第15話「はじめての討伐依頼」

 翌朝。僕は昨日と同じように清々しい朝を迎えた。

 テーブルに手帳を開き、ペンを握る。インクが紙に滲むのを見ながら、雑然と積み重なった思考を整理していると、背後でもぞもぞと何かが起き上がるのを感じる。


「おはよ、エンジュ」

「……おはよう」


 まるで爆炎の魔法でも掛けられたかのような悲惨な髪を手櫛で整えながら、エンジュがぐったりとした様子で上半身を起こす。

 窓から差し込む朝日に目を細め、彼女は大きく一つ欠伸を漏らした。


「ギルドから何かしら続報がないと、今日は動けないな」


 凝り固まった肩を解しつつ、彼女は退屈そうに言う。


「うーん、まあ宿で待機しててもいいし、適当に町を散策してもいいんだけどね」


 椅子を引き、身体を捻って後ろを見ながら僕は答えた。

 基本的に傭兵という職業は自由だ。依頼を受けるも受けないも、全ては自身の裁量に任せられる。本当に差し迫った危機的状況があったら緊急依頼という形で強制させられることもあるけれど、一年傭兵をやって来た中で僕はまだそれに出会ったことはない。

 とはいえ、傭兵は依頼をこなさないといけない。単純に、お金を稼がないと生活できないからだ。


「何か良い案でもあるのか?」


 エンジュが首を傾げて僕を見る。


「せっかくパーティも組んだんだし、魔獣討伐の依頼を受けてみない?」


 ぴょこん! とエンジュの頭頂部の髪の毛が跳ね上がる。

 まるで彼女の心情を表しているようで、僕は思わず笑ってしまった。


「そうだな。まだ本格的な討伐依頼は受けたことがない」


 彼女はいそいそとベッドから出てくると、俄然やる気を出して声を大きくする。

 厳密に言えば彼女と出会った日、あの時に熊を倒したのだけれど、それは数えない。まだパーティを結成する前だったし、依頼だった訳でも無いから。


「それで、どこに何を狩りに行くんだ?」

「それはまだ決めてない。ギルドで何か良い依頼があったらいいなって思ってるだけなんだけど」

「よし分かった。それなら早速準備をしよう。早く行かないと良い依頼が取られてしまう」


 自由を尊重するギルドでは、受注する依頼も先着順だ。

 割の良い依頼は人気で、早朝に行かないと誰かが先に取ってしまうことも良くある。


「決まりだね」


 そうして、僕は部屋を出る。

 エンジュが支度を終えるのを待って、僕たちは一路ギルドへと向かった。


 †


 早朝のギルドは人が多い。

 先着順の依頼を取り合うために、沢山のやる気に満ちあふれた傭兵達がロビーの壁に吊られた掲示板に群がっている。

 カウンターの方も受注処理の業務にてんてこ舞いで、とてもではないけれど雑談をするような余裕はない。


「うわぁ、凄い人……」


 いつもは少し人が落ち着く時間帯になってからギルドに来ていた僕は、黒山のできるロビーを久しぶりに見て声を上げる。


「エンジュはいつもこれくらいの時間に?」

「いや、昼前くらいに来てたよ。私がやりたかった依頼は大体その時間でも残っていたからな」

「エンジュがやりたい依頼?」

「できるだけ単価が高くて物理攻撃が効く魔獣を狩る依頼だよ」

「……」


 つまりはとてつもなく危険度の高い依頼ということだ。

 確かにそんな依頼なら多少遅く来ても残っている可能性は高い。

 いくら傭兵と言えども命の危険はできるだけ避けたいところだからだ。


「じゃあ、僕が薬草採集に出かけた後くらいにすれ違いだったのかな」

「かも知れないな」


 一年ギルドに通い詰めて、今までエンジュの姿を見なかったわけだ。


「それで、どんな依頼にする」

「ちょっと見に行こうか」


 混雑する人混みを眺めて、僕は覚悟を決める。

 エンジュと連れ立ってそこへ飛び込み、人の隙間を縫って掲示板に向かった。


「いててっ」

「大丈夫か?」

「な、なんとか」


 傭兵は金属製の武器や防具を持っている人が多い。

 混雑の中で押されて、あやうくぺしゃんこになるところだ。


「ほら、こっちだ」

「うわっ」


 エンジュがぐいっと僕の腕を引っ張る。

 あれよあれよと言う間に腰の後ろに手を伸ばされ、ぴったりと密着する。

 彼女の硬い胸当てが頬を押しつぶす。その向こう側の柔らかな感触に、思わず硬直してしまった。


「ほら、もっと前にいくぞ」


 そんな僕に気付いていないのか、彼女はずんずんと力任せに前へ進む。

 鬼人族のフィジカルは大したもので、並の傭兵は簡単に押しのけてしまった。


「え、エンジュ、その、大丈夫だからもう」

「そうか?」


 ようやく彼女の拘束から解かれたとき、僕らは掲示板の目の前までやってきていた。

 息が荒いのは、人混みの中で酸欠になっているからというわけではないだろう。


「ほら、探そう」

「そ、そうだね……」


 彼女に気取られないよう平静を装い、僕は頭を上げる。

 びっしりと隙間無く貼られた用紙は、このギルドに寄せられた様々な依頼だ。

 目まぐるしくそれらを見渡して、めぼしいものを探す。


「キラービー、ヴォーパルバニー、死霊騎士……。どれも難易度が高すぎるね」

「群れる奴や物理攻撃が効かない奴は、私は苦手だ」


 古びた用紙はつまるところ誰も引き受けなかった依頼。達成難易度が高すぎるか、報酬が少なすぎるかのどちらか、もしくは両方だ。


「はぐれ魔狼の退治なんてのもあるね」

「特例付きの長期依頼だろう? はぐれは信じられない距離を移動するから、探すところから大変だ」

「へぇ。そうなんだ」


 ずっと薬草採集しかやってこなかった僕には知らない世界だった。

 森で遭遇する危険のある魔獣については魔女の尖塔で調べていたけれど、これからは他の魔獣についても調べておいた方が良いかも知れない。


「ニセムラサキシシキバタケモドキの採集……。偽物なのか擬きなのか、どっちなんだ」

「シシキバタケっていうキノコの亜種のムラサキシシキバタケによく似たムラサキシシキバタケモドキによく似てるけど猛毒なニセムラサキシシキバタケモドキっていうのがあるんだよ。ムラサキシシキバタケとムラサキシシキバタケモドキの外見とよく似てるから、かなり上級者向けの依頼だと思うよ」

「言っていることの半分も理解できん……」


 討伐依頼ではないけれど、キノコの採集以来というのもかなり難易度が高いものがある。専門的な知識を必要するものも少なくなく、それ専門の傭兵もいるくらいだ。

 僕も見分けを付けられる自信が無かったから、キノコ系の依頼は受けたことがない。もしかしたら、ノームだったら見分けが付いたりするのかな?


「ん? リューク」


 そんな風に依頼を物色していると、エンジュが一枚の紙に視線を定める。

 彼女に呼ばれて、その依頼用紙を見る。

 真新しい、白い依頼用紙だ。


「シュルク湖のサハギン退治?」

「ああ。最近目撃例が出てるらしい。サハギンなら群れると言っても二三匹だ。活動範囲も絞られるから探索もそう難しくないと思う」

「シュルク湖か……。町の反対側だね」


 ギルドは町の西側、ミモザの森に近い門がある通りに立っている。

 対してシュルク湖は町の東、真反対の門を通らないといけない場所だ。


「丁度いい。町の東側はあんまり行ったことがないんだ。散策しながら行かないか?」

「うん。いいね。そうしよう」


 エンジュが頷き、依頼用紙を掲示板から剥がし取る。

 未だ殺到する人の塊から脱してカウンターに行き、受注処理を受けると、晴れてこの依頼は僕たちのものだ。


「シュルク湖のサハギンの討伐ですね。事前に調査依頼をこなして下さったパーティの報告によれば、サハギンは六体ほど確認されたそうです。達成条件は三体ですが、お気を付け下さい」


 対応してくれた受付のお姉さんが、依頼書には書かれていない情報を補足してくれる。

 討伐依頼とは別に偵察依頼というものも出されることが多く、そちらの成果によって他の情報が追加されることもあるらしい。


「ありがとうございます。それじゃあ」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 手帳に情報を書き留めた後、ギルドを出る。

 いつも向かっている方角に背を向けて、僕たちは町の東へと向かった。 

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