で、私は今度こそはっきりと尋ねることができた。

 「なんなんですか。そもそも誰なんですかあなた」

 いつでも駆け出せるように、半身の姿勢でお姉さんと対峙する。前に出した左足に体重をかける。握られたままの右手と、お姉さんの顔を交互に見つめる。なんだかこの人、とても楽しそうな顔をしているな。


 「わたし、あなたみたいな魔法少女も見てみたいわ」

 くい、と手を引かれた。左足の頑張りも虚しくお姉さんと向き合う形になる。

 「……力強いんですね」

 何か言わなきゃと思って口に出したのは、お姉さんの言葉をまるで無視したみたいな内容だった。なんだ、魔法少女って。見てみたいってなに。……コスプレ?


 今度は、お姉さんがうふふと笑う。

 「ちょっと来て」

 どこにと聞く暇もなく風が派手に吹き荒れて、目をつむった。

 目を開けたら、さっきの公園が真下に見えた。えぇ、何。私今、浮いてる。


 「びっくりした? おねえさん、まじょなの」

 「は、あ……」

 かろうじて発した言葉は詰まってしまった。

 ちょっと意味がわからない。意味は分からないけど、浮いてるのは事実だ。これが夢じゃなければ。


 「魔法少女を増やしてあそ……、いえ。ニルマナっていう魔物と闘う魔法少女を増やして、世界の平和を保っているのだけど……」

 「あ、いえ。ちょっと待ってください。あなたが何言ってるか理解が追い付いていないです私」

 「あらあら」


 困った子ね、とでも言いだしそうな調子で言って、お姉さんは歩き出した。困っているのはこちらなのに、なだめるような言い草だ。手を取られたままの私も引かれるようにして歩いていく。

 「えぇ、何。空の上歩いてる……」

 「まじょだからねえ」

 「魔女って箒で飛びそうですけどね」

 「箒で飛ぶ魔法少女もいるわよ」

 「それはそれは……」


 さっきからちらちらと魔法少女という単語が聞こえていたのは、気のせいではなさそうだ。

 魔法少女ねえ。あれでしょう、世界を救っちゃったりするやつ。誰かを救うということにそんなに関心が持てない私には、縁がなさそうな存在だ。


 「それでお姉さん。今どこに向かってるんですか」

 「ニルマナの気配がするところ」

 「ニルマナってさっきも言ってましたよね。何ですか?それが敵なんですか?」

 「あら? 話が早いわね」

 適当に話を合わせてみたら当たってしまったらしい。えぇ、私今からそんな危険そうなところに連れていかれるの。

 「大丈夫よ。おねえさん強いもの」

 あれ、今心読まれた気がする。





 お姉さんが言う「ニルマナ」とやらがいる場所は、私の学校だった。こんなところに魔物とやらがいるのかと驚いた。同時に、学校に行く途中だったことを思い出す。

 空を歩いて学校を真上から見下ろすなんて初めてのことのはずなのに、見える景色にはやけに既視感があった。


 「うんうん、やっぱり面白いわねえあなた」

 ……。

 私は少しだけ深く息を吸った。静かに心の中で問いかけてみる。

 その心を読むのも魔法ですか。魔法少女はみんな読めるんですか。

 「いいえ、そんなことはないわ。やろうと思えばできるけれど。以前に試していた子は、読めたっていいことばかりではないんですねって言ってやめていたわ」

 「へえ。そうなんですね」

 「そうなのよ」

 確かに、常に人の心を読みたいとは思わない。


 「やっぱりそうなの?便利なのに」

 「めんどくさいじゃないですか」

 それから、情報の整理が追い付かなくて頭が混乱しそうだ。今みたいに。

 「…………」

 今度は、お姉さんから言葉は返ってこなかった。顔を見ると何か言いたそうではある。

 もしかすると思ったよりも、配慮のできるお姉さんなのかもしれない。

 そう思ってもう一度お姉さんを見ると、にまにまと嬉しそうな顔をして唇をつぐんでいた。


 「……お姉さん、そろそろ本題に入りましょうよ」

 「そうね。ええと、本題だけれど……」

 やっぱり上機嫌なお姉さんは右手を指差しの形にして真下にある校舎に向けた。そして、つぅい、とその指を上に振り上げる。学校の屋上をぬぅんとすり抜けて、なにか黒いものが引き上げられた。


 「これが、いわゆる魔物という存在よ。おねえさんはこの子たちをニルマナと呼んでいるの」

 黒いものはお姉さんの指の先でバタバタと暴れている。

なんだろう、これ。


 ニルマナと呼ばれたそれは、よく見るとうちの制服を着ていた。4頭身くらいの人型で、顔もある。けれど、顔はどろどろに溶けていてよくわからない。ただ、きぃぃぃと小さく鳴いている。


 「どういう魔物なんですか」

 何を聞きたいのか自分でも明確になっていなくて、尋ね方に迷う。無難で大雑把な質問に落ち着いた。


 「人の思念から生まれる生霊みたいなものよ。イメージが伝わりやすいから魔物として扱うけれど、正確には思念体。現実世界に影響を与えかねないレベルの代物だからその点が厄介なのよね。ニルマナは主に、人間関係のもつれだったり、そうねえ、恋煩いだったり。人が何かへ抱く強い思いから発生するの」


 お姉さんはそこで説明を区切った。「ここまではなんとなくわかるかしら」と尋ねられる。

 私は頷く。


 「それじゃあ続きだけれど……。

そうねえ、ニルマナは形状も狂暴性も個体によって多様なの。別に放っておいたところで問題のない子もいるわ」

 「それは、なんというか意外ですね。魔物なのに」

 「強くても、偏っていても、思うだけならまあ問題のない思想もあるでしょう。それと同じよ」

 「へえ……」


 ピンとこない話だったけれど、とりあえず相槌を打っておく。お姉さんは特に突っ込んでくることなく続けた。

 「でも、狂暴性の強いものは現実世界を歪めて破壊しようとしてしまうから。そこで魔法少女たちの出番というわけなの。多くの魔法少女はニルマナを消滅させることで、世界の均衡を保つことを仕事としているわ」

 お姉さんは「死んじゃうこともあるわね」と軽い口調で告げた。


 「それは……。魔法少女と魔物という時点である程度予想はしていましたけれど。ううん、要するに命を懸けて世界を救う……、みたいなことですよね」

 「そうともいうわねぇ」

 「なんで私にそんな話を持ち掛けるんですか」

 「面白そうだからよ」

 「……。それじゃあ、それをして私にどんなメリットがありますか」

 「さあ。知らないわ」


 お姉さんの返答も、なんとなく予想していた通りだった。どちらの質問もだ。

それなら、と私は考える。

 魔法少女になって魔法が使える人生には、単純に憧れる。

 それに命を懸けることができるかといわれると、そんな質問に即答できるわけはない。私にそんな勇気があるかどうか。いや、そんな勇気は確実にないけれど……。


 勇気はないけれど、と考えたところで思い出したのは、昨日殺した蚊の感触だった。丁寧に血の臭いまでする。


 「昨日、蚊を殺したんですよ。私」

 「そう言ってたわねえ」

 「それを、悪だとは思わないんです。でも、それを悪だと思わない私のことは悪だと思うんです」

 「ふぅん。そうなの」


 「それは、蚊のこともそうなんですけれど、それだけじゃなくって」

 「豚や牛について?」

 「そう。それから、人間については逆なんです」

 「逆、ねぇ」

 「人間を殺すことは悪だと思うんですよ。でも、そこに差をつけようとするこの思考こそ、やっぱり悪なんじゃないでしょうか」


 ふとお姉さんの顔を見ると、今日見た中で一番柔らかい笑顔をしていた。

 魔法で連れてきたのだろう先ほどのニルマナは、知らないうちに私とお姉さんの間に移動させられている。

 相変わらずきぃぃぃと鳴くそいつは、徐々に爪が鋭くなっていて、口らしき場所に牙が見えた。暴れている。ああ、たぶんこうして狂暴化していくんだろう。人を襲ったり、町を破壊しようとしたりするのかな。


 「もし、私が世界を救うために生きているなら、自分が生きるために何かを犠牲にすることを、見過ごすくらいはできるかもしれない。私は、たぶんそういう人間なんです」


 魔法少女についていくつか疑問は残っている。けれどそれは追々考えることにしよう。


 「だから、わかりました。やります、魔法少女。世界を救うお手伝いくらいはしますよ。私が自分の悪性を見過ごす理由にするためにね」


 ここに至る私の思考も私という人間の内面も、全部知っているはずのお姉さんはそれでも平然と笑っている。今度の笑顔はさっきより少し楽しそうだ。

 向かい合う私とお姉さんの間で、ニルマナが一段と大きな声で鳴いた。


 お姉さんは前に手をかざす。そして私にも、お姉さんと同じ動きをするように指示した。「力を籠めて念じるのよ」って、お姉さんの助言はそれだけだった。

 「ねぇ、名前はなんていうの?聞かせてよ」

 「私は十環。だけど……。魔法少女になるのならトアと名乗っていいですか」

 「もちろん。あなたがなると決めた魔法少女だもの。なんだって自由よ。名前も目的も、動機だってね」


 お姉さんにならって、私も前方へ手をかざす。

 ニルマナが私に牙を剥いた。力を込めて、念じる。


 「これからよろしくね、トアちゃん」

 爆風と雄たけびに包まれて、ニルマナは跡形もなく姿を消した。なんだかドッと疲れたけれど魔法の反動的なものだろうか。別にいいか、なんでも。何はともあれ。


 使命なんてなく、正義の心だって持たない私だけれど。

 こうして私は魔法少女になったのだった。

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