第13話「足跡を辿る」
見晴らしの良い草原を二人ならんで歩く。
エンジュの背中には、ピカピカに磨かれた戦鎚がある。
彼女は上機嫌で、足取りも軽く街道を進んでいた。工房でメンテナンスされた鎚を受け取ったときから、ずっとこの調子だ。
「機嫌良いね、エンジュ」
町と森との間に広がる丘にはめったに魔物も出てこない。それほど警戒する必要もないから、僕は肩に座ったシルフィを指先で撫でながらエンジュに話しかけた。
「いつもは最低限の手入れだけだったんだがな、久しぶりにしっかり隅々まで手入れして貰ったんだ。ほら、柄の革も新しくなっているだろ?」
そう言って彼女は笑顔を浮かべ、自慢げに鎚を見せつける。
全然気付かなかったけれど、とりあえず頷いて無難な反応を見せると、彼女はうんうんとまた満足げに頷いた。
「そういえば、鈍器を使う人ってあんまり見ないね」
傭兵の、特に戦士職が使う武器は、その大多数が刀剣だ。片手で持てる軽いものから、両手で抱えるような超重量の大剣、針のようなレイピア、短いナイフ等々、細分化すれば切りが無いけれど、一括りに刀剣に分類されるものが殆どだ。
エンジュのような鈍器、とりわけ背丈ほどもある巨大な槌を使っている人はとても少ない。とりあえず、僕は彼女以外に見たことがない。
「まあ、刀剣は花形だからな。扱いも習得しやすいし」
エンジュは複雑な表情で言う。
使用者が多いと言うことは、間口が広いということだ。何か武器の扱いを習得しようとした時に、刀剣は最も沢山の教師がいる。
その上、鍛冶師も刀剣を作ることに慣れているから、質の良いものが安価で手に入るという利点もあった。
「じゃあなんでエンジュは戦鎚を使ってるの?」
「私の故郷の古い言葉に……。いや、なんでもない。ただ単に私の家族がみんな鈍器使いだったからだよ」
何かを言いかけて言葉を濁し、彼女はそう言い直した。
「私の家は古くから続く武家でな、その地域を治める大名の武将だったんだ」
「へぇ……。じゃあエンジュも武将になれたんじゃ?」
あまり考えずに口にした言葉は、エンジュが一蹴した。
「故郷では女は武将どころか足軽にもなれんよ。それに、うちには三人も兄がいたからな。どのみち継げはしなかった」
「だから、こっちに来たの?」
「ああ。刺繍やら歌詠みやらで窮屈な生活を送るよりずっと良かったからな」
一片の後悔すらしている様子はなかった。
エンジュは清々しいほどの笑顔を浮かべて、そう言い切った。
「それに、鈍器はいいぞ」
彼女は更に言葉を続ける。
「私たち鬼人族の戦い方は、基本的には力任せだ。だから鈍器の破壊力がとても相性のいい戦闘スタイルになっているんだよ」
「なるほど……」
思い出すのは一昨日の出来事。二匹の熊の横腹を容赦無く殴りつけたあの一撃だ。
確かに、人間よりも遙かに優れた力を持つ彼女なら、鈍器での一撃の方が剣よりも効率的に敵へダメージを与えられるのかもしれない。
「っと、そろそろだな」
二人で話に花を咲かせていると、森が近づいてきた。
ここからは心機一転、最大限の注意を払って進まなければならない。
「シルフィ、よろしく」
魔力を与えつつ、肩で揺られていたシルフィに声を掛ける。
彼女は一度ぴしりと敬礼のような動作を取った後、ふよふよと宙を飛んで先行し始めた。
「ぱっと見た感じ、特に変わった様子はないね」
一年ずっと薬草を採りに来ていた森だ。何か変化があれば気付くはずだけれど、眼前に広がるのは静かな暗いいつも通りのミモザの森だ。
「古狼がいるのは森の深部なんだろう? とりあえず、奥へ進もう」
「そうだね。そうしよう」
エンジュの提案を受け容れ、僕たちは森の中へと踏み入る。
硬い土道はやがて柔らかい腐葉土へと変わり、青々と生い茂る木の枝葉が影を落とす。
シルフィがゆらゆらと飛んでいるのを追いかけて、僕らは森の奥へと進む。
「今のところは静かだけれど」
先日倒した番の魔熊は、森の生態系の頂点に位置していてもおかしくない強敵だった。そんな彼らがいなくなった今、森は新たな頂点を争って魔獣達が活性化していてもおかしくはない。
けれど、そんな心配とは裏腹に森の中は静寂そのものだった。
「たまに小動物の気配はするが、魔獣はいないみたいだな」
「エンジュ、気配とか分かるの!?」
エンジュの言葉に、僕は驚いて彼女の顔を見る。
彼女はきょとんと首を傾げて少し考えた後、得心のいった顔で頷く。
「そうか、人間は感覚が鈍いんだったな」
「鬼人族が鋭いんじゃ……」
「そうとも言えるが。ほら、これのお陰だよ」
そう言って、エンジュは額から伸びる短い二本の角を指さす。
「つの?」
「ああ。これは感覚器でな、鬼人族は人間の五感に加えて第六感的なものがある」
「何それ格好いい!」
しれっと告げられた真実に、僕は思わず興奮して詰め寄る。
ほのかに赤みがかった角は額から丁度小指程度の長さが突き出ている。それが、耳や目と連なるもう一つの感覚器なのか。
「さ、触っても……」
「ダメだ! 敏感なんだぞ」
「ごめんなさい」
聞いてみると、予想通りの答えが返ってくる。目を潰されるようなものなのだろうか。
ともあれ、この角のお陰で彼女達鬼人族はより鋭敏な感覚を備えているらしい。
「いいなぁ。人間以外の種族は色々特徴があって」
特徴が無いのが特徴という人間だ。エルフは優れた魔法の才能を、ドワーフは強靱な筋肉を、獣人族は獣の力を、他の種族にはない唯一の特徴を持つ彼らに、僕は憧れを抱いていた。
「人間だって、特長はあるだろう?」
嘆く僕に、エンジュはそう言う。
思い当たる節がなかった僕が首を傾げると、彼女は答える。
「繁殖力が強い」
「嬉しくない!」
確かに一番数が多いのは人間だけれども!
そこを褒められたところで別に嬉しくない。それどころか恥ずかしいまである。
「まあまあ。冗談はさておいて」
「ほんとに冗談……?」
僕の嫌疑の目を無視して、エンジュは続けた。
「人間は可能性の種族だと思うよ。何にだってなれる」
「可能性ねぇ」
確かに、人間は幅広く色々なことをしている種族だ。エルフのように非力すぎる訳でも無く、ドワーフや鬼人のように魔力に乏しいわけではない。
全てが平均値。
だからこそ、全ての可能性がある。
彼女はそう言いたいのだろう。
「実際、リュークの精霊術は私には使えないから、羨ましいよ」
エンジュが前方のシルフィを見ながら言う。
視線に気が付いたシルフィが振り返って、こくんと首を傾げた。
「さて、雑談はここまでだ」
唐突にエンジュが会話を打ち切る。
雰囲気がぴりっとしたものに変わったのを感じて、僕も気持ちを入れ替える。
「魔獣?」
「いや、足跡だ」
そう言って、エンジュがずっと前方を指さす。
シルフィがいる場所よりもずっと奥。薄暗い森の中で、よくそんな遠くまで見通せるものだと感心する。
警戒しながら前へ進むと、確かに腐葉土の上を踏み抜いた足跡があった。
「……小さいね」
それは、とても小さな足跡だった。三本の爪の跡がくっきりと残っている。
「犬……? 狼にしては小さすぎるな」
エンジュの分析に、僕は首を傾げる。
この森にずっと通っていて、今の今まで野犬の類いは見たことがない。
「どこかから迷い込んだのかな?」
「魔犬はどこにでもいる上に、群れから飛び出したはぐれは長い距離を移動するからな。可能性はない訳じゃない」
足跡は森の奥へと続いている。
ひとまず僕らはそれを追うことにして、木々を掻き分けて進んだ。
「しかし、本当に静かだな」
シルフィがぼんやりと光を放っているため、視界は思ったほど悪くない。
足跡を辿りながら、エンジュが小さく呟いた。
「確かに、少し静かすぎる気もする。木々のざわめき以外、何も聞こえない」
「少し変だ。警戒はしておこう」
ともあれ、進まなければ何も成果は得られない。
僕は精霊杖を握り直して、シルフィの後を追った。
「結構奥に入ったと思うけど……」
足跡は細く長く、けれど着実に森の奥へと続いていた。
僕は今まで入った事のない領域まで足を踏み入れている。
「シルフィが警戒していないってことは、まだ危険は無いはずなんだけどね」
「精霊はそういうことも分かるのか?」
エンジュが驚いて言う。
「精霊は自然の中に暮らす種族だから。そういうことにはとても敏感なんだよ」
そのお陰で命が助かったことも、数え切れないくらいある。
非力な僕が今まで生き残って来られたのも、精霊術を学んでいたからだ。
『ッ!』
「うん? どうしたの?」
その時、今まで順調に進んでいたシルフィが立ち止まる。
彼女は何かを見つけた様子で、前方を指し示しながら僕らの方へと振り返った。
「エンジュ、何か見える?」
「影になっているが……。犬か? 白い犬がいる」
「白い犬?」
目を凝らし、じっと見る。確かに、木々の陰に隠れて白っぽい影が見えるような、見えないような……。
「もう少し近づこう」
「そうだね」
エンジュの声で、僕らはゆっくりと歩みを進める。
距離が縮まるにつれて、僕の視力でも白いぼんやりとした輪郭がだんだんとはっきりと定まっていく。
「シルフィ、中に入ってても良いよ」
僕の元へと戻って来たシルフィに話しかけると、彼女はふいっと首を振ると僕の肩に腰掛けた。
「間違い無い。犬だな。でもかなり小さいぞ」
僕よりも目が良いエンジュが姿を言い表す。
彼女の膝くらいまでの高さの、小さな犬だ。
長い毛は白く、とてもこの森には似付かわしくない。
「僕もしっかり見える」
かなり近づいても、犬はこちらをじっと見たまま逃げなかった。
確かに外見は犬だ。だけど、雰囲気が違う。
「あれは……、ただの獣じゃない」
「魔獣か?」
「ううん、魔獣とも違うと思うんだけど……」
なんとも形容しがたい。
僕が言い淀んでいる間にも、距離は段々と縮まっていく。
しかし、ある一線に踏み入れたとき、一瞬で明らかに周囲を漂う空気が変わる。
張り詰めた糸のような、強い緊張感が森の中を支配する。
「エンジュ!」
「分かっている。止まろう」
僕よりも鋭敏な彼女は、より如実に感じ取っていた。
彼女は足を止めると、そっと背中の鎚の柄に手を添える。
『――――――』
「っ!?」
「どうした?」
不意に、声が耳元で囁かれて、僕は思わず仰け反る。
エンジュが驚いて僕の背中を支えてくれた。しかし彼女は何も聞こえなかったらしく、不安を表情に滲ませて僕と犬の間で視線を彷徨わせていた。
「どうした、何があった?」
「こ、声が……」
「声?」
怪訝な表情を浮かべるエンジュ。
『――――――』
「まただ」
そんな彼女に構わず、声はまた耳元で囁かれる。
「これは……。あの子の声?」
「犬が喋っているのか?」
エンジュが混乱して声を上げる。
僕は思考を巡らせながら、真っ直ぐに白い犬を見つめる。
「君は――」
『――』
また声がする。
これは、聞き覚えのある声。言語だ。人には発生できない、秘密の声だ。
でも――、僕は知っている。
「僕らは、ミモザの古狼を探しに来た。境界線の掟について、話したいことがある」
『――――――』
僕の声に、返答がくる。
確かにそれは意味のある言葉だ。僕は幾度となく、それを聞いている。
「古代精霊語……」
「なんだって?」
エンジュが困惑して聞き返す。
「古代精霊語。シルフィたち精霊が扱う、魔力を帯びた言葉だよ」
「じゃああの犬も精霊なのか?」
「いや、精霊とは違う。似ているけど、というか根源は同じだけど、別の存在だよ」
僕は言いながら、収納箱を開く。
取り出すのは昨日買った麦穂とオリーの葉。麦穂を輪にして、オリーの葉で飾ったそれは、精霊の世界で特別な意味を持つ。
それを、僕は力一杯投げる。輪は放物線を描き、宙を飛び――
『わんっ!』
軽く跳躍した白い犬が咥え取った。
その瞬間、世界がゆがみ、意識は暗転した。
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