第19話「サハギン退治」
「いた」
茂みの陰に身を屈め、エンジュにささやく。
彼女も目視で確認して頷く。
シルフィは僕の側にくっついて、ウンディーネは川の水中に潜んでいる。
「あれがサハギンか」
口の中でつぶやく。
僕らの対岸、少し開かれた場所に彼らは巣を作っていた。
家というにはあまりにも粗末な、枝と泥を合わせた不格好な穴蔵だ。
それが七つ、広場を囲むようにして置かれている。
サハギンは五体。
鈍色の鱗に覆われた、手足の長い亜人だ。
ぶよぶよの唇の奥には鋭い牙が並び、人間の耳にあたるところには薄く膜の張ったヒレが生えている。
彼らはシュルク湖で獲ったらしい魚を生のままバリボリと鱗や骨ごと食べていた。
よくよく見てみれば、彼らの周囲には食い散らかした跡らしい痕跡が山積されている。
「エンジュ、どうする?」
幸い、彼らは食事に夢中でこちらに気づいている様子はない。
今ならウンディーネの言ったとおり、僕らが先制を取れるだろう。
「私が先陣を切る。リュークは援護してくれ」
「分かった。川に近いところならウンディーネも攻撃できるし、なんなら水に落としてくれてもいいよ」
「分かった。それじゃあ五秒後に出る」
呼吸を整える。
胸の中で時を数える。
「――はっ!」
エンジュが勢いよく立ち上がり、硬い木の根を蹴って跳躍する。
信じられないほどの身体能力を余すことなく発揮して、彼女は狭くない川幅を悠々と飛び越える。
『グエッ!?』
急襲に驚いたサハギンたちが食べかけの魚を放り出し、混乱して立ち上がる。
エンジュは彼らの中で最も川に近い一体に肉薄し、背中の槌をその勢いのまま振り抜く。
「まずは一体!」
『グエエエッ!』
サハギンの首を狙った精密な一撃は、彼女の予想通りに展開された。
鱗の砕ける音、肉の断裂する音が断末魔の中に混じる。
急襲は成功し、敵を減らした。
「シルフィ、ウンディーネ!」
茂みから立ち上がり、二人に声を掛ける。
張り切ってシルフィが飛び出し、未だ混乱している様子のサハギンたちを翻弄する。
ウンディーネは周囲の水を巧みに操り、水鉄砲のように勢いよく発射する。
「エンジュ!」
「任せろ!」
エンジュは精霊たちに翻弄されるサハギンの横腹に一撃を入れる。
硬い鱗に覆われ、鋭い斬撃すら通さないその肉体に、打撃は効率的にダメージを与える。
エンジュは角も合わせたすべての感覚を総動員して戦場を支配する。
時に声を上げて敵を怯ませ、亜人たちを振り回す。
「シルフィはそのまま撹乱を、ウンディーネは射程に入ったサハギンを狙って」
僕は対岸に立って戦況を俯瞰する。
エンジュの手の届かない場所に精霊を差し向け、援護する。
「エンジュ、サハギンたちが武器を持った」
「分かった!」
二体倒したところで、サハギンたちもようやく自らの状況を理解した。
彼らは地面に置いていてそれぞれの武器を構えてエンジュを睨む。
三つ叉の矛や、錆びた直剣、丸太を削った棍棒と、そのあたりの獣とは違う知性が垣間見える。
「三つ叉がやっかいそうだな」
あの中で一番上等な武器は矛だ。
恐らくはどこかで傭兵から奪ったのだろう。
それを持っているサハギンは他の二体よりも大柄で筋肉質。十中八九この村の上位だろう。
「ウンディーネ、できる?」
『――』
ウンディーネはすました顔で頷く。
それを確認して、僕はシルフィに指示を出した。
『ギュァアアッ!!』
サハギンたちが猛り、咆哮する。
エンジュは身を低くして走り出す。
棍棒が振り下ろされ、彼女の頬を掠める。
「ふっ!」
すれ違いざま、彼女は身を翻し、回転を槌に乗せる。
片足を軸にして独楽のように動き、強烈な一撃が棍棒持ちの下腹部を抉る。
カエルの潰れたような鳴き声でサハギンが呻く。
全身が鱗で覆われている彼らは、ただ唯一腹部の鱗だけがわずかに薄い。
「エンジュ後ろ!」
「くぅ」
錆びた直剣が鋭く空気を切り裂く。
間一髪逃れたエンジュは肩で荒く呼吸を繰り返す。
棍棒持ちのサハギンも未だ倒れてはいない。
「エンジュ、サハギン吹き飛ばせる?」
「少し堪えるが、できないこともない」
そう言って、彼女は再度棍棒持ちに肉薄する。
槌を握る彼女の腕が、急激に太くなるのが対岸からでも確認できた。
「はぁっ!」
ごん、と鈍い音が響く。
木々で休んでいた鳥たちが逃げ惑う中、サハギンが宙を舞う。
「ウンディーネ!」
任せろと彼女は水面に上半身を出す。
空中においてサハギンは無力だ。むしろ、ハルピュイアのような特別な種族を除いて、空は何人たりとも自由には動けない。
大いなる重力に従って、サハギンは弧を描く。
その終着点に待ち構えるのは、若干機嫌の悪い水の令嬢だ。
『――ッ!!!』
苛立った叫びと共に、太い水の柱が空中のサハギンを突く。
肋骨の折れる音、少し遅れて重いものが水に落ちる音。
『ギギャァアアアアア!』
断末魔が響く。
水中においてサハギンは人魚と同じくらい自由に動くことができる。
しかし負傷時にそれは叶わない。
そしてウンディーネは、彼ら以上に自在に水中を舞う。
「ウンディーネ、死体は残しておいてね」
バシャバシャと水しぶきが上がる。
その後少し静かになって、ボロボロのサハギンが浮かんできた。
僕が控えめに声を掛けると、サハギンの骸が波に運ばれて岸にやってきた。
「これであと二体だね」
僕が対岸に目を移すと、そこでは激戦が繰り広げられていた。
三つ叉が絶え間ない突きを繰り出し、直剣持ちが襲いかかる。
エンジュはそのすべてをギリギリで避けてはいるが、形勢を逆転させるには一歩及ばない。
「シルフィ、ウンディーネ、直剣持ちを狙って」
シルフィが直剣を持つサハギンの顔に強風を吹き付ける。
反射的に目を閉じた彼に、ウンディーネから鋭い水の一撃が入る。
「助かった!」
その隙にエンジュは直剣持ちから距離を取り、三つ叉の方へと体を向けた。
「こいつは中々手練れだな……」
エンジュが間合いを計りながら言う。
そのサハギンだけは、他とはまず風格からして違っていた。
僕は精霊たちに声を掛け、直剣持ちをエンジュから遠ざける。
張り詰めた糸のような緊張感が、対峙する二人の間に流れていた。
『グエッ!』
最初に動いたのはサハギンだった。
水掻きの付いた足を踏み出し間合いを詰める。
エンジュが一歩前に出ることで体をずらしてそれをいなす。
「はっ!」
槌が振るわれる。
火花が散る。
三つ叉持ちは、その得物でエンジュの戦槌を受け止めていた。
丸太のような筋肉が、鈍色の鱗の下に詰まっていた。
「エンジュ!」
「大丈夫だ」
しかし、受け止められてなお、彼女は冷静だった。
拮抗していたバランスを、あえて力を抜くことで崩す。
ほんの僅かに反応の遅れたサハギンの体勢が傾く。
それが勝敗を決した。
「ふんっ!」
傾いたサハギンの柔らかい腹に、鉄の塊がめり込む。
赤黒い血が太い唇を汚す。
肺を押しつぶし、血は霧のように吐き出された。
「終わりだ」
槌が抜かれると、支えを失った体が泥濘に落ちる。
丁度時を同じくして、シルフィによって川に吹き飛ばされたサハギンが、さっぱりした様子のウンディーネと共に浮き上がってきた。
「こっちも終わったよ。怪我はない?」
「ああ、大丈夫だ。……リュークも案外戦えるじゃないか」
少し不満そうにエンジュが唇をとがらせる。
僕は困ってしまって、慌てて弁明する。
「今回は環境が良かったんだよ。ウンディーネがいてくれたおかげで、僕でも倒せた」
「ほう……」
それを聞いて、エンジュは川縁で顔を出すウンディーネの方を向く。
岸辺にしゃがみ込んで、彼女はウンディーネに笑みを見せた。
「助かった。ありがとう」
ウンディーネはつんとそっぽを向いたけれど、その表情はまんざらでもなさそうだ。
「さて、これで終わりか?」
「かな。証拠品を取って戻ろうか」
岸に流れ着いたサハギンの骸に近づき、腰のナイフを引き抜く。
左のヒレを切り取って、袋に入れて収納箱に放り込む。
これが、今回のサハギン討伐の証拠になる。
「私もこっちの奴らのを取ったら戻る」
「ありがとう。僕じゃ渡れなくて」
ただのひ弱な人間である僕は、跳躍だけで向こう岸には渡れない。
エンジュが証拠品を集めるのを眺めつつ、僕は興奮しきった体を押さえる。
「けれど、このサハギン達はなんで森の奥から出てきたんだろう?」
彼らの巣は見たところかなり新しい。
今までなら、あの三つ矛のサハギンは森の中でも十分暮らしていけたはずだ。
「やっぱり、何かに追われて?」
思い出すのは番の魔熊。彼らのようなイレギュラーな存在が現れれば、弱い魔物はその土地を追われるしかない。
しかし、サハギンが住み処を移さざるを得ないほどの魔獣など、そういるとは思えない。
「……あれ、そういえば」」
「リューク!」
対岸からエンジュの声がかかり、僕の思考は中断される。
顔を上げると、彼女が川を飛び越えこちらにやってくるところだった。
「うわっ。ど、どうしたの?」
「少し、見てもらいたいものが見つかった。ちょっと失礼」
「へ? へっ!?」
彼女はつかつかと僕の方へとやってくると、おもむろに腰に手を回す。
そのままがっしりと固定され、彼女は僕を持ち上げる。
いわゆる、お姫様抱っこだ。
「多少小柄とはいえそれなりに重いはずなんだけど……」
「軽いもんだ。ちゃんと食べてるのか?」
「魔法職はそれほど鍛えないだけ!」
そう言っている間にも僕は運ばれ、エンジュがぴょんとジャンプする。
僕を抱えたまま軽々と川を飛び越し、運ばれる。
もういろいろと死にたい気分のまま地面に下ろされ、手を引かれる。
「これなんだが」
「……うぅ」
エンジュが指し示したのは、サハギンの巣の中だった。
その内壁に魚の血を使って何かが描かれている。
「これは……」
さっきまでの羞恥心を忘れて、僕はその絵に見入った。
歪な絵だ。子供の落書きのようでもある。
けれどそれは――
「ミモザの、古狼?」
湖と町と森。森には狼の顔が、町には人の顔が、そして湖には魚の姿が描かれていた。
『――――ッ!!』
その時、ウンディーネの緊迫した声が耳に届く。
慌てて川の方を見ると、彼女は焦燥の表情で下流を、湖の方を指さしていた。
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