第23話「報告と再会」

「――で、ごはん食べてたら遅くなったと」

「すみません……」

「すまない。私が自己管理を怠ったばかりに……」


 薄暗いギルドのロビー。

 僕らが息せき切って飛び込んできた時にはすでにカウンターの受付時間も終了し、職員の皆さんも帰り支度を始めていた。

 照明の落とされた、薄暗いロビーに飛び込んだときには思わず泣きそうになってしまった。


「私が残業してて良かったわね。まあ、私がいなくても宿直の職員はいたけれど」


 そう言ってリュカさんは肩を竦める。

 僕がカウンターに泣きついていると、彼女があきれ顔で来てくれたのだ。

 その時にはすでにカウンターの奥にある彼女のデスクは片付けられて鞄も置いてあったから、きっと残業というのは嘘だろう。


「それじゃあ、依頼の証拠品を確認するわね」


 リュカさんがカウンターの上に広げたサハギンのヒレを手に持つ。

 彼女はランタンの明かりの下でそれを動かし、本物かどうかを見極める。

 ギルドの受付嬢というのは、本当に多彩なスキルが要求されるらしい。一応、専門の鑑定士もいるはずだけれど、流石にもう業務終了で帰ってしまったらしい。


「――よし、どれも本物ね。あんまり疑ってたわけじゃないけど。とはいえ、全部で七体、しかも上位種が二体もいたなんて、事前調査とは少し情報が変わってるわね」

「恐らく調査完了後に増えたんだろうな。それは仕方がない」


 僕はあまり経験がないけれど、エンジュが言うには事前調査と実際の様子が異なるのはままあることらしい。 事態は刻一刻と変化しているし、一度の調査で全てが分かるという保証もない。あくまである程度の参考として留めておくのが重要だそうだ。


「それじゃあこれ、報酬ね。等分して渡す?」

「そうですね、おね――」

「いや、リーダーが全部持っていてくれ」

「いいの!?」


 予想外なエンジュの言葉に、僕は思わず振り返る。

 彼女は至極当然といった表情で僕を見返し、頷いた。


「私が持っていても、食費にしか使わないからな。それならリュークが持って、パーティのために使ってほしい」

「エンジュが食費として持っててくれてもいいんだけど……。まあ、そこまで言うなら」


 また後で、パーティ共有のお財布を買わないといけないな。

 心のメモ帳にそう記しながら、僕はトレーに載せられた硬貨を預かった。お財布に与える重量は、薬草採取の何倍も大きい。

 そんなところで、僕はパーティの強さを実感した。


「……はい、依頼達成おめでと」

「? ありがとうございます」


 顔を上げると、なぜかリュカさんの目が冷めていた。

 彼女は小さくため息をつくと、カウンターの下から紙を取り出す。依頼達成の報告書だろう。


「採集系と討伐系をそれぞれ一つずつこなしたのね。順調に依頼を消化してくれて嬉しいわ」

「やっぱり、人気のない依頼だとずっと残ってるものなんですか?」

「いわゆる塩漬け依頼ってやつね。長いものだと何年何十年って単位で残ってるわよ。そこまで長期なのは依頼主が老齢のエルフみたいな気の長い人たちだったりするけど」


 仕事も終わり、一段落ついたからか、リュカさんの口調が柔らかいものになる。

 そこで僕はようやく、彼女に報告するべきことがあったのを思い出した。


「そうだ、リュカさん。今日のサハギン討伐の時に、少し気になったことがあったんです」

「うん? 何かしら」


 彼女が首をかしげ、椅子に座り直す。

 僕はできるだけ詳細に、サハギンの巣に描かれていた壁画について説明した。


「サハギンの巣に、湖と町と森の絵。しかもそれぞれ魚と人と狼の顔も付けられてた……。なかなか興味深いわね」


 予想通り彼女もまたその壁画について興味を示した。眼鏡の奥の瞳に、知性の光が宿る。

 彼女は手近な紙を取り寄せると、そこにペンを走らせる。ほっそりとした流麗な字で書き連ねられるのは、僕が話した全てのことだ。


「ひとまず、このことも上に報告してもいいかしら」

「もちろんです。よろしくお願いします」


 まかせて、とリュカさんが微笑み紙を折る。


「今回の依頼、古狼の方とはなんの関係もなく受けたものだったんだがな」


 今朝のことを思い出してか、エンジュが感慨深そうに言葉をこぼした。

 確かに、今日サハギンの依頼を受けたのは、古狼の件についてギルドから招集が掛かるまでの場繋ぎ的な理由だったはずだ。


「なんというか、誰かに操られてる感じがするよ」

「そうか? 私は運命が収束しているような気持ちだな」

「あら、エンジュって案外ロマンチスト?」

「そ、そういうわけではない」


 リュカさんが軽く小突くと、エンジュは頬を朱に染めて抵抗する。

 この二人も仲が良いんだなぁ、と僕は一歩下がったところでほのぼのとしていた。


「それじゃあ、私はこれを届けてから帰るわ」

「じゃあ、僕たちはこれで」

「ええ、お疲れ様」


 リュカさんが立ち上がり、報告書を持つ。

 それを見て、僕らもカウンターから離れ、ギルドの出口に向かった。


「夜道に気をつけてね」

「リュカさんも」


 そう言い合って、僕たちはギルドを出た。

 町の至る所を魔導灯の青白い光が照らしている上、頭上には大きな双子月と星々が煌めいているため、そこまで視界が悪いということもない。

 僕とエンジュは仕事終わりの充実した疲労感を肩に乗せ、隣り合って人気のない道を歩いていた。


「なんとか今日の依頼も無事、とは行かなかったけれど、終わって良かったね」


 エンジュの傷に巻かれた包帯を見て僕が言うと、彼女は少し眉を顰める。


「これくらい、一晩で治るさ」

「そうは言っても、もし傷が残っちゃったりしたら駄目だし」

「古傷なんて、至る所に残ってるんだが……」


 彼女はそっと肩に触れながら言う。


「ほんとに!? もうちょっと体を大切にしないと駄目だよ」

「そうはいっても、私は戦士だしな……」


 僕が詰め寄ると、彼女はぽりぽりと頬を掻く。

 どうしても僕のような魔法使いと比べると、彼女たち戦士の方が傷を負う機会が多い。

 だからこそ僕がもっと上手く支援していかないといけないのだけれど。


「僕も治癒魔法、覚えようかな」


 月に向かって小さく呟く。

 治癒魔法について学ぶには、教会に行かなければならない。費用も安くないとはいえ、覚えて損はないはずだ。


「そこまで神経質にならなくてもいいんだけどなぁ」


 僕を見て、エンジュが呆れた声で言った。


「っ!?」


 その時、突風が道を通り抜ける。

 咄嗟に僕たちは腕で顔を覆い、瞼を閉じる。

 次に開いたとき、そこには黒衣の人影が間近に立っていた。


「あ、あなたは!?」


 僕は思わず声を上げる。

 目元を隠す銀色の仮面、口元の妖艶な紅色、すらりとした影。彼女はシュルク湖の湿地帯で出会ったあの人だった。


「――!」


 瞬時にエンジュが臨戦態勢に移行する。

 槌を振り抜き、微笑を湛える彼女の前に出る。


「何の用だ?」

「エンジュ!」


 一段低い声でエンジュが問う。

 黒い女性はクスクスと肩を揺らして、口を開いた。


「素晴らしい反応ですね、エンジュさん。けれども、今は収めて頂きますと嬉しいです」


 エンジュはその声に素直に応じた。

 槌を仕舞い、けれども胡乱な瞳のまま彼女は立つ。


「それで、こんな夜更けに何の用だ。私は早く帰って眠りたいんだが」

「申し訳ありません。実は我々の主人が貴方方と面会したいと申しておりまして」

「……主人?」


 エンジュが首をかしげる。

 僕にも、その言葉の真意が分からなかった。


「ぜひ、今からご案内させていただきたいのですが」

「……宿に帰りたいんだが、そうはさせてくれないらしいな」


 クスリと女性が笑う。


「察しの良いお方は好きですよ」

「いい。案内してくれ。……リュークもいいか?」

「僕は大丈夫だよ」


 そう言うと、黒衣の女性は恭しく頭を下げて謝意を示した。


「それでは、ご案内させて頂きます」


 そう言って、彼女は身を翻す。

 少しでも目を離せば、夜の闇に紛れてしまいそうな、濡羽色の長い髪が揺れた。

 こちらです、と彼女は言って歩き出す。

 僕らは一度顔を見合わせたあと、彼女の後ろに付いて行った。

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