第9話「腹ごしらえ」
それは山だった。
白いクロスの敷かれた大きな丸テーブルの上にうずたかく積まれた、色々な種類の料理たち。顔ほどもありそうな大きなパイや、魚を丸ごと使った塩焼き、何のものかも分からない骨付きの肉の塊。
膨大な量のそれらは見る間に嵩を減らしていき、向こう側ではエンジュが怒濤の勢いで口を動かしている。
ギルドを出た僕たちは、ミモザの古狼探しの準備として街の一角にある食堂へやってきていた。どうやらエンジュの行きつけのお店らしく、彼女は席に着くや否や怒濤の勢いで注文し、現在に至るというわけだった。
「……よく食べるね」
食後のコーヒーに口を付け、僕は呻くように言う。
僕が注文したのは普通サイズのミートパスタだったけれど、それでもかなりの量だった。次来る機会があれば、ハーフサイズでもいいかもしれない。
エンジュは脂で艶の付いた唇を親指で拭い、至極当然の様に頷く。
「鬼人族はよく食べるからな」
なぜか誇らしげに胸を張るエンジュ。
彼女は分厚いステーキをざっくりと大きく切り分けると、ぱくりと軽く飲み込む。あれは多分、装竜のモモ肉か尻尾のステーキだな。
ジュワジュワと熱された鉄板の上で脂が弾け、僕は慌てて顔を後ろに引っ込めた。
「それは、僕も知ってるけど。正直想像以上だよ」
昨日、エンジュとミモザの森の中で出会ったときも、僕は収納箱の中に保管していた食料を分けてあげた。
その時にも彼女は僕の三日分くらいの量を平らげたのだけれど、今回はまさに桁が違う。恐らく、一週間分くらいは軽く越してしまうんじゃないだろうか。一周回って気持ち良いくらいの食べっぷりに、周りのテーブルのお客さんたちからも視線を感じる。
これは確かに、他の人とパーティを組んでいると収入が食費と釣り合わなくなっても仕方が無い。
「まあ、確かに私はよく食べる方だよ」
僕が何も言わずに見ていると、エンジュが少し恥ずかしそうに頬を赤らめて口を開く。
テーブルの上にあった大皿たちは、舐めたように綺麗になっている。少し目を離した隙に全部食べ終えたらしい。
だと言うのに彼女はまだ物足りない表情で、そわそわとメニューの方へと視線をちらつかせていた。
「鬼人族の中でも?」
尋ねると、彼女は小さく頷いた。
「私は鬼人族の村の出身なんだが、一家揃って村一番の大食いだった。その中でも、私は輪を掛けてよく食べたさ」
彼女の故郷では、コメという穀物がよく食べられていたらしい。エンジュは一食で大きな丼五杯ぶんのコメを食べていたと言った。
だからよく育ったんだなぁ、と何処とは無しに視線を迷わせて思う。
彼女の纏う異国の装束はゆったりとした余裕のあるものだけれど、身体の所々がぱっつりと張っていて、そこだけ自己主張が激しい。
「正直、子供の頃は家族にも心配されたよ。腹に穴が開いてるんじゃないか、妖怪か狐でも憑いてるんじゃないか、って。祈祷師のところへ連れて行かれたこともあったな」
「なんとなく分かっちゃうのが……」
ヨウカイというのは、彼女の故郷にいる精霊のようなものだ。随分前に師匠から教えて貰ったことがある。
このあたりでよく見られる精霊と比べると形態が様々で、より密接に人との暮らしに関わっている、恐ろしくも愛らしい存在なのだと、師匠が語っていたのを思い出した。
「結局、その理由が分かったのは天恵、――ギフトと言った方が分かりやすいか。それが判明したときだった」
「そういえば、エンジュのギフトはまだ教えて貰ってないね」
今気が付いて、ぽんと手を打つ。
僕のギフトは初めて会ってすぐにお披露目したけれど、彼女のものは見たことがない。
そう言うと、彼女はすまない、と頭を下げる。
「いや、別に誤ることじゃないよ」
一応、ギフトは個人情報にあたるものだ。
特に傭兵なんて職業だと大体の人は自分から言うことはないし、徹底的に隠している人もいる。ギフトは自分の武器にも弱点にもなるものだからね。
「それでも、差し支えなければ教えて欲しいな」
「ああ、もちろん。私のギフトは――【狂獣化】という」
「聞いたことのないギフトだね」
声をひそめて告げられた名前に、僕は首を傾げる。
似たようなギフトに【狂化】というものがあって、そっちはそれなりにありふれたものだ。
理性を無くす代わりに身体能力が爆発的に増強されるという、かなり扱いが難しいギフトで、その性質上傭兵のような職業に就く人が多いのが特徴だった。
「【狂化】とは違うの?」
「単純にそれをより強力にしたものと考えて貰っていい。一度発動すれば思考が回らなくなるから事が片付くまで止まれないが、かなりの身体能力増強が可能なんだ」
「事が片付くって……敵が全滅するまでってこと?」
エンジュが首を横に振る。
そして彼女は少し言い淀んだ後、頬を薄らと桃色に染めて言った。
「正確には、体力が尽きるまでだな。身体が動かなくなるまで、暴れ続けてしまう」
「それはまた、扱いにくそうなギフトだね」
思わず漏らしてしまった言葉に、彼女は頷いた。
「本当にな。【狂化】なら理性が無くなるとは言えある程度自由に切り替えが可能らしいんだが」
「エネルギーが尽きるまで動き続ける、か。だから、本能的に沢山食べちゃうのかな?」
「恐らくそうだろう。まったく、只でさえ種族的に燃費が悪いというのに、このギフトのせいで更に食費がかさんでしまうんだ。――すまないが、追加オーダーいいかな?」
「ど、どうぞ」
唇を尖らせてそんなことを言ったかと思えば、嬉々としてお品書きを開く。
何だかんだ言いつつも、彼女自身食べることが大好きなんじゃないだろうか。
ギフトはその人の為に神様が選んだ贈り物。そんなよく聞く俗説も、あながち間違いじゃないのかも知れない。
「エンジュは普段からそのギフトを使って仕事をしてるの?」
「いや、滅多に使わないよ」
ふと気になって尋ねてみれば、予想に反して彼女は否定した。
「【狂獣化】は動けなくなるまで狂うギフトだからな。基本的に一人で活動している私が使うと、最終的に無防備な状態になってしまう」
「確かに。連れて帰ってくれる人がいないと使えないんだね」
それに、と彼女は言葉を続ける。
「私はその、あまりギフトを使った状態というのが好きじゃないんだ」
「え、なんで?」
聞き返すと、彼女は眉間に皺を寄せて俯く。
僕がじっと見つめると、観念したように口を開いた。
「理性を失うから、自制が効かなくなる。何をしでかすか、自分でも分かった物じゃないんだよ」
「そうだったんだ……」
思ったよりも深刻で切実な理由だった。
自分で自分が制御できないというのは、恐らく僕が思う以上に怖いことだ。
勢い余って味方も傷つけてしまうかも知れない。大切な物まで壊してしまうかも知れない。
そんな恐怖もあって、彼女はずっと一人で活動をし続けていたのだろう。
「それに――。いや、なんでもない」
「え?」
「なんでもないよ」
僕が考え込んでいると彼女が小さく唇を動かした。
聞き返しても、彼女は曖昧な顔ではぐらかす。
「はいお待たせー。特盛りミートパスタとジャイアントステーキとデラックスパーティーオードブルとミニサラダね!」
「ちょ、どんだけ頼んでるの!?」
そうこうしているうちに新たな大皿が続々と届いて、またテーブルを埋め尽くす。
積み上げられた空き皿が回収され、できたての料理が並ぶ。
それを前にして、両手にナイフとフォークを握ったエンジュは橙色の大きな瞳を輝かせていた。
「まだこんなに食べるの?」
「依頼は長引くかも知れないんだろう? 余計に食べておかないと、最悪倒れるからな」
「自慢げに言う事じゃない!」
むふんと胸を張って断言するエンジュに、思わず悲鳴を上げる。
一体、彼女の細い身体のどこにあの質量が収まっているのか。僕の収納箱以上に不思議な空間が広がっていそうだ。
僕が驚いている間にも、彼女は早速食べ始める。
とてもさっき大量に食べたとは思えない、まるで何週間も水しか口にしていなかった人のような、猛烈な勢いだ。
僕が食べたものの五倍はあろうかというミートパスタをフォークでグルグルと巻き上げてぱくり。厚切りというよりもはや柱と言っても良いくらいの分厚い肉塊をがぶり。その合間にまるで口直しの様に挟むのは、これまた茶色と脂で彩られたこってりとした揚げ物のオードブル。
申し訳程度に添えられた小さな小さなサラダが逆に不健康に思えてくる。
「ほんと、よく食べるよね」
少しの恐怖感すら抱きながら、さっきも言った言葉を繰り返す。
しかし食事に夢中の彼女は、そんな僕の声すらも聞こえないほど夢中なようだった。
一口噛みしめるごとにきゅっと目を細める様子は、心の底から食べることを楽しんでいるのがよく分かる。
注文の仕方は乱暴だけど、食べている様子はとても丁寧で、僕はつい見蕩れてしまっていた。
「それで、ごはんが終わったらどうするの?」
エンジュが瞬く間にお皿を綺麗にし、今度こそ満足げにお腹をさする。
落ち着いたのを察して話を切り出すと、彼女は熱いお茶で唇を湿らせて言った。
「店に行って消耗品を補充して……。そうだ、明日の朝出発でいいか?」
「え? うん、それは別に良いけど」
「それじゃ、今日は同じ部屋に泊まろうか」
「は!?」
さらっと告げられた言葉に、僕は飛び上がる。
周囲の視線を感じて慌てて座り直し、対面の彼女に顔を近づける。
「なんでそうなるの!?」
「別々の宿に泊まって、ギルドでいちいち集合するのも面倒だろう? 宿代も浮くし」
きょとんとした顔で言うエンジュ。
僕は思わずがっくりと肩を落として呻く。
「い、一応僕は男なんだけど」
「あっはっは。リュークに襲われても私なら大丈夫だ」
「えっ、それは、どういう……」
「心配しなくても君くらいなら投げ飛ばせるさ」
「そういう問題なの!?」
「そうじゃないのか?」
会話が噛み合っているようで噛み合っていない気がする。
変に意識している僕が間抜けな感じがして、妙に疲れた。
「それでどうする? 断固拒否されるなら、無理強いはしないが」
「……いいよ」
僕が渋々頷くと、エンジュは元から確信していたように揚々と笑みを浮かべた。
鬼人族ってみんなこんな性格なのだろうか。
「それじゃあ、まずは武器屋に行こうか。鎚の手入れをして貰いたいんだ」
「え、もう食べ終わったの!?」
気が付けば追加の料理も消え去り、満足げに唇を舐めるエンジュが一人。
驚く僕をよそに彼女は立ち上がると、慣れた様子で会計を終えて店を出る。
僕は慌ててその後を追って、彼女に自分の代金を押し付けた。
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