第10話「買い物」

「エンジュ、テメエまた力任せにぶっ叩きやがったな? 何回凹ませたら気が済むんだ」


 そこは、ガンガンと激しく鉄を打ち付ける音がそこかしこで響き渡る大きな工房。炉では炎が激しく揺らめき、室内はどこもうだるような暑さに満ちている。

 そんな煉獄のような環境で、禿頭の大男がエンジュを睨み付けていた。


「いやぁ、あはは。夫婦熊が随分丈夫だったからな」


 エンジュは乾いた笑いを浮かべると、ばつが悪そうにそっと目をそらして白い前髪を弄る。

 ここはサルドレットにある武器工房。目の前の不機嫌な男の人は、その工房長だった。一見ドワーフかと思うような、盛り上がった立派な筋肉だけれど、人間らしい。

 分厚い革製のツナギと手袋を身につけて、もじゃもじゃのヒゲを蓄えている。

 まるで歴戦の傭兵のような、鋭い眼光だった。

 エンジュの使っている大槌も、彼の手によって作られたものらしく、依頼をこなすたびに持ち込んでメンテナンスを施して貰っているそうだ。


「まあいつものことだ。明日の朝に取りに来い」

「ああ。助かる」

「そう思うんならもうちっと丁寧に扱いやがれ」


 粗暴な口ぶりに反して、工房長はそっと鎚を持ち上げる。

 鎚の頭を見てみれば、確かに細かなへこみや傷が幾つも刻まれていた。


「エンジュ、ギフトは使ってないんだよね?」

「うん? ああ、単純に私の腕力だけで振ってるよ」


 彼女はこともなげに言ってみせるが、自分の背丈ほどの大きさもある巨大な槌を軽く振り回し、あまつさえあれだけ傷が付くほどの力で殴打するのは、中々に化け物なのではないのだろうか。

 非力な僕では到底敵わない。

 そんな所で、僕は彼女との明確な種族の格差を知った気がした。


「そこのチビはエンジュの知り合いか?」


 弟子らしい若い鍛冶師に鎚を渡しながら、工房長がエンジュに問いかける。

 チビというのは、僕のことだ。

 悲しいかな、この工房の誰よりも僕が一番背丈が低い。


「ああ。私のパーティメンバーだ」

「パーティ!? エンジュが?」


 胸を張って答えるエンジュ。

 工房長は目を見開き、わざとらしく一歩二歩後退する。

 そんな彼の反応に、エンジュはむっと眉を寄せた。


「なんだ。私がパーティ組むのがそんなに変か?」

「変というか、ずっとパーティは組まないって言い張ってた奴が突然連れてきたら、驚くに決まってるだろうが」


 言いながら、工房長は額に浮かんだ汗を拭う。

 熱気の中でも平気だったのに、エンジュの一言でどっさりと汗が噴き出したらしい。


「あんた、名前は?」

「リュークです。精霊術師をしてます」


 鋭い目がこちらを向く。

 名前と職業を言えば、彼は片眉を上げた。


「……まあ、お似合いなのかね?」


 オレは詳しくないが、と付け足しながら工房長は首を傾げる。

 彼も傭兵とそれなりに密接に付き合う職人だ。精霊術師の話は知っているのだろう。


「相性はばっちりだよ。これから二人でどんどん名を上げていく予定さ」

「自信だけは一人前だな」


 きっぱりと言い切るエンジュがとても頼もしかった。

 工房長はため息を一つつくと、僕の頭に大きな手を乗せた。


「頑張れよ、坊主。ちゃんと見張っておけ」

「わぶっ。は、はい!」

「む、どういうことだ。むしろ私の方が年上なんだが」


 わしゃわしゃと乱暴に髪を撫でられ、思わず情けない声を出してしまう。

 不満げに頬を膨らませるエンジュが僕の腕を引っ張った。


「ほら、行くぞ。――明日の朝に取りに来る」

「おう。任せとけ」


 ご立腹な様子で大股に歩き、エンジュが工房を出る。

 僕は彼女に引っ張られながら、工房長に手を振って外に出た。


「うわ、涼しい」


 工房の外に出ると、空気がとても涼しく感じられる。

 本当に涼しいわけではなくて、単純に工房の中が暑すぎただけだけれど。

 精霊術師である僕にとって、鍛冶屋はあまり縁の無い場所だ。だからあの焦げ付くような暑さにも慣れていなくて、余計に体力を削り取られたような気がした。


「エンジュ、この後はどうするの?」


 額に滲む汗を拭きながら、隣を歩くエンジュに話しかける。彼女は顎に指を添えて考え込んだあと、小さく息をつく。


「私の用事はもうないな。リュークが行きたいところがあれば付いていく」

「そっか。いくつか回りたい店はあるけど」

「じゃあ行こう。早めに宿も取らないといけないしな」

「やっぱり一緒に泊まるんだね」


 当然だとエンジュが頷く。僕も了承してしまったし、それはもう仕方ない。

 僕は足の向きを変え、通りを歩き始める。

 サルドレットの町はその長い歴史に相応の、とても広い町だ。いくつもの区画があり、川も大小様々なものが何本も流れている。

 広いだけあってお店の数も膨大で、少し歩くだけでも知らない名前はいくらでも発見できる。

 けれどそんな中で、僕にも何カ所か行きつけのお店と言うものはあった。

 少し細い路地に入った所にある小さなお店。看板には『ネージュ薬舗』と書かれている。


「薬屋か?」

「うん。昨日言ってた、薬草の扱い方を習ったお店だよ」


 言いながら、ドアノブを捻る。

 カランコロンとベルの乾いた音が響いて、薬草のすっとした香りが鼻をくすぐる。

 薄暗い店内には天井まである大きな棚が二竿置かれていて、そこには色々な薬品の詰まったガラス瓶が所狭しと並べられていた。


「いらっしゃいませー」


 奥のカウンターから間延びした声が響く。

 室内の明るさに目が慣れると、小柄な女の人が椅子に座っているのが見える。

 明るい若草色の髪を三つ編みにして纏めた、丸顔のおっとりとしたお姉さん。細い目元が優しげで、以前薬草の扱いを聞きに来たときも丁寧に教えてくれた。


「こんにちは、ミルラさん」

「あらー、リューク君。こんにちはー」


 ぺこりと頭を下げて挨拶すると、彼女も椅子から立ち上がる。

 彼女――ミルラさんが、何を隠そうこのお店の主だ。


「あれー、今日はお二人ですかー?」


 ミルラさんは僕の背後に立つエンジュに気が付き、首を傾げる。

 彼女の細い目がエンジュと交わる。


「リュークのパーティメンバーになった、エンジュだ。よろしく」

「おおー、リュークさんもパーティを組まれたんですねー。おめでとうございますー」


 ぱちぱちと拍手してミルラさんが祝福してくれる。

 僕はなんだか背中のあたりがくすぐったくなって、早速本題を切り出した。


「あの、傷薬を補充したいんですけど。五つほど」

「いつものですねー。少し待っててくださいー」


 僕の注文を受けて、ミルラさんはぱたぱたと店の奥へと姿を消す。

 少し静かになった店内で、僕が周囲の棚を眺めていると、エンジュが話しかけてきた。


「随分可愛らしい……、若い店主なんだな」

「元はミルラさんのお婆さんが開いたお店で、最近代替わりされたんですよ」

「そうだったのか」


 僕の説明で、彼女は納得してくれたらしい。

 ふむふむと頷きながら、商品棚に視線を移す。彼女は手近な小瓶を一つ手に取って、貼り付けられたラベルをじっくりと見つめた。


「表の店では見ないものばっかりだ」

「あはは。このお店は珍しい商品も色々取り揃えてくれてるんです。だからもう随分とお世話になってて」

「だからこの店に聞きに来たんだな」

「そういうことです」


 そうかそうか、と彼女は頷く。

 なんだろう? なにかエンジュの顔が、そこはかとなく堅いような――。


「お待たせしましたー」


 少し話している内に、ミルラさんが両腕に瓶を抱えて戻ってくる。

 カウンターに並べられたそれらには、薄い青色の液体が詰まっていた。


「キリシュの薬草五本ですー」

「ありがとうございます。あ、あとオリーの葉っぱと麦穂ってありますか?」

「ええ、ありますよー」

「じゃあそれを三つずつ頂きたいです」

「はいー」


 追加の注文を受けて、ミルラさんは今度は店内の商品棚の前へ移動する。

 いくつもの瓶の中から、迷い無くつかみ取り、カウンターに置いて蓋を開ける。

 取り出されたのは小さな葉っぱと、ごく普通の麦だ。


「合わせて銀貨三十枚ですー」

「ありがとうございます」


 ポケットから財布代わりの袋を取り出して代金を支払う。

 ミルラさんはそれをてのひらに乗せて数えると、細い目を更に細めて口元を緩めた。


「まいどーありがとうございますー」

「こちらこそ。いつも助かってます」


 実際、薬が切れた時はいつもこのお店のお世話になっている。

 その他にも一部の精霊術には薬草を使うこともあるから、その時の触媒もここで買っていた。


「エンジュさんは戦士職なんでしょうかー」

「む? ああ、一応書類上は重戦士ということになっているよ。今は工房に預けているが、普段は大槌を使っている」

「なるほどー。だから指にタコができてるんですねー」


 ミルラさんの指摘に、エンジュは驚いた様子でぱっと指を見る。

 彼女の細い指は、よく見れば確かに多少ゴツゴツとしているような気がしないでもない。


「……よく気が付いたな」


 少し呆けたエンジュがミルラさんに言う。

 すると彼女は口元に微笑を浮かべて顔を傾けた。


「うふふ。わたし、人の観察が趣味なんですー。あ、これわたしが調合した軟膏なんですけど、お一つ差し上げますー。手荒れに良く効くんですよー」


 お近づきの印です、と言ってミルラさんは小さな瓶をエンジュに手渡す。

 エンジュは戸惑った様子だったがそれを受け取り、お礼を言いながら懐に仕舞った。


「それじゃあ、頑張って下さいねー」


 別れ際も、ミルラさんはそう言ってふらふらと手を振って見送ってくれる。

 外へ出ると、強い日差しに目がくらんだ。


「不思議な店というか……、怪しい店主だな」

「ミルラさんは良い人ですよ」


 懐にあるガラス瓶をそっと撫でながら、エンジュが言う。

 とはいえ彼女も悪い印象は抱いていないらしく、その表情は柔らかい。


「さて、それじゃあ宿に行くか」


 気を取り直して、エンジュが明るく声を上げる。


「いや、まだ行きたいところがあるんだ」


 けれど僕はそれを拒否して、収納箱に薬をしまいながら答える。

 エンジュが首を傾げるのを見て、僕は予定していたお店を挙げていく。


「魔法触媒を買いに魔法屋さんに行きたいし、食料が足りないからそれも買いそろえないと。あとは砥石も心許ないから雑貨屋さんに寄って、布もいくつか見繕いたいんだよね。あとは――」

「リューク」


 指折り数えながら予定を話していると、エンジュの焦った声が割り込んでくる。


「どうしたの?」

「……君は、買い物が好きなのか?」

「好きってほどでもないけど、必要そうだから」

「そうか……」


 僕の返答に、エンジュは渋い顔で頷く。

 その後何事かを呟いた後、決心したように顔を上げる。


「よし、行こうか。付いていくと決めたのは私だからな」

「? うん、じゃあ行こうか」


 何故か自分に言い聞かせるように言うエンジュ。

 よく分からないけれど、僕の方は初めから一緒に回るつもりだった。

 僕は収納箱の口を閉めると、エンジュと一緒にまた町の中を歩き出した。

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