第20話「増援」

「どうしたの!?」


 サハギンの巣から飛び出して、川の水面から顔出すウンディーネの元へ駆け寄る。

 彼女はおろおろと体を動かし、下流の方を指し示す。


「なっ!」

「何か見えたの?」


 少し遅れてやってきたエンジュが下流を見て声を上げる。

 僕よりも視力の優れる彼女は、ウンディーネの示す何かが見えたらしい。


「サハギンが遡ってくる」

「サハギン!? ……そっか、巣は七つある!」


 この巣に居たのは五体のサハギンだけだった。

 少し考えれば分かることだ。こんな初歩的なことを見落として、僕は激しく後悔した。


「今は悔やむ時じゃない。迎撃するぞ」


 エンジュが槌を構える。

 その頃には僕の目でも、その姿を捉えることができた。


「あれは……」


 ここに居た五体よりも更に大柄な個体が、二体。

 一目で業物と分かる、真新しい剣を腰に巻いた蔓に引っかけている。恐らくはさっきの三つ叉の矛よりもずっと良いものだ。

 それはつまり、彼らの序列があの矛持ちよりも上位にあるという証明だった。

 彼らは水掻きの付いた両手足を巧みに動かし、猛然と川を遡上してくる。


「恐らく私達の存在に気付いて戻ってきたんだろうな。奇襲を受けなかっただけましと思おう」


 巣は七つあった。あの二体が、最後である可能性は濃厚だ。

 僕も覚悟を決めて精霊杖を構え直す。


「リューク、片方を押さえておいてくれ」

「……大丈夫。水の中なら、ウンディーネの独壇場さ」


 緊張のにじむエンジュの声を遮って、僕はウンディーネに指示を出して魔力を流し込む。


「ウンディーネ、よろしく頼むよ」


 彼女も落ち着きを取り戻していた。

 受け渡した魔力をすべて取り込み、彼女は力を高める。

 混濁した水を、己の領域へと変えていく。


「いけっ!」

『――』


 すらりと溶け込むように、彼女は水の中へと潜行した。一条の矢のように、彼女はまっすぐ魚人の元へと肉薄する。


『グエァッ!?』


 一匹のサハギンが濁った水の中へと消える。

 ウンディーネが足を絡め取ったのだ。

 それを見てもう一方のサハギンが警戒態勢に移る。


「うおああああっ!」

『グエッ!?』


 その視界の外から、エンジュが跳躍して襲撃する。

 重力のすべてを攻撃へと転化して、その一撃は亜人の頭蓋へと叩き込まれる。


「はぁっ!」


 エンジュが雄叫びと共に水しぶきを上げて着水する。 しかし彼女はそこで止まらず、素早く前方へと飛び込む。

 一瞬前までエンジュの立っていた場所で、鋭い刃が空を切る。

 水中から立ち上がったサハギンが悔しそうに怨嗟の声を漏らす。


「あのサハギン、強い!」

「恐らくは上位種だ。気をつけろ!」


 エンジュの檄が飛ぶ。

 それを受けて、僕は改めて彼らの姿を確認する。


「一回り大きい。筋肉量も。知能も上がってる?」


 永い時を生き抜き、百戦錬磨の経験を積んだ一部の魔獣は上位種へと到達する。

 生命としての壁を打破し、彼らは異常なほどの力を得る。


「ウンディーネ!」


 水面から水色の少女が顔を出す。

 怒りに目を細め、彼女は長い魚の尾でサハギンの首を締め上げていた。


「……たとえ上位種でもお構いなしか」


 こと水場において、ウンディーネの力は圧倒的だった。

 得物を振るうことすらままならず、サハギンは次第に力を失っていく。


「気をつけて、油断はしないでね」


 それでも上位種としての意地なのか、そう易々とは沈まない。

 力尽くでウンディーネの拘束を剥ぎ、投げ飛ばす。

 彼女は華麗な着水を決めて間髪入れず接近し、再度絡みつく。

 周囲の水さえ操作して、意思ある一体のようにそれは纏わり付く。


「シルフィ、援護を頼むよ」


 上空を旋回していたシルフィが、時折突風を巻き起こす。

 それは岸辺の泥を跳ね上げ、サハギンの視界を覆う。


『ギャギッ!』


 ぶよぶよと浮腫んだ唇が震える。

 鋭いナイフのような牙がウンディーネに噛み付こうとする。


「無駄だよ。彼女は水なんだから」


 しかし、確かにウンディーネの二の腕を捉えた顎は、そのまま何の抵抗もなく素通りする。

 水の精霊たるウンディーネは、その体を水のように不定形のものにできる。

 物理的な攻撃は、ほぼ効かない。


「ウンディーネ、追加だ。絞めちゃって!」


 精霊杖を通して更に魔力を送り込む。僕が通常持ち合わせている魔力量のおよそ半分が、ごっそりと引き抜かれる。

 彼女の力は増強され、やがてサハギンを圧倒する。

 そして――


「よし!」


 ボキリと骨の折れる音が飛沫に混じる。

 首をあらぬ方向へと曲げたサハギンが、水面にその身を投じた。


「エンジュ!」


 しかしまだ戦いは終わっていない。

 僕は相棒の姿を探して視線を彷徨わせる。


「はっ!」

『ギャギッ!』


 彼女とサハギンは拮抗していた。

 いくら人間を凌駕する身体能力を誇る鬼人とはいえ、足下の悪いこの環境では十全にその力を発揮できないようだった。

 いつの間にか二者は陸へと上がり、泥を跳ね上げて激戦を繰り上げていた。

 槌が横っ腹を殴り、鋭い剣が頬を掠める。

 互いに絶え間のない攻撃を刺し続け、目まぐるしく展開していく。


「ウンディーネ、いける?」

『――……』


 絶命したサハギンを引っ張って帰ってきたウンディーネに尋ねるも、彼女は首を横に振る。

 水中ならば自由に動ける彼女も、陸上には上がることすら叶わない。

 そうなればシルフィの出番かと思いきや、あの混戦模様では泥を巻き上げてもエンジュの邪魔になるだけだ。

「何も、できないのかな」


 ぎゅっと杖を握り、思考を巡らせる。

 何か自分にできることがないか、考える。

 サハギンは僕の目でも如実に理解できるほどの手練れだった。

 地の利もあり、徐々にエンジュが劣勢に傾いていく。


「くっ」


 サハギンが横薙ぎに放った剣筋がエンジュの衣を掠める。

 白い肌に血がにじむ。


「エンジュ!」


 声を上げる。

 エンジュは体勢を立て直し、対峙しる。

 しかしサハギンは泰然と立ち構え、彼女を睥睨していた。


『ギェァアア!』


 素早い一撃がエンジュに迫る。

 動きの鈍った彼女は反応しきれない。

 僕は掛けだそうとしたけれど、ぬかるみに足を取られて前のめりに倒れる。


「エンジュ!」


 その時。

 周囲の木々の影から真っ黒な装束を纏った集団が現れた。


「拘束ッ!」


 鋭い声が響き渡る。

 よく通るその声と同時に、サハギンが硬直した。


『グ、ゲ?』


 彼自身も、何をされたのか分からないようだった。

 ぎょろりとした大きな目をしきりに動かす。


「危ないところでしたね」


 黒尽くめの集団の中から、一人が僕らの方へと歩み寄る。

 僕は慌てて立ち上がり、杖を構える。

 彼らは皆一様に、銀色の仮面で顔を隠していた。僅かに見える唇は紅色で、声から判断すると女性のようだった。


「私達は怪しいものではありません」

「……そんなわけがあるか」


 肩で呼吸していたエンジュが突っ込む。

 その人はくすりと笑うと、それもそうですねと頷いた。


「貴女たちは……」

「烏、黒百合の花弁、影衆。私達は様々な名前で呼ばれていますが、決まったものはありません」


 周囲を見渡す。

 ざっと数えるだけでも十人以上の、同じような黒尽くめの人たちが立っていた。

 同じ黒尽くめの装束は、どこかエンジュの故郷の雰囲気を彷彿とさせる。けれど彼女のものほどひらひらと余裕のあるものではなく、襟や袖はぎゅっと締まっていた。どこまでも動きやすさを追求した装いだった。


「シュルク湖の調査中、すこし気になって立ち寄ったのですが、正解だったようですね」


 未だ硬直したままのサハギンを見て、彼女は言った。


「貴方方には、まだ死んでいただく訳にはいきませんので」

「僕らのことを知ってるの?」

「ええ。……ミモザの古狼の件では、重要な情報を我が主に齎してくれました」


 誰だろう。

 心当たりは何もない。

 彼女たちの正体は、何も掴めない。


「近々、またお伺いします。今はここまで」


 そう言うと、彼女は恭しくお辞儀をした。


「――斬れ」


 冷たい声が発せられる。

 その瞬間、サハギンの首がごろりと落ちる。


「では、また後日」

「ちょ、待って――うわっ!」


 突風が巻き上がる。

 慌てて腕で目を多い、風が収まったときには、そこには僕とエンジュ以外、誰も居なかった。


「あれは、一体……」

「……っ」

「エンジュ、大丈夫?」

「ああ。私は大丈夫だ」


 僕が駆け寄ると、彼女は大したことないと腕を振る。

 収納箱から薬を出して、傷に塗りつける。

 染みるようで彼女は顔を顰めるが、これは必要な措置だ。


「エンジュは、あの人達のこと知ってる?」

「いや、知らないな。……今はとりあえず、証拠を集めて帰ろう」

「――そうだね」


 エンジュが立ち上がり、サハギンの頭から鰭を切り取る。

 僕もウンディーネが岸まで運んできてくれた方に向かう。


「ありがとう、ウンディーネ」


 そう言って彼女の頭を撫でると、ぷいっとそっぽを向かれる。

 けれども、その横顔はまんざらでもなさそうだった。


「シルフィもね」


 肩に座った彼女も労い、二人を魔石の中に戻す。


「それじゃあ帰るか」

「うん。すごく疲れたよ」


 そうして、僕たちは川沿いに湖へ向けて足を踏み出した。

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