第14話「古代精霊語」

「――ク! リューク! おい、目を覚ませっ」


 ゆさゆさと肩を揺らされる。

 土の匂いが鼻先をくすぐり、頭の奥から鈍い痛みを感じる。


「リューク! 大丈夫か!」


 耳元で叫ばれ、僕は瞼を開く。

 開ききった瞳孔に、光が洪水のようになだれ込む。ぼやける視界の中に、切迫した表情の彼女が飛び込んできた。


「うぅ……」

「リューク!」


 声が柔らかくなる。

 ゴシゴシと瞼を擦り、目が慣れるのを待つ。


「エンジュ」

「やっと気が付いたか」


 僕は森の中に倒れていたらしい。身体中に落ち葉が纏わり付いて、全身森の匂いだ。

 側にいたエンジュが僕の肩を支えて上半身を起こしてくれる。


「ここは……?」

「森の入り口だ。あの後、ここに飛ばされたらしい」


 言われて周囲を見渡してみれば、確かに木々の密度が薄い。

 森の奥で、あそこで出会った白い犬。きっと彼の仕業なのだろう。


「大丈夫か? 怪我は?」

「ううん。どこも痛くないよ」


 心配するエンジュに感謝しつつ、僕はできる限り覚えていることを整理した。

 あの犬は、きっとミモザの古狼に繋がる道筋だ。


「今はまだ、来るなって言われてるのかな」

「さっきの白い犬は、なんだったんだ? 何を話していたんだ」


 エンジュがむっとした様子で詰め寄る。

 そういえば、あの時彼女は蚊帳の外だった。自分だけ置いて行かれて怒っているらしい。


「えっと、僕も詳しくは分かんないんだよ」

「なに? だが、理解していた感じがしたぞ」

「意味は理解できなかったけど、話してる言語は理解できた」

「古代精霊語というやつか」


 エンジュの言葉に頷く。

 読んで字の如く、古代の精霊が用いていた言葉だ。現代精霊語よりも精霊に寄り添った言葉で、その意味のほぼ全てが人の世界では失伝してしまっている。


「でも、古代精霊語なら僕らより詳しい子がいるからね」


 そう言って、僕は側に落ちていた精霊杖を拾う。

 魔力を回路に流し込み、詠唱し、呼び出したのは、風の精霊。


「シルフィ、さっきの白い犬が言っていた言葉、分かった?」


 僕の目の前の地面に着地したシルフィが、コクコクと頷く。

 精霊の言語なら、精霊に聞けば良い。古代精霊語は人の世界でこそ古の物として滅びた言語だけれど、精霊達の世界では今でも十分通用するらしいから。


「それじゃ、教えてくれるかな」


 そう言って、僕は収納箱の中から小さな魔石の欠片を一つ取りだしてシルフィに手渡す。

 彼女は嬉しそうにそれを頬張ると、喉を鳴らし、喋り始めた。


『――――』

「ほうほう」


 精霊の使う、声にならない声。

 人の耳にはただの透き通った鈴の音のようにしか聞こえない。


「……リューク、この子は何を?」

「古代精霊語から、現代精霊語に翻訳してもらってるんだよ」

「私にはその現代精霊語とやらも聞き取れないんだが……」


 眉の間に深い皺を刻んで、エンジュはシルフィを見る。

 シルフィは不思議そうに首を傾げ、ふりふりと彼女に向かって手を振った。


「そこはまあ、僕ら精霊術師の腕の見せ所というか。古代精霊語は僕も単語くらいしか聞き取れないけど、現代精霊語ならみっちり叩き込まれたからね」


 優秀かつスパルタな師匠の元で、ね。

 一時期は人の言葉すら忘れかけて日常生活でも精霊語で話していた。


「――――?」

『――――――』


 その後も、いくつかの質問を交えながらシルフィから先ほどの会話の内容を教えて貰う。

 それを手帳に書き留め、情報を蓄積していく。


「ありがとう、シルフィ」


 話を終え、シルフィの小さな頭を指先で軽く撫でる。

 彼女は嬉しそうに揺れた後、吸い込まれるようにして精霊杖の石の中へと帰って行った。


「さあ、古代から現代、精霊語から人の言葉に訳そうか」

「……精霊術士は皆、それができるのか?」

「精霊術は精霊契約術だからね。精霊との対話は、例えばエンジュがそのハンマーの振り方を覚えないといけないくらいの必須技能なんだよ」


 ページを変えて人語に訳しながら言う。

 エンジュはとても驚いた様子で、そんな僕の作業を見ていた。


「だから、精霊術師はけっこう語学に堪能な人が多いよ。僕もいくつか他の言語を話せるし」

「そうだったのか。私は……国の言葉と共通語くらいだな」

「まあ、共通語さえ覚えてればこの大陸ではだいたい不便しないしね」


 知の蒐集家たる魔女たちが作り上げた統一言語、それさえ覚えていれば普段生活するどころか世界旅行に出かけても不自由はない。

 でも、その地に古くから残る言語にしか表現できない概念や物も数え切れないくらいある。それらを取りこぼさないためにも、言葉を覚えるのは大切だ。


「さて、できたよ」

「早いな」

「まあ会話自体はそれほど長くなかったし」


 感心するエンジュに照れながら、僕は早速翻訳した文章を読み上げる。


「境界を分断、分離……。分かつ者もの、群れ? 人々よ、かな。何故にその約定、掟、決まり、を破り現れた」

「……すごく、尊大だな」

「古代精霊語自体がこういう調子なんだよ」


 もともと、太古の精霊と人々の出会いは今みたいな隣人関係ではなかったらしい。かたや吹けば飛ぶような脆弱な存在、かたや自然を司り意のままに操る超常なる存在。彼らの言葉を翻訳した時、方向性がこうなるのも仕方が無い。


「我が音、音色……言葉を忘れたか。我が方向、思考、意思? を知らぬか。……ふむ?」


 首を傾げる。


「了解、了承、よい。 えっと、掟は巣の主、古い女? が知る……。だってさ」

「えっと……」


 内容は終わる。

 頭を上げると、エンジュは困ったような顔でこちらを見ていた。


「とりあえず、掟については巣の主である古い女が知ってる、らしい」

「それは一体誰なんだ?」

「巣っていうのは、多分サルドレットのことだ」


 人々の営みの拠点を巣と考えるなら、あの町が一番当てはまるだろう。

 巣の主を町の主と考えるなら……。


「主というなら市長か? サルドレットは議会制だから、議長という線もあるが……」

「うーん、そこは今考えても答えは出なさそうだ。とりあえず、今日はもう一旦帰らない?」

「……そうだな。この森の主はまだ来て欲しくないみたいだ」


 エンジュが森の奥を見つめて言う。

 こうして森の入り口まで丁重に送り返されたのに、また押しかけても収穫はないだろう。

 二人の意見が一致して、僕たちは一度町へと戻ることにした。



「それで報告にきてくれたのね」


 リュカさんが僕らの顔を順番に見ながら言う。

 僕とエンジュは場所をギルドに移し、今日あった出来事を彼女に報告していた。

 まだ昼過ぎのギルドロビーは、昼間からお酒を呑む数人の傭兵がいるだけで、閑散としている。

 僕の報告を受けて、リュカさんは手を頬に添えて考え込んだ。


「巣の主か……。順当に考えれば市長さんか議長さんか、どちらかになるのかしらね」

「でも、それだと少し食い違うんですよね」


 僕はカウンターに広げた手帳に指を乗せて言う。


「巣の主である古い女。今はどちらも男性がやってるものね」

「そうなんですよ。市長さんは若い方ですし」


 サルドレット市の市長は今年でたしか三十歳くらいだったはずだ。異例の若さで議会に選ばれたとして、少し話題になっていたのを思い出す。


「そうねぇ。一旦、ギルドから両方に報告させて貰うわ」

「お願いします」

「ううん。でもリューク君に頼んで良かったわ。古代精霊語を分かる人ってあんまりいないから」


 資料を纏めながら、リュカさんが目を細めて言った。

 古代精霊語が分かる人が少ないと言うことは、このサルドレットでも精霊術師の数が少ないということで、僕としては少し複雑だ。


「私は、結局何もできなかったな」


 そんな僕の隣で、エンジュがしょんぼりと肩を落とす。

 ピカピカの鎚を背負って和やかだった今朝とは対照的な表情で、僕は驚く。


「だ、大丈夫だよ。エンジュのお陰で安全に森の中を進めたんだし」

「そうか?」


 疑わしそうに目を向けるエンジュに、僕はうんうんと勢いよく頷く。

 そうしていると、彼女はふっと戒めから解かれたように弛緩した。


「それじゃあ何か進展があったら報告するわ。ゆっくり身体を休めて頂戴」

「はい。ありがとうございます」

「リューク君は、『銀猫亭』でいいのよね?」


 ギルド職員は傭兵の寝泊まりしている場所も把握している。

 緊急の依頼で招集する時や、今回のように集めた情報を伝達する際に必要だからだ。

 

「はい。あっ、エンジュも同じですよ」

「……へ?」


 僕が言うと、リュカさんが声を上げる。

 銀縁の眼鏡の奥で、青い瞳が丸くなる。


「え、ど、どういうこと?」

「パーティならできる限り一緒に行動した方がいいと思ってな。昨日から一緒の部屋に泊まってるんだ」

「はぁぁあああ!?」

「うわっ!?」


 突然の悲鳴に、僕は思わず仰け反る。

 普段冷静沈着なリュカさんが、ここまで取り乱すのも珍しい。


「す、すまん。早めに報告しておくべきだった……」

「ちがっ……。いや、ええ。はい。……これからは変更があったらできるだけ早くお願いします」


 かと思えば、リュカさんはすぐに落ち着きを取り戻し、いつも通りたおやかな笑みを浮かべて答える。

 エンジュが分かったと頷くと、彼女は仕事があると言ってカウンターの奥へと姿を消した。


「むぅ、リュカがあんなに怒るとは」

「僕もちょっとびっくりだったよ」


 そんな事を話しながら、僕たちはギルドの出口へ向かう。

 何か、今日はどっと疲れた。普段使わない脳を使ったというか。古代精霊語みたいな常用しない言葉を使うと体力がものすごい勢いで消費されてしまうらしい。


「っ!」

「どうかした?」


 ギルドの扉に手を掛けたとき、隣のエンジュが肩を少し跳ねさせる。


「いや、何か建物の奥で凄い音が聞こえた気がして……」

「ふぅん? やっぱり耳もいいんだねぇ」


 僕には聞こえなかったけれど、やっぱりエンジュの感覚はかなり鋭敏らしい。

 そんな彼女に感心しつつ、僕は連れ立って『銀猫亭』へと戻った。

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