第24話「八咫烏の巣」

 黒ずくめの女性を先頭にして、僕たちは夜の町を歩く。広い大通りを外れ、細い裏路地へ入ると、魔導灯の光さえも届かない闇が広がっていた。歩けば歩くほどに、道行く人影はどんどんと減っていき、そのうちに僕ら以外には誰もいなくなった。

 隣を歩くエンジュからは、ピリピリとした緊張感が漂っている。


「どこに連れて行く気だ」


 中々たどり着かない目的地にしびれを切らし、彼女が声を上げる。

 少し前を歩いていた女性は足を止めると、肩越しにこちらを見る。その口元には、相変わらず妖艶な微笑が浮かんでいた。


「もうすぐ、でございます」


 どこか芝居がかった言い方で、彼女は肩を揺らす。

 エンジュが小さく舌打ちをしたけれど、それを無視して彼女はまた歩を進めた。

 だんだんと、僕も見たことのないような町並みが現れる。

 表通りとは打って変わって、陰鬱とした雰囲気の取り巻く一帯だった。

 錆びの浮いた小さな看板が並び、アルコールと脂の匂いがどこからか流れてくる。湿気た石壁の向こう側から、妙に陽気な歌声がかすかに聞こえてきた。


「エンジュ、このあたりに来たことある?」

「いや。ここまで奥まで来るような奴はそうそういないさ」


 まるで裏世界だ。

 夜は時を刻むごとに深まる。

 言いようのない緊張感が空気を染め上げる中、黒尽くめの女性だけが、軽い足取りで進んでいた。


「――ここです」


 唐突にその足が止まる。

 小さな、真鍮のドアノブを付けたドアの前だった。

 彼女は二三度ノッカーを叩き付けて到着を知らせる。間を置かず、ドアの向こうからくぐもった女性の声が返ってきた。


「こんな夜更けになんの用?」

「青いバラと緑のユリを買いたいの」

「三つ足の烏が鳴くときに出直しなさい」

「烏は今、鳴いてるわ」


 よく分からない会話が繰り返されたかと思うと、扉がゆっくりと開く。

 僕とエンジュは互いに顔を見合わせ、建物の中へ入っていく女性の後を追った。


「ここは――」


 扉をくぐると、まばゆい光が僕たちを包み込んだ。

 僕は思わず目を窄め、光に慣れるまで立ち止まる。


「ようこそ、八咫烏の巣へ」


 こちらを振り返った女性が、そう言って口元に微笑を浮かべた。


「ここは、一体……?」


 戸惑った様子のエンジュが室内を見回しながら問いかける。


「ここは八咫烏の巣。表向きには、隠れたバー、ということになっています」


 店の奥にはグラスと瓶の並んだ棚、カウンターにはシャツとジャケットを着込んだ女性バーテンダーが立っている。いくつかの席には、彼女と同じような黒尽くめの装いの女性達が座って、グラスを傾けていた。


「……女性ばっかりだ」


 場違いな感想が口をついて出る。

 それを聞いて、仮面の女性はクスクスと手を口に寄せて笑った。


「それは仕方がありません。――ここは、魔女の酒場ですから」

「魔女、だと?」


 エンジュが声を上げる。

 僕もまた、彼女の言葉に驚いていた。

 叡智の蒐集と保管を種の使命とし、各地で強大な影響力を持つ古い種族。誰もがその名前は知っていても、実態については何も知らない。神秘の種族。

 あらゆる勢力と一定の距離感を保ちながらも、彼らと絶え間なく関係を結び、知識の蒐集のためだけに共通語さえ生み出した。知識の種族。


「じゃあ、ここにいるのは……。お前も……」

「全員、魔女です。とはいえ役職はそれぞれ異なりますが」


 それでは、自己紹介と参りましょう。と彼女は言った。

 僕たちが呆然と立つ目の前で、彼女は細い指を銀の仮面にかける。


「私は'烏'の魔女、名をリナと申します」


 仮面が外れ、素顔が露わになる。

 烏の羽のように艶のある黒い長髪の下には、白い柔らかな肌の美貌があった。大きな瞳は猫のように金色に輝き、僕たちを見ている。

 まるで人形のようだと、僕はその言葉を慌てて飲み込んだ。


「……魔女か。実際に魔女を魔女として見るのは初めてだ」


 エンジュは緊張感を解いて言う。

 魔女はあらゆる勢力からの中立を謳う種族だ。味方にはならないけれど、敵にもならないことが保証されている。


「素顔を隠しての接近、申し訳ありませんでした」


 金の瞳に光を反射させ、リナさんが頭を下げる。


「あの時、貴方方に私たちの正体を知られるわけには行かなかったのです」

「魔女が一体、何の用事でシュルク湖にいたんだ?」

「我が主の要請です。我々は調査のため、あそこへ向かいました」


 その言葉を聞いて、僕は彼女にここまで誘われた理由を思い出す。

 彼女たちの主、という人に会うためだ。


「詳しいお話は、この奥でいたしましょう」


 そう言って、リナさんが身を翻す。

 彼女は店内を進み、カウンターの側にある小さな扉を開く。


「こちらへ」


 扉の先には、細長い廊下が延々と続いていた。

 等間隔で並んだ魔導灯の青白い光が、丁寧に磨かれた床板に反射している。

 リナさんはどんどんと先に進み、僕たちもその後を追う。

 途中、廊下の壁にはいくつものドアが並んでいた。どれも同じ大きさ、同じデザインで、見ているとだんだんと感覚が麻痺していくような気がした。


「着きました」


 リナさんが立ち止まる。

 ぼうっとしていた僕は、エンジュに小突かれ慌てて足を止める。

 いつの間にか、廊下の突き当たりまで来ていたらしい。そこには、一際大きくて重厚な扉が待ち構えていた。


「この奥に、主がいらっしゃいます」


 リナさんが手の甲で扉を叩く。

 長い廊下に音が反響し、耳の奥でかすかに響いた。


「――入りなさい」


 しばらく後で、扉の向こうから声がした。

 落ち着いた女性の声だ。

 リナさんが扉を開く。


「――ふわぁ」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 そこは、巨大な図書館だった。

 扉の向こうには下へと続く長い階段があり、部屋は何段もあるすり鉢状の形をしていた。

 円形の壁には隙間なく本の詰まった書架がならび、古いインクの香りが部屋中に立ちこめている。


「ほら、行くぞ」


 エンジュの声で我に返る。

 前方を見てみれば、リナさんが階段を下っていた。

 よく見れば、すり鉢の最下層、小さな円の中心にテーブルに向かった一人の女性がいた。

 早足で最下層まで降りると、その女性が立ち上がって僕たちを見る。

 紫がかった黒い髪の女性だ。ゆったりとしたローブを着て、金縁の片眼鏡モノクルを掛けている。


「ようこそ、魔女の尖塔へ」


 落ち着いた声で、その女性はにこりと笑う。

 僕はその言葉を聞いて驚かずにはいられなかった。


「ま、魔女の尖塔!? ここがですか?」

「ああ、そうだとも」


 声を乱す僕に向かって、その人はゆっくりと頷いた。

 魔女の尖塔というのは、魔女達が知識の蒐集の拠点として各地に築いた建造物だ。内部には僕のような一般人でも利用できる図書館があり、知識の保管庫としての役割も持っている。

 けれど、その外見は名前の通りの尖塔。白い石材でできた背の高い塔のはずだった。


「あっちはこの真上にあるのさ。この地下は魔女と限られた者にしか知られていない、秘密の書架という訳だ」


 面白そうに目を細め、彼女は言った。

 頻繁に通っていた尖塔の足下にこのような巨大な施設があっただなんて、俄には信じられなかった。


「ふふふ。驚いてくれると、こちらとしても隠し甲斐があるというものさ」


 クスクスと彼女は笑う。


「自己紹介がまだだったね。――私はサルドレットの蒐集官を務めている、魔女のユーラさ」

「蒐集官?」

「星降りの森にある我らが本拠地、深淵の図書館から派遣された役人さ。各地の尖塔の管理者として、そこで蒐集した知識を纏めて送る役目を任されてる」

「……何もかも、初めて聞く事ばかりだな」


 エンジュが額に手を当てる。

 聞き慣れない単語ばかりで混乱しているのは、僕だけではなかったらしい。

 そんな僕たちの様子を見て、またもユーラさんはクスクスと笑う。

 どうやら彼女はずいぶんと笑いの沸点が低いらしい。

 ひとしきり笑った後、彼女は落ち着きを取り戻すと改めて僕たちを見る。

 そうして、少し思案を巡らせた後、ふわりと笑みを浮かべて再び口を開いた。


「尤も、君たちにとっては他の役職の方がなじみ深いかも知れないね」


 彼女は執務机の向こう側からやってきて、僕たちのすぐ目の前で立ち止まった。

 花のような甘い香りが、鼻先をくすぐる。


「改めて自己紹介と行こうか。――私はユーラ。サルドレット傭兵ギルドの、ギルドマスターを務めている」

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