第28話「地中の根」
僕たちはサルドレットの門を出る。
隣を歩くエンジュの背中には、整備したばかりの戦槌が勇ましく太陽の光を反射していた。
爽快な青空の下を歩くと、優しいそよ風が火照った頬を撫でる。
「リューク」
なだらかな丘を登っていると、エンジュが話しかけてきた。
何事かと振り返ると、彼女は少し困ったように細い眉を寄せてこちらに近づいてくる。
「小腹が空いてしまってな。……堅焼きクッキーを一包み出してくれないか」
「もう!? い、いいけど、さっきホットサンド食べてたんじゃ……」
「なんだか今日は妙に腹が減るんだ」
「いつも通りといえばいつも通りだけどなぁ」
しれっとした顔で言うエンジュ。
とはいえ、拒む理由もない。
僕は収納箱の口を開けて、中にしまっていた堅焼きクッキーの包みを一つ取り出して手渡す。
「はい。一応、食料は余裕があるからいつでも言ってね」
「たすかる」
そう言って、エンジュは早速銀紙を剥がしてクッキーを食べ始める。
一緒に取り出しておいた水筒を、彼女が胸をたたき出したのを見て渡した。
「さて、そろそろシルフィにも手伝って貰おうかな」
町から離れ、それなりに歩いた。
周囲に人影や建造物は無く、風が良く通るようになってきたのを確認して、僕は杖を構える。
「顕現せよ、シルフィ」
声と魔力に呼応して、小さな風の精霊が飛び出してくる。
いつも通りの魔力を渡し、偵察と警戒をお願いした。
「精霊たちは、町では出せないのか?」
ポリポリとクッキーをかじりながら、エンジュが尋ねてくる。
「出そうと思えば出せるよ。ただどうしても人目に付いちゃうし、迷惑になったらいけないから」
「そうか。リュークの精霊たちは皆おとなしそうだと思ったが」
「そうは言っても精霊はあまり見慣れた存在じゃないわけだしね」
昔は、それこそ古代精霊語が十分に通用した時代には、両者の距離も今ほど離れていなかったらしいけれど。
そもそも、町中で魔法を使うこと自体があまり推奨されている行為でもない。
「とはいえ、今日は出し惜しみするつもりはないよ。――顕現せよ、ノーム」
杖を地面に突き立てて、更に詠唱を重ねる。
土色の小さな老人の姿をしたノームが、のったりとした動作で現れ、ぽつぽつと腰を叩く。
「ノーム、根に接続しておいておくれ。何か見つけたら、報告してほしい」
豊かに蓄えられたあごひげを揺らし、ノームが頷く。
彼は早速地面に膝と手をついて四つん這いになると、とぷん、と地面に波紋を広げて沈んでいった。
「の、ノームが地面に沈んだぞ!?」
「うん。根を張って貰ったんだ」
驚くエンジュに、僕は簡単な解説を施す。
「地中には、細かな魔力の流れが網のように複雑に流れているんだ。それを根と言って、沢山集まって太く大きな流れになれば魔脈、そして龍脈になっていく。ノームはその流れの中へと入っていって、広い範囲の状況を探ることが出来るんだよ」
「そうだったのか……。普段からそれをしていればかなり便利なんじゃないのか?」
エンジュの指摘ももっともだ。
確かに、ノームの根張りはとても便利な技だから、多用できればとても強力な武器になる。
「でも、消費する魔力がかなり大きかったり、精霊と術者どちらにも負荷がすごく掛かったりと、消耗が激し……うぐっ」
説明の途中で呻き声が胸の奥から飛び出す。
体内で暴れ回る力を無理矢理ねじ伏せ、肩で息をする。
驚いたエンジュが駆け寄ってきて、肩を支えてくれた。
「大丈夫か?」
「う、うん。ノームから根の情報が流れてきただけ。……何回やっても慣れないよ」
地上でこそ非常に緩慢なノームが真価を発揮するのは、根の流れに乗っている時だ。
その時彼の動きはシルフィよりも早くなり、膨大な量の情報をかき集める。
術者である僕は、それを全て頭に流し込まれるわけで、かなり大変な処理をしないといけない。
「あー、あー、うん。少し落ち着いてきたよ」
「そうか? 少し座って休め」
道ばたに移動し、柔らかい草の上に腰を下ろす。
隣に座ったエンジュに背中を支えられ、僕は流れ込んでくる情報の波に身を任せた。
「周囲の警戒は私とシルフィでやっておく。落ち着くまでゆっくりしていろ」
「ごめんね。僕がもっと上手い術者だったら……」
「今はいい」
彼女の厚意に感謝しつつ、僕は情報の処理に力を割く。
ノームはものすごい勢いで地中を進んでいる。
虫の鳴き声、鳥のさえずり、草の擦れる音。旅人達の足音が鈍く響く。獣が肉を食いちぎる音と、鉄錆のような匂い。太陽の暖かさ、清水の冷たさ。森の暗さ、森の静けさ、草食獣の息づかい、狼の吐息。風が木の枝を揺らす音、名も無き精霊たちが歌う声。町の喧噪、人々の声、幼い子供たちの笑う声、泣く声。旗がはためき、笛が鳴る。割れる音、潰れる音、結合する音。
ありとあらゆる、森羅万象の情報たちが頭の中を渦巻いていた。知ることのできない小さな音たちが、世界の欠片を拾い集める。
瞼を閉じて、耳を塞ぎ、それでも見え聞こえるもの。それら全てを記憶の中へと流し込む。
「ノーム、何かめぼしいものはあった?」
魔力の紐で繋がっているノームに話しかける。僕の中へと流れ込む情報の全てを、彼もまた感じ取っている。彼はあらゆる自然の根底に存在する精霊だ。
彼の中で現れる違和感は、すなわち自然の中での違和感に他ならない。
彼は小考したあと、ぐるりと記憶を巻き戻す。
「……狼」
彼の見た中に、狼がいた。
場所はミモザの森の奥。人の立ち入らない、――境界線の向こう側。
それは眠っていた。
瞼を閉じ、かすかに胸を上下させ、長い尾で体を包んで。
目を開く。鮮やかな青空に開ききっていた瞳孔が収縮する。
「エンジュ、行こう」
少し離れたところに立っていたエンジュに声を掛ける。
彼女は僕の顔を見て、はっと眉を上げた。
「見つけたのか?」
「……見つけた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます