第16話「サルドレットの町並み」

 サルドレットの町はこの大陸でも有数の大都市だ。東方にミモザの森を、西方にシュルク湖を擁する無辺のサルティーア平原に位置し、北には雄大なキルシュの断崖が聳え、南には広大な紺碧海が水天彷彿の壮大な景色を見せてくれる。

 町は地区を大きく中央と各方角の五つに分けられているのだけれど、一つの地区だけでも小さな町程度はあるから、日々の用事はそこだけで済んでしまうことも多い。

 そんなわけで、僕もエンジュもいつもは東地区から出ることは少なく、隣の地区へとやってきただけでちょっとした観光気分になっていた。


「中央区は行政機関とかが集中してるサルドレットの中枢なんだよね」

「ああ。貴族街があるのもここだからか、店の外観もいい」


 真っ白な石畳の隅を歩きながら、僕たちはせわしなく周囲を見渡す。

 各方角に位置する四つの地区から通じる、町の中央に位置するこの中央地区は、まさしくサルドレットの心臓部だった。

 町の方向を左右する議会や、市庁、そのほかにも公的な施設がいくつも立ち並んでいる。

 エンジュの言ったとおり、この地区には貴族の館も多く、通りに面する店構えも垢抜けた高級感漂うものばかりだった。道行く人たちの身なりも立派で、傭兵のような武装した人は衛兵を除けばほとんど見あたらない。


「うわっと!」

「大丈夫か?」


 周囲の町並みに見ほれていると、急に真横を大きな馬車が駆け抜ける。

 風に砂埃が舞って思わず腕で顔を覆うと、エンジュが僕の肩を抱き寄せた。


「あの馬車もかなり高級そうだ」


 僕を胸に寄せたまま、エンジュが少し皮肉のこもった声で言った。

 確かに、白く塗られた車体は縁が金色に飾られていたし、馬も艶のあるいい毛並みだった。とはいえ――


「あの、エンジュ。もう大丈夫だから」

「む? ああ、すまなかった」


 力強く胸を圧迫され、呼吸もままならない。

 僕の顔が青白かったのか、エンジュは慌てて力を緩めてくれた。


「ふぅ……。でも、中央区は五つの中だと一番狭いんだよね」

「うん? そうだな。私も詳しくは知らんが」

「一番広いのは南区だね。東区はたしか三番目」


 僕が答えると、エンジュはよく知っているな、と驚くような奇妙なものを見るようなそんな目で見た。

 なんにでもメモ帳に書き込む癖があるからか、雑学的な知識が妙に溜まってしまうのだ。


「さ、先を急ごう。昼にはシュルク湖に着きたい」

「乗り合い馬車を使えばいいのに」


 さっき通り過ぎた馬車は恐らく個人のものだけど、町には庶民でも使える乗り合い馬車が縦横無尽に走り回っている。

 高速で町中を行き来したいならそれに乗るのが一番で、僕もさっきそう提案したのだけれど、エンジュは首を横に振ってそれを断った。


「体力には自信がある。それに運賃を浮かせてご飯を食べたいじゃないか」

「そんなことだろうと……」


 今朝も『銀猫亭』で三人前平らげてきたはずなのに……。

 エンジュがさっきからきょろきょろとしていたのは、めぼしい料理店を探していたかららしい。


「とはいえ中央区はだめだな」

「え、どうして? お店はいっぱいあるけど」

「どこもお上品で量が少ない割に高そうだ」


 そりゃまあ、貴族街のある地区だしそういうものだろうけれど……。

 どうやらこの地区は彼女のお眼鏡に適わなかったらしい。


「ほら、行くぞ」


 僕が呆れている間に、エンジュはすたすたと大通りを進んでしまう。

 前方で振り返っている彼女を追って、僕は石畳を蹴った。



「西区は、あまり東区と変わらないな」

「広さも同じようなものだしね」


 地区を隔てる大壁をくぐり抜け、僕らは西の端に広がる西区へやってきた。

 町の様子を見て受ける印象は、東区のそれとそう変わらない。そこそこ発展した町の庶民が住む所。要はごくありふれた都市の町並みだ。

 しかし、とある一点だけが、他の地区と少し違っている。エンジュも少し歩いて、それに気が付いたらしい。


「水路が多いな」

「うん。湖が近いから、昔から治水工事が盛んだったみたい。ここから南区の港まで続いてるらしいよ」


 石橋を渡りながらエンジュが言う。

 その下を、櫂を水に突き刺した小舟がゆったりとした速度でくぐり抜けていく。


「ここでは馬車より船の方が多そうだ」

「実際そうかもね。人魚族もたくさん住んでるし」


 橋の縁から身を乗り出して下流の方に目を凝らす。

 川沿いの桟橋に腰掛けた、人魚族の少女が青緑の鱗に覆われた魚の下半身を乾かしている。


「人魚族か。実際に見るのは初めてかもしれないな」

「あはは。まあ東区はあんまり水路もないしね」


 陸上を歩くことのできない彼らにとっての道は、水の流れる水路だ。だからこそ西区は水路の整備をすすめ、今では水中に第二の西区とでも言うべき、水棲種族の町もあるらしい。

 実際、澄んだ水路の水面を覗いてみれば、底の方に建物らしい影も見ることができる。


「これからサハギンを倒しに行くのが、少し申し訳なくなるな」


 エンジュが思わずと言った様子でぽつりとつぶやく。

 サハギンも人魚と同じく水棲の魔獣だ。しかもその姿は人間に酷似していて、亜人とも呼ばれることがある。

 とはいえ、彼女のその憂慮は無駄なことだろう。


「人間と猿くらい違うらしいし、なんなら人魚はサハギンとかの方が他の陸棲の魔獣よりよっぽど被害があるらしいよ」

「む、そういうものか。鬼人族と鬼みたいなものだな」

「オニがどういうものかは僕もあんまり知らないけどね」


 僕の答えで彼女は納得してくれたらしい。

 細い水路をすいすいと泳ぐ人魚の姿を見て、彼女はふっと表情を緩ませる。


「リューク」

「なに?」

「昼は魚料理にしようか」

「なんで人魚見て言ったの!?」


 西区は魚料理が特産だ。人魚は生まれついての手練れの漁師だし、シュルク湖の恵みの多くは肉厚の魚という形でもたらされる。

 通りに面する店にも、魚の形をした看板がよく目立つ。


「時間は少し早いが、腹が減ってはなんとやらだ」

「ま、空いてるうちにどこか入って食べてもいいけどね」


 少し釈然としないけれど、彼女の言うことはもっともだ。

 何より、僕も最近魚は食べられていない。それも新鮮な魚となればなおさらだ。


「やあやあそこのお二人さん! 美味しい魚料理はいかがかね? 作りたての塩焼きから熱々のパイまで、何だって揃ってるよ」


 丁度いい具合に威勢のいい客寄せの声も飛び込んでくる。

 そうなればお腹の虫も訴え始める。

 僕たちは互いに顔を見合わせると、早速お店の中に足を向けた。


「いらっしゃい!」


 店に入ると、少し生臭い魚の匂いを鼻先をかすめる。

 まだ早い時間なのか、店内の人はまばらだ。


「メニューはそこに書いてるからね」


 厨房の奥からそんな声がかかる。

 僕たちは手近なテーブルを選んで腰掛け、壁に掛けられた無数の木札を眺める。そこには様々な種類の料理名が刻まれ、値段も添えられていた。


「安いね」


 値段はどれも、僕の想像以上の安さだった。

 内装の雰囲気を見ても、どうやらいわゆる庶民に愛される町の食堂のようなお店らしい。


「じゃあ僕は焼き魚定食で」

「私は……ニシンのパイにしよう」

「……美味しいの?」

「知らんが、サイズが選べるらしい」


 エンジュの判断基準が謎だ。

 僕が厨房に向かって声をかけると、物音がして人が出てくる。


「ご注文、お決まりですかー?」

「おっと」


 その姿を見て、僕は思わず驚く。

 上半身は若い少女のそれなのだけれど、下半身はぬたぬたと黒く光る、八本足。タコにも似た吸盤が整然と並んでいる。湿っているところを見ると、直前まで水に浸かっていたのだろうか。


「あれ、お客様人魚はあまり慣れておられない感じですかー?」


 僕の反応は見慣れたものなのだろう。彼女は特に気にした様子もなく首を傾げる。

 どうやら、彼女は下半身が魚ではなくタコに似たタイプの人魚らしい。僕らが東区からやってきたことを伝えると、彼女は羨ましそうな目で見てくる。


「私たちは頻繁に陸上には上がれませんからー。私はまだ、足であるけますけどー、他の子達はやっぱり難しいのでー」

「そうですよね……。僕も水中の町とかを見に行ってみたいです」

「うふふー。水中街はとても綺麗でいいですよー」


 彼女は誇らしげに胸を張って言う。

 どちらの種族でも、自分が住む土地に愛着を持って、その上で他の土地に興味を持ってしまうのは同じらしい。


「こほん、注文いいだろうか?」

「わ、ごめんなさいー」


 二人で話してると、エンジュが咳払いして割り込んでくる。

 女の子は慌てて注文票とペンを取り出し、器用に足の先で握る。二人の注文を書き留めると、彼女はまたぬたぬたとした動きで厨房へと姿を消した。

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